小学校教師クラメロンの日常

関西のみかんが有名な県に住んでいます。小学校教員。3.5.2.6.5異動1.4.特別支援学級.5.1という流れ。今年も生徒指導主任。

1年生担任記①

3年ぶりの1年生担任。前回のときとは雲泥の差とも言えるほど大変な子供がいます。

 

パニックを起こす子です。

 

絵を描いているときに、思ったように描けないとパニック。

給食で苦手なもの(にんじん)が出る日は、給食の前からパニック。

挙手をしても、すぐにあてられないとパニック。

 

ここでいうパニックとは、自分の手の届く範囲の物を投げ、椅子を蹴飛ばし、大泣きで叫び、近くの子をたたくというものです。

 

園時代もあったようですが、小学校で起こったのは今日が初めてでした。

 

一瞬何が起こったのか、私にもわかりませんでした。周りの子供たちも固まっていました。

 

一度パニックになると、その日一日はもう修復不能のようで、上記のことが1日の間に起こりました。クールダウンももちろん行い、空き教室で落ち着いたあと、教室に戻るとまたパニック・・・の繰り返しでした。さすがに私も支援員の方も管理職もへとへととなり、給食直後に迎えに来てもらいました。

 

保育園からの引継ぎはありましたが、まさかここまでとは思わず…。

 

迎えに来たのは祖母でした。

申し訳ないと何度も謝る姿を見ると、私のほうこそ申し訳ない・・・という思いに駆られました。

 

放課後、管理職と

「これはとんでもないね・・・」

と言い合い、身も心もくたくたになって帰宅という一日でした。

 

パニックになると、当然子供自身も訳が分かっていません。

 

さて、私は、子供は、学級はどうなっていくのでしょうか? 乞うご期待。

ヒラ教師に求められる能力と管理職(校長・教頭)に求められる能力

これは明確に異なるだろうという話。

 

ヒラの教師とは、学年主任までです。生徒指導主任(主事)や研修主任も含みます。教務主任は準管理職として捉えます。

 

以下は私の勝手な考えです。「へー」でいいです。

 

ヒラ教師に求められる力は次の3つだと思います。

 

1授業力

2学級経営力

3校務分掌力

 

なんだ、当たり前じゃないか、と思われるかもしれません。

 

はい、当たり前です笑

 

ですが、この3つの力をしっかりともっている人は意外と多くいません。1校に1人いるかどうか?程度だと思います。逆にこの3つの力をもっている教師は「あの人は力があるね。」と言われます。

 

なお、保護者対応は学級経営力に含みます。中・高の先生はさらに「部活指導力」が求められます。

 

担任をもっていない教師に学級経営力は必要か? 最近は学級担任制をとらない学校もあるが? という問いについては、「それでも学級経営力は必要」と答えます。

 

私が考える学級経営力には、保護者対応や生徒指導、けがへの対処、特別支援教育なども含むもので、相当広い意味をもっているからです。が、ここでは深く述べません。それはまたいずれ。

 

校務分掌力も馬鹿にできません。子供との関わり方は上手なのに、いつも提出物は締め切り後に出す人…ときどきいませんかね? あれは職員室では疎まれます。

 

では管理職に求められる力は何か?

 

私は管理職では当然ありませんが、今まで出会ってきた管理職を見ていて、「ああ、この3つの力が管理職には必要なんだな。」と思いました。それは

 

1人柄

2判断力

3覚悟

 

ヒラ教師に求められる「授業力」や「学級経営力」はいらないと思います。ただ、学級経営が上手な先生が教頭先生になると、職員室の雰囲気は良くなる傾向がありますし(私見)、校務分掌力が高い教頭先生は仕事が速くて「あの人はバリバリだよね。」と言われます。

 

しかし、管理職に求められる本当の力はそういった能力ではないのだろうと思います。

 

まずは「人柄」。

 

陰口を言ったり、暗かったり、職員を怒鳴りつけたり…そんな人が管理職にいる学校は不幸です。職員室の心理的安全性が低くなり、トラブルがあっても管理職に相談しにくくなります。もちろん「人柄」は全職員に求められる力です。しかし多少変な人のほうが子供も保護者も信頼するという謎のケース(?)があるので、「犯罪をしない」のであればヒラ教師の場合、ある程度、変な人柄でも許容されます。ただ、管理職でそれは困ります。クセがないこと、と言い換えても良いかもしれません。保護者対応にも影響します。

 

次に「判断力」。

 

管理職、特に校長先生の仕事はつまり「決断」だと思います。責任をとる役職ですからね。時々刻々と状況が移る中、与えられた条件下で最大最高の判断をする「判断力」が求められます。スピードも必要ですし、正確さも大事です。生徒指導や就学指導だけでなく、お金の使い方や人事も判断の対象です。「判断力」が鈍い管理職のもとで働く職員は不幸です。

 

最後に「覚悟」。

 

最終責任をもつのが管理職です。保護者のクレームの砦となるのも管理職です。前任校の校長先生は、ある生徒指導対応で深夜1時まで学校にいたそうです。話を聞くだけでげんなりしますね。「責任をとる」という覚悟があるかどうかが求められます。

 

自分にヒラと管理職のどちらが向いているかは一人ひとり違うでしょう。ヒラ教師のときは評価が高かったのに管理職になったら微妙だったというケースはまま聞きます(ピーターの法則)。逆はあまり聞きませんがひょっとしたらあるかもしれません。

 

ただ、ヒラ教師に求められる「授業力」や「校務分掌力」などは、日々の努力で向上しますが、管理職に求められる「人柄」や「覚悟」はもともとの素質が有無を言うような気もします。

 

以上は私の勝手な考えなので、「へー」ぐらいでいいです。

弱体化する子供たち

コロナが収まりつつあります。それは喜ばしいことですが、最近すごく強く感じることがあります。それは「子供が弱くなっている」ということです。ここで述べる「弱さ」は体力的な意味と精神的な意味の2つあります。

 

体力的な意味は分かりやすいですね。持久走や50m走、なわとびの記録などは最たる例でしょう。

 

それだけにとどまりません。

 

鉄棒や跳び箱といった器械運動も苦手な子供が増えてきたように思います。

 

なぜか。コロナで運動する機会が減ったからというのもあります。しかしもう1つ理由があると思います。

 

それは「ケガを怖がる子・親・教師が増えたから」です。

 

ここ数年間で、学校のケガに対する認識が変わってきたように思います。たびたびニュースになるだけではありません。今年度から、私のいる市でも、「首より上のケガは保護者に連絡+学校がタクシーを呼んで(主に担任が付き添って)病院に連れていく」ことになりました。

 

ドッジボールをしていて、ふわふわのボールが頭に当たりました!程度ならば保健室に行き、冷やして終了ですが、それでも電話で保護者に連絡は必須です。

 

そのような状態で、「体育の授業をもっとやろう!」「鉄棒を頑張ろう!」という気にはなりにくいですよね。「子供の体力低下している。だからこそ器械運動をしなくては!」と思わなければいけないのでしょうが、その前にけがをしそうですし、けがをしたときのリスクが大きすぎるんですね。

 

あと、最近、保護者の中に(特に低学年)「転んだ程度の小さなけがであっても、親に連絡をしないのはありえない!」という人が増えたなと思います。そりゃあ子供たちは「弱く」なるわけです。そして弱くなった子供はさらにけがをしやすくなり、もう負のスパイラルです。

 

何か起こったときに、「そういうこともあるよね」と受け入れられない保護者・子供が増えています。逆に「なぜ言ってくれなかったのか!?」と怒ります。感度が高くなったとも言えますが、学校としては、そういう「ちょっと面倒な人たち」の対応に時間も手間もかけられたくないのです。だったらしなければいいや…と。

 

少しでも強く指導すると、「暴言・体罰」となります。繰り返しますが、誰も学校を守ってくれませんからね。それならば「器械運動をあまりしない。」「いくら給食を残しても何も言わない。」「子供に厳しい言葉は言わず、常に優しく寄り添っていく。」という消極的な教育が行われていきます。

 

不登校が増えた理由の1つは、上記の問題もあると思います。それに加えて、「不登校? ああ、無理しなくていいですよ。ゆっくり休んでいきましょうね。」と考える学校も増えています。それ自体は間違いではないのでしょう。しかし、コロナによって休むことへのハードルが非常に下がった今、「休まずに頑張って登校することのメリット」について一切語られなくなったことは、不登校の増加に拍車をかけていると思います。「社会に出たときどうするのですか?」はもはや禁句です。

 

かくして、体力的にも精神的にも「弱体化する子供たち」になっていくわけです。やれやれ。

学校にもインセンティブシステムを

いい授業をしたい!

と願う先生はいい先生だなと思います。

 

でも、いい授業をするために、具体的な行動をする先生は少ないのではないでしょうか。人に授業を見てもらったり、先行実践を調べたりすることを日常的に行っている先生はあまりいません。

 

なぜでしょうか?

身も蓋もない言い方ですが、私の解は

 

「いい授業をしても、得しないから」

 

です。

 

子供の成長する姿、子供の笑顔を見るのが教師の幸せなのではないのか!?と怒る人もいそうです。が、実際のところ、子供の成長や笑顔を見る喜びは、教師の授業改善のモチベーションにはなっていないのが現実です。

 

多くの人は使命感や熱意だけで動かないのでしょうね。

 

といっても、独身だったらまだ使命感や熱意だけで動くかもしれません。しかし子育てをしたり、介護をしたりしながら、本を読み、セミナーに参加し、教材研究をし、ビデオで授業を振り返ったり…などという時間は現実的に厳しいものがあります。

 

ですので、いい授業を目指しているorいい授業をしている教員が得をするシステムを作らなければ、「主体的・対話的で深い学び」の実現など永遠にやってきません。きっと一部の授業オタク的な人たちだけが作り上げるものになります。

 

そこで、きっとみんな「いい授業」を目指すだろうな~と思うことを挙げてみます。

 

・1年間で10回以上指導案を書き、管理職に授業を見てもらったら、評価をワンランク上げる。(私の県では評価がワンランクとボーナスが数万円上がる)

・教育系の図書を読んだらレポートにまとめて提出。3回したら、市の教育センターの図書コーナーに本のリクエストを出せる。

・授業の振り返りをレポートにまとめて提出。5回したら、2時間休みをもらえる。(校長裁量で何とかならない?)

・在籍校で5回以上研究授業をしたら、異動の際に希望校に優先的に行ける。

・年度内に研究授業をしたら、県外視察に行ける。

・公開授業の累積が100回いったら、管理職登用試験に受験できる(これはしてほしい。授業をしていない管理職に授業のことを言われても…ねえ。)

 

いや~、絶対に無理だな笑

筑波大附属小公開研究会2023.2月感想

コロナ直前の3年前は対面実施でした。全国一斉休校の前で、今思うとぎりぎりでしたね。懐かしい。今回は3年ぶりの対面での公開研究会でしたが、私はzoomで参加しました。

 

どの授業・発表も非常に勉強になりました。さすが筑波の授業で、工夫が凝らされていました。

 

が、一方で「今の学校現場の課題の解決策は筑波にはないな」とも思いました。

 

筑波の先生方やその授業群を否定するつもりはありません。素晴らしい御実践の数々に舌を巻いたのは事実です。

 

が、しかし。

 

今の学校現場の課題とは何でしょうか? いい授業をすること? もちろんそれは教員なら追い求めるべき課題です。ですが今の学校現場の課題はそれ以前にあります。

 

不登校の児童生徒数は過去最多を更新しました。いじめや問題行動は特に小学校で大変なことになっています。特別支援学級や通級指導教室の開設も増加の一途をたどっています。福祉の手が必要な家庭も数多くあります。児童相談所の職員は全く足りていないと言われています。相変わらず続く教員採用試験の低倍率に、若手を中心に起こる学級崩壊の数々。さて、いい授業を目指す余裕はどこにあるのでしょうか? 筑波の先生方の実践を参考にして、自らの学級でもやってみよう!と思ったとき、さてさて、自分の名前も漢字で書けない目の前の子供をどうするのでしょうか?

 

今の学校現場に必要なのは何か。それは教員目線で言えば

 

1 いい授業を目指すのではなく、どの子もそれなりに満足する授業を目指す

2 不登校を出さないため、徹底的に予防線を張り巡らせる

3 保護者との関係をとにかく良くする

4 特別支援教育は明日から使えるので特に重点的に勉強する

5 華々しい学級を目指さず、「カナリアの声」を聴くこと。(いろいろな意味で声の小さい子供の比喩)

だと思います。

 

いやいや、いい授業をすることが予防になるんだよ!と仰る方もいると思います。ですが私は今回も筑波で授業中に寝ている児童を見ました。それに、いい授業をするためにいったいどれほどのものを犠牲にするのかと問いたいのです。いい授業をできるようになるには、数多くの本を読む必要があるし、たくさん研究授業もしなければいけないでしょうし、休日に身銭を切って学ぶ必要もあります。そこまでして出来上がった「いい授業」の前に、救われなかった多くの子供がいないでしょうか。

 

研究会に参加しておいて言うのもなんですが、現代の教師が学ぶべき事柄は、果たして本当に授業研究なのでしょうか?

 

そんな思いに駆られた公開研究会でした。(いや、繰り返しますが、筑波の実践を否定するつもりはないのですよ。素晴らしかったですし。でも自分の学校の先生方の誰ができるのかな・・・と)

 

 

 

小学校1年生に向いている先生とは

1年生担任をかつてしていたとき、男ってどうなんだろう?と思っていました。

 

1年生担任としてよく言われるのは「お母さん先生」ですね。

 

正直、「お母さん」でも「お兄さん」でも「おじいさん」でも誰でもいいと思います。ですが、1年生担任としてふさわしいのは「きちっと細かい先生」ではないでしょうか。

 

私は大雑把な性格です。子供からすると結構気楽なんですが、1年生担任としてそれだとちょっと困るのです。やはり1年生ですからね。全ての基本をしっかりと押さえる必要があります。あとからしっかりしようとするのは無理だからです。

 

宿題も誰が出して誰が出していないのかチェックし、漢字の書き取りも間違っている字はないかを見て、給食のときは丁寧に食器を返しているかどうかを確認し、筆箱の中身が揃っているかも定期的に見る必要があります。私はそこまではできなかったのすが。

 

高学年で細かくしたら子供からも保護者からも嫌われる恐れがあります。ですが、こと1年生担任は「きちっと細かい先生」の方がいいです。保護者も幼稚園・保育園の延長の感覚で日々を送っているので、多少細かい方が安心するようです。