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学校の簡略化

講談社現代新書『日本を滅ぼす教育論議』(岡本 薫)という本があります。

 

その中の一節を引用します。

 

“そこで教育行政当局は、その選択の良し悪しはさておき、(中略)いわゆる「教育内容の3割削減」を行った。しかし実は、これと並行して「授業時数」の方も、「土曜日の完全休業」や「総合的な学習の時間の導入」などのために、「約2割」が削減されたのである。したがって、両者の比率である「ゆとり」は、学年や教科によるバラつきはあるが、全体として「約1割」程度しか生じていないということになる。”

 

この文章を読んだとき、衝撃を受けたことを覚えています。

 

つまり、世間一般で言われるほど、子供たちに「ゆとり」は生まれていなかったのです。教科内容も授業時間も減らしただけ。

 

さて、現在。教科内容はご存知の通り、かなり増加しています。平成27年度の教科書のページ数(1~6年合計)は17年度に比べて約3割増加。中でも算数は17年度の約1100pから1500pとおよそ1.5倍。

 

ですが授業時数は約1.1倍の増加。つまり、教科内容は大幅に増えた一方、授業時数はあまり増えていないのです。

 

だからこそ、授業時間が非常に必要となる、場面ごとのぶつ切りの国語授業が批判されるわけですね。

 

全国の教師は悲鳴を上げています。教えるべきことが年度末までに教えられない、と。従来のやり方では時間が圧倒的に足らないのです。

 

現場をまるで見ていないお役所的発想の被害を現場が被っています。

 

と、ぼやいていても現実は変わりません。

 

この状況を現場はどのように対応するべきか。

 

答えは、学校の本質を考えることで見えてくると思います。

 

学校の本質、屋台骨は授業です。つまり、授業以外の時間を徹底的に切り詰めるのです。

 

例えば6年生を送る会のイベントをはじめとする特別活動の切り詰め、運動会や卒業式の練習の簡略化、観劇教室や音楽発表会の廃止などが考えられます。

 

皮肉で書いているわけではありません。

 

教員の悪いところのひとつに、なんでも改善をして、新しいことをやろうとするところがあります。しかし、現在の状況を考えると、そういった行為は自殺行為です。

 

学校は味気ないものに変わるでしょうが、仕方のないことです。何かを得るためには何かを終わらせないといけません。

 

欲張りは自分たちの首を絞めるだけです。教員が余裕を持たない学校はダメです。余裕を持った教員を生むためにも、授業には力を入れても、その他のことは簡素化することが大切だと思います。