議論の収束のさせ方

教師1年目の頃から、ずっと引っかかっている問題です。

 

国語や社会、道徳の授業では、しばしば意見が分かれます。意見が分かれたとき、子供達は熱中します。自分の意見を、本文を基に述べたりグラフも基に説明したりします。議論になります。

 

問題はその先です。

 

どうやって収束をさせるのか。いつも悩んでしまいます。

 

いろいろな意見があったね。じゃあ今の考えを書いてみようと言って終わりにすることもあります。しかし、それで良いのか?

 

今日、筑波附小で社会科の研究会が開かれました。そこで出された課題は「10年後、天然・養殖・輸入のうち、生産量1位になるのはどれか?」でした。

 

思うに、これは論点が不明なのです。推測でしか語れません。だからそれぞれの子供がそれぞれの主張をしていましたが、その後の話し合いはうまくかみ合いませんでした。講師の先生が「この授業には説明はあったが、議論はなかった。」とおっしゃっていましたが、その通りだと思いました。ここに難しさがあるのでしょう。筑波の先生ですらそうなのです。

 

ではどうするのか。

 

2つのパターンがあるかなと思っています。

 

1つ目は、徹底的に議論・討論を続けて、最後に自分の意見をもう一度書くというものです。途中で教師が適宜介入して、意見を整理したり分類したりする必要があります。が、基本的には子供主体です。答えは出さなくても良い。多様な視点を得るために、議論することに価値があるというものですね。

 

もう1つは、議論後、教師が補助発問をつないでいき、ねらいとするところにたどり着く授業です。議論そのものは手段であり、目的ではありません。議論を通して出てきた意見を分類したり、価値づけたりしながら、上手に子供をねらいとするところに持っていく。私には至難の業ですが。

 

前者はモラルジレンマ的な授業でよく見られますね。サンデル教授のあれです。TOSSの人たちは討論の授業では全体解を出そうとしません。合意形成を図るのは討議だとか。

 

しかしですね、私はそのような前者のタイプの授業はありだと思いつつも、それでよいのかなとも思うわけです。全体で合意形成まではいかなくとも、納得解は見つけたい。ひとつの落としどころはほしい。

 

つまり、熱い話し合いを通して、本時のねらいに上手に迫りたいのです。

 

そのための道筋が、まだ見えません。