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最低のねこ

毎日、『ルドルフとイッパイアッテナ』という本を読み聞かせしています。低学年の子供たちは、楽しそうに聴いてくれるので、こちらも嬉しくなります。その中の一節。

 

ちょっとできるようになると、それをつかって、できないやつをばかにするなんて、最低のねこのすることだ。教養のあるねこのやるこっちゃねえ。

 

読んだとき、声が少し止まってしまいました。

 

最近、私は学級経営が多少、安定してきました。問題は数あれど、それでも、まあ、一応何とかできるようになってきました。わりに勉強もしているほうだと思います。

 

でも、先の一節は、私に冷や水を浴びせました。

 

別のクラスを訪れたとき、子供の様子を見て「育っていないな。先生はどう感じているんだろう。」と思ったり、げた箱の様子や教室環境を見て、「汚いなあ、なんできれいにしないのかな。」と考えたり。

 

よくありません。非常に危険な思想だと思います。

 

たとえ私が、どんなに優れた教師になろうとも、周りのクラスや周りの先生を批判してはならないと思います。なぜなら、自分が悪く思われたり、言われたら悲しくなるからです。高慢な人間にだけはなりたくないのです。そもそも、勉強をするのは、他人を批判するためではありません。

 

残念ながら、私の学校には他の先生をバカにしたり、批判をしたりする人が何人かいます。確かに、そのような言葉を発する方々の学級は確かに優れています。授業も上手です。が、どんなにそれらの言葉の数々が正しくあろうとも、やはり口に出しては絶対にいけないと思います。学校の雰囲気が乱れます。「どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていようとも、私は卵の側に付く」とは村上春樹氏の言葉ですが、深く首肯します。

 

批判や悪口の組織の行き着く先は、問題の隠蔽です。

 

これを知られたら、「ダメな教師」「力がない教師」と思われてしまうのではないか。そう考え始めたら最後、問題を1人で抱え込んでしまいます。

 

組織としては最悪の状態です。

 

風通しの良い組織とは、悪口を言える組織ではないと思います。どうしてもまずいのであれば、管理職がそっと告げれば良いのです。一般の教師同士は、激励や感謝、称賛の言葉を掛け合うほうがいいはず。

 

しかし、私はできていない。それどころか、天狗になっていたな、と。

 

D.カーネギーは『人を動かす』でこう述べています。

 

「手厳しい非難や詰問は、たいていの場合、なんの役にも立たない。」

 

 

ルドルフとイッパイアッテナ

ルドルフとイッパイアッテナ

 

 

 

人を動かす 文庫版

人を動かす 文庫版