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それは家庭の仕事です

私が嫌いな言葉のひとつに「食育」があります。

 

先日、本校の給食担当の教員が言いました。

 

「先生方、ぜひ給食のときに、食べ物や食べ方の話を子供たちにしてみてください。子供たちの食に対する意識を高めていきましょう。」

 

なんだそれ?と思いました。

 

野菜も食べましょう。食べるときはぺちゃくちゃおしゃべりはしないようにしましょう。

 

そんなことは学校で指導することではないと思うのですが。夕飯のときにでも、親が子供に言えばすむ話です。それを学校でもやってくださいというのは、育児放棄にも等しいとさえ思います。

 

というか・・・話は少しそれますが(いつもだな)、給食時間を勤務時間にすること自体にクエスチョンをもってもいいのでは?

 

以前、カナダの小学校を見に行ったときのことです。給食(カナダではお弁当)の時間は教師にとっての休憩時間でした。子供たちは教室で、教師は職員室で食事をしていました。

 

子供たちを見るのはボランティアの保護者の方たちでした。

 

無論、日本に当てはめるのは酷でしょう。私自身、子供たちと食事をするのは好きですし。

 

でもでも!

食育という名のもとに、本来家庭ですべきことを学校現場に持ち込むなと言いたい。

 

家庭が崩壊している子供を負の連鎖から救うこともまた、公教育の役目だというのであれば、現場の教員にかかる負担を取り除くべきです。給食を5分で食べ、即座に宿題チェックをしないといけない労働環境はおかしいでしょう。家庭環境の変化のしりぬぐいをすべて現場の教員がするのは変です。食料も弾薬もありません、でもインパール作戦を成功させてねと言っているようなものです。

 

別に食育に限ったことではありませんが、しつけというのは本来家庭でするものです。学校ですることではありません。(と言っても、やってしまうのが悲しいところなんですが。)