今日ふと思いついたこと。なぜ学級担任が大変なのか。
それは
「小さな、それでいて結構シビアな判断を、1日中何十回もしているから」
です。
1つ1つの判断は小さいものですが、もしも判断を間違えると、学級があっという間に奈落の底に落ちるような決断を常時しているのが担任です。
例えば、子供が授業開始後、次のように言ってきたらどうしますか?
「先生、教科書がない。」
1年生では「あるある」ですね。
しかし、これを笑顔で許すわけにはいきません。次の2点の指導が必要だと即座に「判断」し、実行に移す必要があります。
1 授業が始まってから忘れ物について言いに来たこと
2 「教科書がない」と言うのではなく、「教科書を忘れたので、貸してください」など、対処法まで言うこと。
1年生には難しい? いえいえ、これをそのまま放置していたら大変なことになります。子供たちは「授業が始まってから忘れ物があることを先生に言えばいいんだ」と誤学習してしまいます。その子の行いによって、授業が止まってしまうのですから、ほかの子が真似をするのは絶対に避けなければなりません。
また、言い方にも指導が必要です。忘れたことを述べられるのは1年生にしては立派な部類に入るのかもしれませんが、小学校の最初だからこそ、「自分はどうしたいのか。」「先生に何をしてもらいたいのか。」を言えるようにしつけていく必要があります。そうしなければいつまでたっても先生に何かしてもらわないと動けない他律的な人間になってしまいます。ちなみに、対処法が分からなければ「教科書を忘れました。どうすればいいか教えてください」と言えば良いのだとも教えています。
これはごくごく小さな、ささやかな一場面を取り上げましたが、30人を相手にしていると、同様の場面はいくらでも出てきます。これらの判断を瞬間、瞬間に行い、しかもさばいていくことにこそ、学級担任の仕事の過酷さがあると思います。
今日の私の学級の「判断」の一部は以下の通り
・8時15分の始業のチャイムに間に合わなかった児童3名への対応。
・8時20分に遅れてきて、しかも服をびしゃびしゃにして登校した(雨だったから)児童への対応。
・8時20分時点で、欠席連絡が分からなかった児童1名への対応。
・8時25分宿題を集める際にノートの向きを揃えていない児童数名への対応。
・8時25分、朝の挨拶をする際に横を向いている児童数名への対応。
などなど。
上記はどちらかというと良くないことが多いのですが、学級では素敵なこともあります。例えばトイレのスリッパが整っていたときに、どう判断して、教師はどう子供に声を掛けるのかなどです。
朝から昼過ぎまで判断の連続をするからこそ、放課後、私はぐったりしているのだなと気づけたこと、それが今日の一番の収穫です。