小学校教師クラメロンの日常

関西のみかんが有名な県に住んでいます。小学校教員。3.5.2.6.5異動1.4.特別支援学級.5.1という流れ。今年も生徒指導主任。

思えば5年が経ち

電車内で、ふとスマートフォンの写真を見ていたときに思った。


「このスマホで最初に撮った写真はなんだったろう。」

 

旅行で尾道を訪れた写真だった。時は5年前。私の教師、といっても実際は講師であったが、どちらにせよ初めて教壇に立った年だった。

 

「そうか、もうあれから5年か。」

 

1年目。荒れに荒れた学級であった。


いわゆる学級崩壊。1人のやんちゃを止められず、次から次へと負の連鎖が続いた。自習中、はさみを持って女の子の髪の毛を切る子がいれば、授業中に発狂する子もいた。学習は成り立たず、見かねた同学年の先生に空いている時間、TTとして入ってもらう日々だった。

 

同学年のベテランの男の先生が言った。

 

「嫌だよ、(空き時間に)入るのなんて。俺の時間だもん。」

 

そう言われて、うつむくほかなかった。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


女性のベテランの学年主任からは毎日のように説教を受けた。ちょうど5年前の今頃、夏休みの職員室。2時間近く説教を受けた。周りの視線が痛かった。

 

講師だったから初任者研修などなく、授業のイロハのイも教わらずに日々を過ごした。それが普通だと思っていた。これではまずいと思い、周りの先生方に教えを請うたり、授業を見せてもらったりしたが、黄金の3日間はとうに過ぎ去り、学級は荒れ果てた。

 

悔しい日々だった。毎日、電話の音におびえた。トラブルが起こらない日はなかった。学校中の先生が私のクラスの状況を話題にしていたそうだが、そのときの自分はそれを知る余裕すらなかった。それでも教室も職員室も自分の心が安らぐ場ではなかった。

 

とはいえ1日も学校を休まず、頑張り抜いたことだけは良かった。校長先生を筆頭に、学年主任の先生が守ってくださった。保護者の方々も優しかった。陰でいろいろとおっしゃっていたのだろうが、幸いにも保護者会になるほどには至らなかった。感謝、感謝である。

 

あのときの経験が自分の人生のスイッチをオンにしたと思う。二度と学級崩壊などしない。そう決意しての2年目だった。

 

本を読み、周りの先生方の授業を見せてもらい、自治体主催の研修会に意欲的に参加した。3年目からは東京や神奈川など、都市圏の研修会にも身銭を切って通うようになった。

 

正規採用をされ、初任者研修を受けた。あのとき、この初任者研修があればまた違ったのかもしれないと思った。だが逆に、あのときのあの悔しさがあったから、今の私の意欲がある。学び続けようとする意志と強さがある。 

 

もしも1年目に学級崩壊をせず、そこそこ幸せな1年を過ごせたとしたらどうなっていただろうか。

「教師の仕事は案外と何とかなるものだな。」

そう考えていたのではないだろうか。

 

学び続ける意志。

教師1年目の挫折が私をここまでにしたと信じている。

 もちろん、自分にはまだまだ足らないところが多い。教師修行は果てがない。それでも薄皮を重ねるがごとく、精進の日々である。

 

1学期、もしも学級崩壊をしてしまったという人がいたら、チャーチル英国元首相の言葉であり、向山洋一氏が好んで使う次の言葉を伝えたい。

 

「ネバーネバーネバーギブアップ。」

 

大丈夫、笑顔で教壇に立てる日が必ず来る。