小学校教師クラメロンの日常

関西のみかんが有名な県に住んでいます/小学校教員 https://x.com/mohru1201?s=21

目指す子供像は、自らごみを拾う子

毎年4月、春休みにすることがあります。それが目指す子供像をノートに書くことです。夏休みになると、今の時点での学級の振り返りをします。目指す子供像にどれだけ近づいたのか検証し、場合によっては修正するためです。

 

目指す子供像は、毎年変わります。

 

受け持つ子供の実態、学年、そのときの自分の教育的考え、時代の流れ、学校の教育目標などに影響を受けるからです。

 

誰かが言っていたのか、自分で考え付いたのか分かりませんが、あるときふと思ったのです。

 

「目指す子供像は、自らごみを拾う子」だと。

 

そんなの当たり前?

 

いえいえいえいえ。

 

学級担任をしたことがある先生ならば、これがどれだけ難しいことか分かるはずです。

 

教室にごみが落ちていたとしましょう。紙きれでも、ティッシュでもなんでもいいです。

そのごみを拾う子が何人いるでしょうか?

 

多くの子は、気付いていても知らんぷり。平気でごみをまたぎます。

 

どの学校の教育目標も、研修テーマも実に高尚です。

深い学びの実装だったり、多様性の包摂であったり、高次の資質・能力であったり、自己調整学習であったり。それらは確かに価値あるフレーズですが、もっともっと、もっともっと、現実の子供の具体的な理想像を描きたい、その答えが「自らごみを拾う子」です。

 

本当に難しいです。このテーマは。

 

よく「逆上がり全員合格」や「長縄跳び連続❍回達成」を目指す担任がいます。これらも素敵なことだと思いますが、体格的に心理的に難しい子もいます。ですが、目の前に落ちているごみならば、誰でも拾うことができます。

 

つまり

 

「誰にでもできることを、誰もがする学級」

 

に育てたいのです。

 

以上のことを子供に語ったとしましょう。ごみの落ちていない学級は(ニューヨークの割れ窓理論を援用して)トラブルが少ないことを伝えてもいいでしょう。きっと心ある子供たちは、翌日からごみを拾うはずです。

 

しかしそれは全体の数割に過ぎません。また、教師が褒めて価値づけたとしても、教師が見ていないところで拾うかというと分かりません。さらに、褒めて一時できたとしても、半年たったときに学級の何割が拾っているかというと、ほとんど拾っていないのだと想像できます。

 

教師が率先して拾えばいいという考えもあります。

 

かつて先輩の先生が「ごみを自分から拾う子は、担任時代ついぞあらわれなかった。だから毎朝、私が教室を掃除していた。まあ、学級が荒れることはなかったけれどね」と仰っていました。

 

そうなんです。

 

教室がきれいであれば学級はそう簡単に荒れません。ですから教師が掃除すればよいのです。子供ですから、掃除をしても充分には行き届きません。最近は、掃除が毎日ない学校も多いと聞きますから、教師が朝、子供の机を拭いたり、床を掃いたりするのは、むしろ素晴らしいことです。

 

ですが、私が目指したいのは、自分たちの教室を自分たちできれいにし続けようとする集団です。いえ、別に教室に限ったことではありません。ごみが落ちていたら拾う。その当たり前of当たり前を、当たり前にできる子に育てたいのです。

 

目の前に落ちているごみに「気付く力」、腰をかがめて取ろうとする「行動力」。

 

どちらも大事な力です。ごみを拾う、日常の極めてささやかな行動を、自然に行える子ならば、集団ならば、いじめなど起きようもないでしょう。

 

そんなことを考えていたら、1学期は明日金曜日で終了でした。また2学期から頑張ります。

自分の子供には使わない言葉

自分の子供には決して使わなくても、学校で出会う子供には結構使う言葉があります。

 

それは

 

「無理しないでいいよ」

 

です。

 

・体調が悪そうで、体育をするかどうかどうしようか迷っているとき

・学校に来るのがしんどそうなとき

・宿題をするのが大変そうなとき

 

つまり何らかの困難に出合っている子供に対して使う言葉です。

 

この言葉は便利で、保護者への説明にも効果的です。

 

「無理しないでいいよと言ったんですけれど、本人が○○をすると言ったので…」

 

と言えます。

 

本人の思いを大事にし、本人への気遣いもばっちり。とても使える言葉です。

 

ですが自分の子供には決して使いません。

 

なぜか?

 

無理しないでいいよなんて、無責任極まりない言葉であり、甘えを助長させるだけの言葉だと思うからです。

 

自分の子供の養育の責任は私にあります。だからこそ無理をさせるときは無理をさせなければいけないと考えています。嫌なことがあったとき、大変なことがあったとき、逃げていいよと言う風潮がありますが、個人的には大反対です。逃げ癖がつくだけです。

 

ただ、学校においては話は別。無理をさせた結果、子供が潰れたり、不登校になったりしてしまっては大変ですからね。

 

つまり教員は責任をもてないので強く言えない。ですが自分の子供には強く言えるということです。

 

言い換えれば「厳しく言えるのは親だけ」となります。

 

今の時代、教師は厳しいことを言えません。たとえそれが事実であろうと、です。

 

例えば小学校低学年にして、毎回のプールを見学する子がいます。大きなけがもありませんが、親が許可している以上、教師としては何も言えません。その子は結局、10回のプール指導のうち、1回しか入らず、7月のプールは終了しそうです。(9月も実施するので、そこでどうか)

 

これでいいのかどうかは知りません。自分の子供が同様のことになったらどうするか。絶対に許しません。よほどの怪我や病気でない限り、学校のプールは皆出席させます。

 

もちろん、あまり厳しくしすぎると毒親になってしまいますので、そこの塩梅は考えます。ですが、厳しく言えるのは親だけですので、壁になることも必要かなと思うのです。

指導要領原理主義者

学習指導要領には法的拘束力があります。指導要領から逸脱した指導をすると処罰される恐れがあるというわけです。

 

指導要領は専門家や文科省の役人の方々が汗水たらして作ったものです。よく練られてあります。また、わりと漠然とした内容が書かれており、現場の裁量を大きく認めていることが伝わります。

 

しかし。

 

今年度、本校に赴任した校長先生が、指導要領を金科玉条のごとくあがめています。何かにつけて「指導要領では~」と言い、普段の授業を参観した後「この授業は指導要領のどこに位置づけているの~?」「指導要領では○○と書いてありますよね」とねちっこく授業者に尋ねています。

 

私はこのように、授業を参観した後、指導要領うんぬん持ち出してくる人を「指導要領原理主義者」と呼んでいます。

 

指導要領がいらないと言っているのではありません。大事です。しかし、指導要領に縛られ過ぎてもいけないでしょ、とも思います。まして、普段の授業で指導要領を読み込んで授業に臨んでいる人がどれだけいるか。

 

例えば、普段の運転の前後に、道路交通法を読み込んでいるのでしょうか。

 

いませんよね。

 

せいぜい教習所で習ったことをときどき思い返す程度です。

それでもおおむね問題なく運転できているのは、信号や交通標識のおかげです。

 

つまり指導要領は道路交通法のようなものであり、教科書や発問技術などが信号や交通標識のようなものです。普段の授業で見るべきは、教科書を上手に使っているか(信号を正しく守っているか)、発問は子供に十分に伝わっているか(交通標識の意味を理解しているか)などです。

 

指導要領原理主義者は、たいていの場合、管理職や行政職です。それしかよりどころがないのでしょう。逆に担任をずっとしている人は、指導要領のことを多く言いません。それよりも「子供の実態や反応」「教科書をいかに上手に使うか」などの方が、役立つし大事だと肌身に感じているからです。

 

あんなに分厚くて、文字情報ばかりの指導要領を、どれだけ普段、読み込むことができるのか。そんな余裕が現場にあるのか。まずその余裕を作ってから話は始まります。管理職や行政職に問いたいのは、その点です。

学級経営を教えない教育実習

教育実習生を受け持っています。3回目です。

 

どの実習生もよく頑張っていて、日本の未来は明るいなと思いました。が、今回言いたいことはそんなことではなく。

 

教育実習で何をするのかというと、主に授業です。私の学校の場合、3週間の実習期間で6回授業をします。授業の前に指導案を書くのが大変で、どの実習生も苦労していました。

 

3回、教育実習生を受け持っての感想が今回のブログの主張です。

 

「教育実習生が学ぶべきは授業ではなく学級経営」

 

教育実習生のうち、何割かは教員になります。教員になったときに何に一番困るのか。それは学級経営です。もちろん授業も大変です。1日の7割以上が授業時間なのですから、授業の仕方を学ぶのが大事なのは分かります。ですが、授業の仕方は大学でも教わりますし、教科書をなぞっていけばある程度できます。究極的に言えば、プリントでもNHK for schoolでも見せておけばよいのです。

 

問題は授業以外の対処です。例えば次のような状況のとき、どうすればよいのか。

 

・給食のおかわりの仕方

・掃除のシステム

・宿題の丸付け

・けんかの仲裁

・保護者からの電話

・アレルギー対応

 

…このあたりのことは、どの学校・どの学級でも当たり前のように毎日あります。ここに教員は心血を(注ぎたくないけれど)注いでいます。

 

以上の点をクリアした後、授業をさてどうするか…という問題があらわれます。授業が先にあると思いがちですが、実際は違います。学級経営が先です。

 

ここまでくると、そもそも学級経営とは何かという問題になります。学級経営とは、学級で起こる諸活動全てを指します。朝、子供が来る前から、下校し教師が帰るまでに行う全ての活動です。範囲が広すぎますね。日本の教師が疲弊するわけです。しかし現実問題、この学級経営を何とかしないと、毎日が地獄になります。

 

ですから教育実習生が学ぶべきは、授業ではないのです。

 

現場の教師がもがいている学級経営こそ、学ぶべきです。

 

具体的には

・宿題の丸付けをやってみる

・給食のおかわりを仕切ってみる

・休み時間の子供のトラブルを聞いて、解決する

・会議に参加してみる

などなど

 

授業なんて、氷山の一角に過ぎないと思い知らされるはずです。

 

でも、大学も現場の人たちも以上のこと、つまり教員が大変なのが授業ではなく学級経営ということは分かっているのかもしれません。分かっていて、教育実習生には見せない・教えないのかも。

 

それはなぜか。

 

大変だからです。

 

学級経営のしんどさを伝えたら、ますますなり手が減ってしまうから!

 

なるほどね。それならば授業だけ何回かして、いい思い出だけ残して大学に戻すのは理にかなっています。それが本当に実習生にとって良いのかは知りませんが。

研修は自分に引き寄せよう

教員研修の中に、授業研修があります。他人の授業を参観し、良かった点と改善点を互いに言い合う研修です。

 

どの学校でも年間数回ずつありますね。授業者になるかどうかはその年の状況によるでしょう。若手が授業者になることが多いようです。

 

さて、この研修。授業者になるととても多くの学びを得られます。授業準備でもたくさん勉強しますし、授業後にはいろいろと指導を受けるわけですから。

 

問題は参観者です。当たり前ですが、授業者は各学校、年間数人ですので、ほとんどの先生方は参観しかしません。それでいて、いろいろと言いたいことを言うのです。

 

このとき研修内容を自分に引き寄せられるかがポイントだなと思います。

 

例えば授業を見たときに、次のような感想をもったとしましょう。

 

・導入に時間がかかりすぎている。もっとすぐに本題に入った方がいい。

・授業者(教師)が話しすぎている。

・グループでの活動で、何もしていない子がいるな。教師の声かけが必要だ。

・時間をオーバーしている。

 

これらの感想を、授業後の研修会で発言する先生は大勢います。

 

しかし大事なことは、こういった感想を、自分の授業に引き寄せて考えてみることです。

 

すると意外と自分もできていないことに気付きます。そして、それこそが研修の意義だと思います。

 

・自分も導入に時間をかけているな。

・自分も話過ぎていて、子供は飽きているかも。

・グループ活動ではほったらかしにしていたな。

・今日の3時間目の授業はオーバーしてしまったな。

 

つまり、代表となった教師の授業を見ることを通して、自分の授業を振り返ることこそが研修なのです。授業者の批評が目的であってはなりません。

 

「人の振り見て我が振り直せ」です。

 

しかし、これは多くの人ができていません。

 

研修が好きで、いろいろ他人の授業を批判する人なのに、自分の授業はダメダメだったり、ひどい場合は学級崩壊をしたりする先生はたいてい、このパターンです。つまり自分に引き寄せた研修ができていないのです。

 

ではどうすればいいのか。

 

研修の最後に、司会者が尋ねればいいのです。

 

「今日の研修で出てきた意見を観点として、自分の授業を振り返ってみましょう。」

 

そうすれば

 

・子供への声掛けが足りなかったな。

・授業の目標が曖昧なことが多い。

・視覚的な支援がもっとあるといいだろう。

 

など、自分の授業に引き寄せて考えられます。

 

他人事になりがちな研修を、自分事に引き寄せられる研修にしたいものです。

授業は基本、追試でよい

教師の世界で言う「追試」とは、再試験のことではありません。

 

優れた授業をマネする意味で使います。

 

私は、普段の授業は基本、追試でよいと考えます。

 

今は情報があふれている時代です。一流の先生の優れた実践はいくらでも手に入ります。それを普段の授業で実施するのです。優れた実践をマネするのですから、子供の反応は良いでしょう。

 

私は普段の授業はそれでいいと思います。

 

多忙な中、ゼロベースで指導要領や教科書とにらめっこして授業を考える余裕など、ありません。

 

「巨人の肩に乗る」

という言葉があります。(ニュートンが広めたらしい)

 

優れた先人を土台にすることで、遠くまで見ることができるというたとえです。

 

授業実践も同じでしょう。

 

「追試」に批判する人もいます。主張はこうです。

 

「子供は一人一人違う。学級によっても違う。そもそも有名実践家は授業だけでなく日々の学級経営も違う。授業の発問や指示だけをマネしてもうまくいかない。」

 

その通りだと思います。ですから「追試」よりも「修正追試」が大事だと述べる方もいます。前者は、ただ発問や指示をマネするものですが、後者は自身の目の前の子供の実態に合わせて追試を修正するものです。

 

ですが、そのようなことは教師ならば当たり前に行うことです。

 

優れた実践を知ったとしても、次のように教師ならば誰でも思うはずです。

 

「うちのクラスではこの投げかけはうまくいきそうにない。だから○○という視覚的支援を取り入れよう」

 

多くの教師は自然と修正追試を行うというわけです。

 

ですから、追試をすればいいのです。

 

追試の良さは、子供の反応の違いが如実に分かることです。そうすれば

「今までの自分の授業は何だったのか」

「何が違うのか」

「どうすればいいのか」

と、これまた自然と思考が働きます。

 

そうすることで「先行実践がない」状態でも取り組むことができます。例えば総合的な学習の時間もそうですよね。

 

なんといっても子供はうれしいはずです。追試されるほど優れた実践なのですから、力もつきます。子供が満足する授業をするためには、教師がいちから考えるような「手作り信仰」を捨て、どこかの誰かがつくった「弁当授業」もよいではありませんか。

 

そんな提案でした。

 

 

赤坂真二先生講演会in静岡県三島市

上越教育大学の赤坂真二先生の講演会を聞いてきました。大学時代の友人が企画した研修会だったので、新幹線を使って行きました。

 

赤坂先生は学級経営で非常に有名な先生です。おそらく日本で一番有名ではないでしょうか。日本学級経営学会の代表でもいらっしゃいますからね。1~2時間の講演会は数あれど、5時間以上まとまって赤坂先生がお話される機会はそう多くないと思い、参加しました。

 

結論から申し上げますと

 

「大変、極めて、過去に類を見ない程よかった!」

 

対面というのがまた良くて、オンラインセミナーでは感じ取れない赤坂先生のテンポ感、巻き込み感が圧倒的でした。対面(リアル)はいいなあと思いましたね。

 

学びをいくつか記します。

 

☆教師の信念が全てのはじまり。

 

赤坂先生が今回、最も強調されていたことです。

 

多くの先生は授業のやり方を学んだり、子供への効果的な声掛けの方法を知りたがったりします。それらも大事なことですが、赤坂先生は、教師の信念が個人の指導につながり、それが学校全体へ浸透し、最終的に教師の潜在的な影響力となると仰っていました。

 

皆さんも経験がありますよね。

 

同じことを言っていても、

あの先生が言うと誰も聞かないのに

この先生が言うとみんな聞いている。

 

これはその先生の信念から生まれてきた「影響力」の差なのだと赤坂先生は指摘されます。

 

もちろん影響力には、年齢や体格、雰囲気もあります。しかし例えば

 

「子供はとにかく言うことを聞かせてなんぼ。まずは厳しく規律を!」

という先生と

 

「子供の言い分を聞いたり、心情に寄り添ったりした上で、しつけをしていったほうがいい」

と考える先生とでは

 

当然、指導内容も指導方法も変わります。醸し出す雰囲気も違います。

 

ですから教師としての信念を問い直しましょうよ、と赤坂先生は仰るわけです。

 

☆学級経営は子供に「成長を促す機能」と「癒し機能」の2つあり、相反する行為を両立させるものである

 

成長を促すとは「今のあなたではだめ」という機能のこと。

例えば箒の持ち方から、理科の実験器具の取り扱い方の指導に至るまで、学校現場では常に子供の不備不足を指摘しあらためさせます。

 

反対に癒す機能とは「今のあなたでいいよ」という機能。

 

どちらが大事か?

 

もちろん両方大事なわけですが、赤坂先生はいくつものエビデンスをもとに

 

「癒し機能をたっぷりすること。その上で成長を促す機能をはたらかせること」

 

と仰います。

 

令和の時代の難しさはここです。昭和~平成初期までは厳しさ一辺倒でもなんとかなりましたが、平成中期~から変化し始め、今では子供との関係性をいかに築き上げるかが大事となりました。

 

癒し機能を働かせる具体的方策として、赤坂先生は

 

1納得感のある方向付け

2自律の促進

3安心承認

4伴走のための対話

 

を提示されていらっしゃいました。

 

☆学級経営は1年間丁寧に丁寧にやらなければだめ。4月だけ頑張ればいいわけではない!

 

はい…。最近特にそう感じます。

 

☆縦糸横糸のバランスを支えるのは信頼

 

縦糸横糸理論(織物モデル)をご存知でしょうか?

 

学級経営で非常に有名な理論ですので、ぜひインターネットで検索してみてください。

 

この縦糸横糸理論について赤坂先生は、どちらも大事だが、そのベースにあるのは信頼だと言います。受容的関わりがしつけにつながり、秩序の整ったクラスになり、和やかな雰囲気となるそうです。

 

厳しさが先か、受容が先か。教師の世界でもよく話題になることですが、赤坂先生はエビデンスをもとに明確に教えてくださいました。

 

他にもいくつもいくつもの名言が飛び出しました。

 

例えば

・指示発問が授業なのではなく、子供とつながることが授業である

・学級経営ができて当たり前というのは昭和で終わっている

・授業を失敗して休む先生はいないが、子供や保護者との関係が悪くなって休職辞職する先生は山ほどいる

・あたたかさなき学級は、学級ではない。

 

名言の宝庫でした。

 

本当に本当によい学びとなりました。ありがとうございました。

「速さ」より大事なこと

教師になりたての頃、とにかく「スピード」を意識していました。

 

給食の配膳時間をストップウォッチで計測したり、所見を誰よりも早く提出したり、数か月先の提案文書を起案したり。

 

でも、スピードを意識しすぎると苦しいんですよね。自分も、子供も、周りの先生も。なんとなく追い立てられている感じがします。

 

ここ数年は、「スピード」よりも「スムーズさ」を大事にしています。

 

「スムーズさ」とは、「ここを押さえておけば、あとは勝手に動く」という核を見つけることだと思っています。

 

給食の配膳で言えば、私が意識して指導するのはこの2点だけです。

 

  • 配膳台の準備を最優先にする(台が空いていないと、食缶を置けない)
  • 盛り付けは1回ですくい切る(何度もすくい直すと時間がかかる)

 

配膳が完了して最後の一人が着席したと同時に「手を合わせてください。いただきます」。それだけ。

 

これだけを徹底すれば、低学年の4月でも配膳が10分以内に終わります。

 

さらに最近は、「スムーズ」の先にある「スマートさ」も意識しています。

 

「スマートさ」とは、洗練されている状態のことです。

 

給食で言えばこういう状態です。

 

  • 配膳が終わったとき、おかずが配膳台や床に落ちていない
  • 大声で話しながら準備している子がいない
  • 盛り付けがおおむね均等

 

何が違うかというと、余計な指導が減ります

 

「私のスープがみんなよりも少ない」「しゃべっていたら食器を落とした」というトラブルが起きにくくなるのです。

 

これは給食に限りません。

 

例えば授業でいえば、「指示を出す前に全員が聞く体制を作る」という一手間が、後の「聞いていなかった」トラブルをまるごとなくします。先手を一つ打つだけで、後の対応が激減する。

 

つまり、大事なのはこういうことだと思っています。

 

作業にかかる時間を短くするのではなく、作業そのものを減らし、トラブルが起きる前に手を打つ。

 

タイピングが人の2倍速くても、無駄な業務を山ほど抱えていたら仕事は遅くなります。良い学級は、仕組みが洗練されています。それは、仕事の進め方でも同じだと思います。

がんばりどころは今ではない!

新年度が始まりました。

 

この時期、職員室は張り切った雰囲気で満ちています。

 

別の学校に異動した方には緊張感や新鮮さがありますが、異動しなかった方も新しい学年部・分掌に希望と不安がまぜこぜの状態になっているはずです。

 

正直言って、私は子供が来るまでのこの職員室の雰囲気が嫌いです。

 

やたらと張り切って仕事をしている先生もよく見かけます。

妙にハイテンションな先生もいます。

仕事の割り振りを声高々にする先生もいます。

 

この雰囲気が苦手なのです。

 

いやいや、がんばりどころは今じゃないだろう、と。

そのテンション、張り切った感じをいつまで保たせるつもりか?と。

 

教師の仕事の本質は授業です。授業の本質は学力向上です。

それが始まるのは4月の第2週からです。

さらに、一番忙しくなるのは5月や6月です。特に6月は祝日がない死のロードです。

ここのタイミングで力を注げるようになっていなかればいけません。

 

そうなると、がんばりどころは今ではないことが分かるでしょう。

 

むしろ4月の第1週はあまり飛ばさず、無理せず、定時で帰る(むしろ年休をとって早めに帰る)ことが大事です。エネルギーの充電期間です。

 

いやいや、準備の時間が大事なのだという意見もあります。

 

確かに昔は私もそう考えていました。しかしながら、「その準備は本当に授業や学級経営につながっているのですか?」と問いたいのです。

 

例えば教材研究。これを今の時期に頑張る気持ちは分かります。いわゆる「黄金の3日間」の準備に力を注ぐのも分かります。一方で、紙ファイルの色を何色にするかを話し合ったり、歯科検診の紙をクラスごとに並び替えたり(歯科検診は4月後半)する必要性は高くないでしょう。

 

残念ながら、教材研究に時間を使っている先生などほとんど見たことがありません。その掲示物は今作らなくてもよいのでは?と思うようなことに時間を費やす人の多いこと、多いこと。

 

がんばりどころを間違えないようにしましょう。特に学年主任の方々は、学年の先生方が妙なポイントに力を入れなくてよいよう配慮していただきたいものです。

自分の勝ちパターンを知っておく

年度末です。

 

私は今年度、比較的いい1年間を過ごせました。

 

教師になって10年を超えました。いい1年間だったと思える年と、そうでない年に分けたとき、勝ちパターンのような共通点が見えてくるようになりました。ここでの「勝ち」とは、「いい1年間だった」と年度末に言えることとします。今年は「勝ち」だったというわけです。

 

自分の中の勝ちパターンの条件は3つです。

 

①子供の質

②インプットの量

③アウトプットの量

 

①子供の質

いきなり自分ではどうしようもないことからのスタートです。ですが、学級担任をしていて、子供の質の差は厳然と存在していると感じます。

 

・いきなりパニックになって椅子や鉛筆を投げ飛ばす子

・廊下に飛び出す子

・バカと言われて嫌だったからと言って、相手の顔面を殴る子

・無断欠席を繰り返す子

・5年生なのに1桁のたし算ができない子

・ピアスをしてくる子(これは今の時代、かない多いが)

・出会っていきなり「邪魔だ!どけ!死ね!」と言ってくる子

・暑くなると裸になる子

・日本語が全く通じない(親も)外国籍の子

 

まあ、いろいろな子を受け持ってきましたが、このような子が学級にいるときといないときでは、その1年間の幸福度が変わってきます。当たり前ですよね。

 

私の場合は「他人に迷惑をかけない」子供の場合は、何とかなるなと思います。

 

上記の例で言えば、「無断欠席を繰り返す子」や「5年生なのに1桁のたし算ができない子」、「ピアスをしてくる子」です。

 

他人に迷惑をかけないのですから、極論、自分の自由です。

 

問題は他人に迷惑をかける子です。

 

暴言や暴力は分かりやすいですよね。それだけではありません。話が通じないから周りが相当配慮をしなければいけなかったり、廊下に飛び出した子に担任が対応するため学級が自習状態になったりするのです。

 

このような子の対応は本当に骨が折れます。そして大抵の場合、1年間担任がいくら頑張っても、大して問題は解決しません。

 

究極的には「素直な子」が一番です。

素直な子の集まり、つまり素直な集団の学年・学級であれば、その1年間はおおむねOKと言ってよいでしょう。

 

この「①子供の質」は自分の力ではどうしようもない部分が多く、運ですね。しかし最もその1年間の幸不幸を左右します。

 

②インプットの量

 

子育てをして、インプットの量が明らかに減りました。

 

インプットの方法は様々です。先輩の先生の授業を見に行ったり、本を読んだり、研修会に参加したりすることが良い例です。

 

子育てを始めると、これらの時間が削られます。授業を見に行く余裕があれば、事務処理に使います。読書や研修会参加などもってのほか、全て子育てに時間を使わざるを得ません。

 

私はここ数年間、インプットの量の圧倒的な減少を味わいました。

 

短期的には、ほぼ影響がありませんでした。それは今までの貯蓄があったからです。しかし1年、2年と経過するうちに、弊害が出始めました。

 

モチベーションが上がらないのです。

 

新しい実践を知らないのですから、旧態依然とした方法に固執しがちになります。

 

新しい実践を知らないと、刺激を受けないので授業や学級経営がマンネリ化します。

 

これではだめだ!

 

そう思って、最近、再びインプットの量を増やし始めました。

 

朝早く起きて読書をしたり、月に1回だけオンライン研修に参加をしたりしています。

 

独身時代に比べるとインプットの量は落ちますが、それでもここ数年に比べるとマシです。すると刺激が入るので、実践にも張りが出てきました。

 

なるほど、自分の勝ちパターンの1つだなと思ったわけです。

 

③アウトプットの量

 

インプットだけでなく、アウトプットも大事です。当たり前ですね。

教師の場合はアウトプットがしやすいです。本で学んだことを、明日の授業や学級経営に生かせますから。

 

研修会で、算数の面白い導入の方法を学んだら、翌日から試せます。

 

教師の仕事の素晴らしさは、速攻で使えることがあり、しかも子供の反応でその良さをすぐに味わえるところだと思います。

 

ですから、インプットの量を増やせば自然とアウトプットの量も増えます。

 

すると授業や学級経営が生き生きとして、結果的に子供と教師の関係性もよくなり、1年間を楽しく過ごせます。

 

加えてここ最近、私は自分の所属するサークルでの発表回数を増やしたり、地区の論文に応募したりしています。

 

国語教育の大家でいらっしゃる野口先生は次のように仰っています。

 

「経験は意図的に積み重ね、整理を加えなければならない」

 

野口先生が先輩の先生(当時の校長先生だったと思いますが)から伺った言葉だそうです。

 

「整理」をしないと「実践的埋没者になってしまう」と野口先生は仰います。

 

以上の3点が、自分の「勝ちパターン」です。

 

「勝ちパターン」は人それぞれでしょう。皆さんの「勝ちパターン」をこれまでの経験から帰納的に見つけ出し、来年度に当てはめてみてはいかがでしょうか。まあ、私の一つ目の勝ちパターンは当てはめようがありませんが。