「物言わぬ多数派」と略される「サイレント・マジョリティ」。
しばしば学級を組織する上で、2・6・2の法則(パレートの法則)が語られます。中間層を味方につけよ。つまりは「問題をそれほど起こさないけれど、真面目に頑張っている子供たちを大事にせよ」ということです。
反対に、数はごく少数なのだけれど、学級を「乱す」存在を「ノイジー・マイノリティ」と言います。「ノイジー(noisy)」はたくさんいるように思いますが、「やかましい」からそう感じるだけで、実際は「マイノリティ」だということ。
これは学級だけでなく、学校全体にも当てはまります。
一番考えられるのが、保護者や地域の方々ですね。
先日、保護者から次のようなクレームが入りました。結構強い口調でした。
「近所の公園で、小学生が非常にうるさい。昼間に休んでいる人もいるのだから何とかしてほしい。その小学生は、なんと(禁止されているらしい)サッカーまでしている。一度見に来てほしい。名前も分かっているから指導もしてほしい。」
生徒指導主任ですので、管理職と相談の上、対応をしました。穏便に話を聞き、私が翌日公園に行きました。関係する児童(3年生)も集めて指導。その後、保護者に対応と指導結果を電話で報告しました。
児童への指導の間、私は自分の学級を自習体制にして(別の教員が入ってくれましたが、プリント学習)聞き取り調査を担任と一緒にしました。休み時間だけでは終わらなかったのです。
お読みの方は御存知だと思いますが、放課後の出来事に関して、学校には一切の責任はありません。それでも、公園に出向き、自分の学級を犠牲にして指導をしたのです。地域で起こる小学生のトラブルは学校が解決するべき問題とお考えの方は、モンスターと呼ぶにふさわしいでしょう。
さて、この方は地域の「多数派」なのでしょうか。
後で聞くところによると、その保護者はこれまでも学校に対していろいろなことを言ってきた「要注意」な保護者としてあがってきていたようです。つまり「ノイジー」な人なわけです。
そんな「ノイジー」にも対応をしなければいけないのが学校の辛いところ。まあ、確かに、学校はいろいろとボランティアを頼んだり、PTA活動をお願いしたりすることもあるから、目をつぶって対応をしたわけです。
別に「サイレント・マジョリティ」は困っていないのでは?と思うかもしれませんが、そんなことはありません。
まず、私の学級の子供たちは自習体制になったため、犠牲になりました。また、事件を起こした学級の担任の先生も同じです。さらに、この時間に巻き込まれて時間を費やさざるをえなかった管理職も被害者でしょう。もっと言えば、そもそも昼間に公園で騒ごうが、それは大きな問題なのか?という点で言えば、私は違うと思います。今回の件は、指導を受けた子供たち経由で、「その公園で遊ぶと面倒なことになる。」と伝わるでしょう。そう考えると、公園で遊ぶ小学生自体が被害者かもしれません。
では、今回の「ノイジー・マイノリティ」にどう対応すればよかったのでしょうか。
基本的な対応としては仕方なかったと思います。そう対決するべき問題でもありませんでしたし。ただ、やんわりとでも「放課後のトラブルは学校が対応できない場合もあるんですよ。」と言うぐらいは必要だったかもしれません。そうしないと、こういう「ノイジー」な人たちは永遠に言ってくるので。
それにしても、こういう「ノイジー」で非常識な人たちはどうすれば良いのでしょうね。我々の貴重な勤務時間は、こういうモンスターへの対応でなくなっていくのです。