タイトルに「大変な」を入れました。
実際、大変です。
それでも心は不思議と病みません。
なぜなら「どこか冷めている自分」がいるからです。ときどきクラスが大変で休職される方がいらっしゃいますが、優しくて真面目な方が多いように思います。私はどちらかというと「冷酷」なタイプです。
いくら大変な子を受け持とうが、究極を考えると次の3つを思い出します。
1 どれだけ大変な子がいてクラスが荒れようと、給料は下がらない。
2 どれだけ大変な子がいてクラスが荒れようと、首にはならない。
3 どれだけ大変な子がいてクラスが荒れようと、命は取られない。
逆に「給料上げろよ!」と思っているぐらいです笑
もっともっと突き詰めれば「自分の子供ではない」となります。が、大変な子も、将来その地域に住む可能性は十分に考えられるので、非行に走らないようにしないとなとは思います。公教育とは未来の治安を守る役割があると考えているからです。
優しくて真面目な先生ほど
「もっと自分がしっかりとしなくては」
と思いがちですが、そんなこと考える必要はないと思うんですよね。
「問題を起こしたらそのクラスの担任のせい」みたいな考え方が蔓延っているから、クラス担任を敬遠する人が増えてしまい、教員のなり手も減ると思います。クラス担任を、しかも大変なクラスの担任をしているただそれだけで、その先生は十分職責を果たしていると考えます。
大変なクラスを受け持ったら、「子供を成長させなければ!」などという高尚な考えは置いておきましょう。「子供を成長させたいのなら、人と金を持ってこい!」と管理職に言うくらいでちょうどいいのです。