小学校教師クラメロンの日常

関西のみかんが有名な県に住んでいます。小学校教員。3.5.2.6.5異動1.4.特別支援学級.5.1という流れ。今年も生徒指導主任。

討論の授業

「討論の授業は高段の芸」とは向山洋一氏の言葉です。

 

これまで、私は指名なし発表にも、討論の授業にもさして興味を持っていませんでした。一方で、挙手指名型の従来の授業方式に、大きな疑問を抱いていました。挙手指名型の授業の問題点はお客さんが出てしまうこと。言い換えれば、全員が発言をする機会を得られにくいということが最大の疑問点でした。

 

内言の外言化、つまり思ったことや考えたことを書いたり読んだり話したりして外に表現することを増やす授業は、子供達の学力を間違いなく高めると思います。今年の私の授業のテーマは「全員参加」。指名なし討論は全員参加を促すのではないか。そう考えて本年度の途中より始めました。

 

ちなみに、現在、小学5年生の担任をしています。6月上旬に地区の授業公開があり、そこでは従来型の授業を行いました。指名なし~のシステムを始めたのはそれ以降です。

 

初挑戦は家庭科の調理実習後でした。感想を言う時間を設けました。そこで初めて指名なし発表というものを行ってみました。今から考えると、よちよち歩きの赤ちゃんのような進み方でした。

 

それから3か月ほど。指名なし発表はかなりスムーズに行うことができるようになりました。声を出す指導、指名なし音読などの練習にも取り組んできましたし、討論の趣意説明も行いました。

 

しかし、指名なし討論は、指名なし発表の100倍くらい難しいと思います。討論はまだまだまだまだです。山のふもとで頂きすら見えていない状況です。さて、ではどんなところに今、私がつまずいているのか。それは次回、書きます。

 

小ネタ集

私が頻繁に使う言葉があります。「さすが」です。

 

 

「さすが」という言葉は、これまでも一目置いていて、今回も期待通りに現れていることを意味しています。

 

「あなたは今までも良かったけれど、今回も素晴らしいね。」と言っているようなものです。言われたら嬉しいですよね。

 

目上の方に使うのは失礼に当たるようですが、時と場合を見計らえば、大人相手でも仕えそうな言葉です。

 

あと、「気持ちは分かるよ」も使います。

 

宿題を忘れた子、発表で間違えてしまった子、手を挙げない子、給食を残す子。

一言、共感するだけで、その子はほっとした表情になりますね。

 

そんな小ネタを少しずつ、海辺に落ちている貝殻を拾い集める如く、採集していきたいと思います。

 

ふと気づくと

夏休みが終わります。残念でなりません。

 

1学期の振り返りをしたり、サークルの仲間と悩みを話したりしているうちに気付いたことがあります。

 

1学期、子供をあまり叱らなかったなということです。

 

基本は褒めたり、驚いたり、評価をしたり、認めたり。肯定的な対応が多かったように思います。

 

もちろん、叱ることがなかったわけではありません。トラブルは多々ありました。でも、そう悪い雰囲気のクラスではなかったように思います。

 

なぜかな?と思いました。

 

自分の腕が上がったから…などと思いあがるつもりはさらさらなく、最大の理由は「余裕があったから」だと思います。

 

なぜ余裕が生まれたかというと、現任校に来て2年目であるから、また学年の先生となんでも揃える必要がないからです。わりと自由です。学級通信も出せます。

 

「教師の自尊感情が高ければ高いほど、子供の自尊感情も高まる。」と聞いたことがあります。

 

この関係は単なる相関関係を表しているのかもしれませんが、私は結構、因果関係でも結ばれているなと思います。

 

褒めると叱るの割合は4:1ぐらいがちょうどいいと聞いたことがあります。子供たちの良い姿をたくさん見つけていきたいと思います。

 

 

うちのクラスの強みは何だ?

「結局のところ、うちの学校には強みがない。ストロングポイントがないんだよ。」

 

酒宴の席で先輩が私に熱く語ってきました。

 

「読書でも運動でも学力でも挨拶でもなんでもいいけれど、うちの学校はこれだけは負けない!というストロングポイントが欲しい。あれもこれもじゃだめなんだよ。」

 

その話を聞いて、それはそうだと思いながら、うちのクラスでも同じことは言えるなと思いました。

 

書く力を大切に夏休みまで過ごしてきました。しかし、書く力は学校でNO1と言えるかどうか。そして、そのことを子供たちが自覚できているのかどうか。

 

種まきで終わってしまったなあと反省しています。

目指すは70点の授業

最近思うのは、一生懸命に教材研究をして90点の授業をするよりも、毎時間コンスタントに70点の授業を続けることのほうが大切ではないかということです。

 

でも、これが本当に、本当にできない。難しい。

 

毎日、入念な準備はさすがにできません。

 

ポイントは時間の使い方と毎日の振り返りかなと思います。

 

教材研究をどんなに簡単でもすること。

毎時間を点数化して週案簿に記す。

 

このくらいかな。

 

やりすぎてはいけない。

 

大切なことは、簡単なことを続けること。

 

それともう1つ。70点の授業の定義を考えること。何を達したら70点なのか。

 

 

筑波大附属小の公開授業研

5年生国語、大造じいさんとガンの授業を見ました。

 

授業のゴールは主題の読み取り。そこに至る過程で

1クライマックスの検討

2大造じいさんのガンへの見方の変容を3.4場面で読む

の2点をされていました。

 

参観後、強く思ったことは、クライマックスの検討は泥沼にはまる恐れがあるということです。もっと言えば、授業のリスクが高い。

 

中心人物の心情の大きな変容点を見つける学習は、ともすれば這い回ることになりかねないという思いを強くしました。

 

 

大造じいさんとガンは特にそうだと思います。

 

A大造じいさんは何と思ったか~銃を下ろしました。

B大造じいさんは強く心を打たれて~。

 

の2つはそう簡単に議論が尽きません。

結果、曖昧なまま授業が閉じます。

 

もちろん、クライマックスの検討は、答えを1つに絞ることが狙いではなく、見当の過程で中心人物の気持ちがどう変わったのかを読み取ることが目標です。が、子供としてはすっきりと答えを知りたいでしょう。その「答え」に持っていくのが大変に難しい。

 

私が次に授業をするなら、あえて泥沼にはまりかねない、クライマックスの検討は行わないと思います。「残雪め」「ただの鳥に対しているような気がしない」「えらぶつ」など、残雪に対する呼称から、大造じいさんの残雪への見方の変容を捉えさせる授業をするかな、と。

 

それと、授業後、ある先生が質疑応答でおっしゃっていた言葉が強く印象に残りました。

「この授業では先生が子供たちに決めさせていた。子供たちが主体的に決めることはなかった。」

 

あー、自分の授業もそうだ、と思いました。

 

授業の最初は受動的でいいと思うのです。最初は先生に決めさせられてもいいと思うのです。ですが、中盤以降は子供たちが主導権を握る。そんな授業にしていきたいです。まさに、正木先生がおっしゃる「受動から能動へ」。

 

とはいえ、終始笑顔を絶やさず、穏やかに子供に接されていた先生の姿自体が私にとっての何よりの勉強でした。

 

定番教材は公開しにくいと思うのですが、あえて公開をしてくださり、多くの気付きを与えてくださった先生に深く感謝をしたいです。

 

 

ピアノ

私はピアノを習っています。

 

そろそろ半年がたちます。それまではからっきしでした。今でも小学校2~3年生レベルでしょう。

 

毎日、5分間だけ練習をします。それでも、練習をしないで寝てしまうこともあります。

 

練習不足のまま行ったピアノ教室での私の居心地の悪さたるや。

 

ぜんぜん弾けないのです。

 

先生への申し訳なさと自分の不甲斐なさと意思の弱さに包み込まれます。

 

そこではたと気付いたのです。

 

子どもたちも同じではないか、と。

 

宿題をやってこない子。いやいや、たとえ毎日頑張ってやってきても、勉強がいまいち分からない子。

 

つらいだろうな、と。

 

 

教師自身の習い事には価値がありますね。