小学校教師クラメロンの日常

関西のみかんが有名な県に住んでいます。小学校教員。3.5.2.6.5異動1.4.特別支援学級.5.1という流れ。今年も生徒指導主任。

予測力を高めよう

「叱る依存が止まらない」という本を読みました。

 

 

 

叱ることを避けるには、事前に予測をして、「前さばき」をすることが大事だと。

 

例えば、忘れ物をしがちな子供に対しては、事前に予定を一緒に確認すればいいですよね。忘れ物が減り、結果、叱ることも減るでしょう。

 

教師が叱ることを避けるためには、「この後、何が起こるのか」を予測する力を高める必要があります。

 

予測力は経験がものを言います。

 

当たり前ですよね。新卒1年目の教師と30年目のベテランの教師とでは、子供が何をするか、どんなトラブルを起こすかといった予測力に違いが生まれます。

 

どうすれば予測力を高めることができるのか。

 

著者は、1日の始まりのときに今日起こる事態を予測し、どんなことをすれば避けられるかを考えるとよいと仰っています。また、1日の最後に、予測がどれだけ当たったのかを振り返ることも大事だそうです。

 

例えば、3時間目に体育があるのならば、体育でどんなトラブルが起こるのかを事前に予測し、対策を打っておく。対策が功を奏したのかを確認する必要があります。

 

対人、特に対子供に関する予測は、本当に難しいことです。

 

私が受け持つ1年生の子供は、次の瞬間には「えっ!そんなことをするの!?」ということがよくあります。

 

反対に、事務仕事の予測力は結構簡単に高められます。

 

見通しをもって行動するといっても良いでしょう。

 

今日1日だけでなく、1週間、1ヵ月、3か月、1年先のことを考えながら行動すればいいわけですから。

教員の仕事は不文律が多い

不文律とは、暗黙のルールのこと。

 

教員の仕事は不文律が多いと思います。

 

教員の仕事の本丸は授業でしょうが、授業1つとってもマニュアル化はされません。子供のトラブル対応も、何となくのパターンはありますが、これまたマニュアルはありません。

 

人間関係なのだから当たり前かもしれません。しかし、ある程度の法則性はあります。せめて、「よく見かけるパターン」や「こうするとうまくいく流れ」のようなものはほしいところです。例えば子供のけんかの裁き方など。手引書と言っても良いのかもしれませんね。

 

ただ、手引書もいったいどこまで作ればいいのか分かりません。

 

授業や生徒指導、けがへの対応は作るべきかもしれませんが、教員の仕事はそれ以外にも膨大にあります。

 

例えば、先日の私の1日の業務内で「これは不文律だなと思ったこと」と言えば

・テストの返却の仕方(そもそも、いつテストを返すべきか、どのように返すのが良いか、返却後はどう指導するのか、再提出はさせるのかどうか等々)

・朝、登校が遅い子への対応(いつ、迎えに行くのか、いつ電話をするべきか、登校してきた瞬間に何と声を掛けるか)

・体育着を忘れた子への対応

 

他にも、掃除や給食の指導、休み時間に廊下を走る子への指導、下校したときにいつまでも残っている子供への声掛け、カーテンの取り外し、トイレの清掃、ワックスがけ、教室に転がっていた鉛筆の処理の仕方などもあります。

 

これらの全てをマニュアル化することはできません。マニュアル化しても、読む暇もありません。

 

結果的に、OJTという名のもと、「なんとなく」教員の仕事が進んでいくわけです。

 

なぜでしょう?

 

教員の仕事が極めて薄く広いからです。

 

掃除用具の入れ替えから、子供のトイレの失敗への対応まで、本当に様々です。

しかし一つ一つの事象を見れば、そこまで専門性はいらないものばかりです。カーテンの取り換えも、子供の転んだときの対応も、特段難しいスキルはいりません。

 

ただ、どれもちょっとしたコツは必要です。

そのコツが明文化されていないところが難しいところです。

 

さて、この先、教員の仕事はマニュアル化されるか?

 

確かに生成AIは登場しましたが、完全なマニュアル化は厳しいでしょう。

 

対人間というのは予測不可能な仕事ですからね。どこで子供がトラブルを起こすのかは、その子次第です。

 

この「不文律な文化」で困るのは誰でしょう?

 

それは新しく入ってきた人です。

 

今、どの学校にも若手がたくさんいます。若手にとっては、分かりにくい職場でしょう。

 

それだけではありません。

今後は地域の人材を活用しようという流れになっています。正規の教員以外の人も学校に入ってきます。そのときに明文化されていない学校文化(しかもその学校にだけ通用するもの)に、きっと入ってきた人は戸惑うはず。

 

そういった「不文律な文化」にうまく対応できる人は学校に残るでしょうが、対応できない人は学校から去って行ってしまいます。

 

どうすればいいのでしょう?

 

やはり学校の仕事を、しっかりと分けることが大事だと思います。

 

教師の仕事は「授業と生徒指導と保護者対応」にする。

事務的なサポート役として職員を募集して、印刷業務や給食代金の聴衆はその方々に任せる。

虐待児への対応はスクールソーシャルワーカーに任せる。

 

人が足りない?

 

それなら授業をオンデマンドにしましょう。教育のDX化とは、仕事のDX化です。もっともっと生産性を高めて、人が残りやすい職場にするべきだと思います。

できる人は全部できる。できない人は…

毎年、成績をつけていると思います。

 

「できる子は全てできるし、できない子は全て残念なことになっているなあ。」

 

数年前まで、「関心・意欲・態度」という項目が各教科にありました。多少、勉強が苦手でも「一生懸命にノートに書いたり発表したりしているから、関心意欲態度だけは評価を高くしてあげたいな」と思うこともありました。実際はそれではいけない! そんな声が高まり、今では「主体的に学習に取り組む態度」が育まれているかどうかの評価になりました。「主体的に学習に取り組む態度」は、「自らの学習を調整しているか」と「粘り強く学習に取り組んでいるか」によって構成されます。まあ、小難しい話はさておき、ただ一生懸命に真面目に頑張っているだけではダメになったわけです。

 

その結果、「できる子」はほとんどすべての教科項目で「よくできた」(◎)を獲得するでしょう。逆に「できない子」はほとんどすべての教科項目で「頑張りましょう」や「もう一歩」(△)になるでしょう。

 

よく「何か一つに秀でている子をもっと認めよう!」と言います。

 

そういう子もいますが、小学校段階の場合、何か1つできる子は、他のこともほぼ全てできます。遺伝によるものか、家庭教育によるものかは分かりませんが、現場の先生方の実感として、頷けるのではないでしょうか。

 

さて、この「できる人は全部できるし、できない人は全部できない」という事実は、別に子供に限ったことではありません。

 

というのも、最近、仕事をしていて、「この人は仕事ができないなー。遅いなー」という人は、全ての業務において「仕事ができない」のです。

 

例えば、1つの書類を作成するのにも、膨大な時間がかかっています。

いえいえ、そんなたいそうな仕事ではなくても、たった1つのアンケートに○をするだけでも同じです。すぐに書いて提出すればいいのに、催促されないと提出しない…なんて姿をよく見ます。

 

そのような方は、事務仕事も、学級経営も、授業も全てのことが「いまいち」なのです。

 

考えてみれば当然で、求められる能力、使う能力というのは、どの分野領域にもある程度普遍性があるのでしょう。

 

「一事が万事」とはよく言ったものです。

 

裏返せば、何か1つのことを突き詰めていけば、あとはそれを周りに波及すればいいだけですね。

 

ともあれ、本当に、世の中は残酷なまでに二極化しているなあと思います。

トラブルが起こったときにどう思うか?

別に「ピンチはチャンス」と言うつもりはありませんが、子供同士のトラブルが起こったとき、「ああ!どうしよう!困った!!」と思う必要はありません。

 

逆です。

 

「ああ、子供たちにとって、いい勉強の機会になったな。」

 

と考えましょう。

 

数年前、私の学級で次のようなトラブルが起こりました。

 

下校中のことです。

 

その日、科学クラブでスライムを作ったようです。

数人で合作をしたようで、かなり大きなスライムだったよう。クラブをしているときはとても楽しかったようですが、いざ持ち帰るときになって、困ったことになりました。誰が持ち帰るのか。

 

作っているときは良いのですが、家には持って帰りたくありません。なにせべとべとしているから。

 

数人で押し問答になった結果、ある男子児童が持って帰ることに決定。

 

ただ、ランドセルにそのまま入れてしまったので、ノートやら教科書やらにべとべとになってくっついてしまいました。

 

翌日、ランドセルやノート類と共に、保護者から(結構お怒りの)連絡ノートが来ました。

 

そのとき、私が思ったことは何か。

 

「これは、いい勉強の機会になるな。」

 

です。

 

保護者としてはたまったものじゃあないでしょうし、その男子児童にとっても辛かったでしょう。が、それも学びなのです。

 

翌日、私は関係児童を集めて事実確認をしました。その後は「どうすれば良かったのか?」の指導です。

 

このトラブルには様々なターニングポイントがありました。

・スライムを作った後、数人で話し合ったとき、一人の男子児童に押し付けてよかったのか?

・どのような話し合いをするべきだったのか?

・持って帰るとしたら、どのように持って帰るべきだったのか?

・自分が持って帰るとしたら、何をしなければならなかったのか?

 

彼らが出した結論は以下の通り。

 

「話し合いでは、『誰が持って帰るか』ではなく『どうすればみんなが誰一人困ることなく、帰れるか』を考えるべきだった」「持って帰るのが嫌だったら、先生に頼んで捨ててもらえば良かった」「もしも誰か一人でも納得していなければ、とりあえず置いて帰るべきだった」「翌日、先生に言えばよかった」「持って帰るのなら、ビニール袋を先生にもらえばよかった」でした。

 

このようなことは、この先、いろいろなところで、形を変えて出現するでしょう。

 

「この選択をしたら、近い未来に何が起こるのか?」

 

予測力を高めると言ってもいいかもしれません。

そして予測力を高めるには、失敗から学ぶしかないのだと思います。

今年度の学級は何点だった?

「今年の学級経営はうまくいったな!」と思ったことは、一度もありません。

 

毎年度、何かしらの課題が見つかります。

 

「よし!次こそは!」と思っても、学年も子供も保護者も変わるので、反省が生かされている実感はあまりわきません。

 

そう考えると、60~80点ぐらいに収まれば上出来だと思います。

 

さて、2023年度もいよいよ終わりが見えてきました。

 

私の今年度の学級を点数付けすると、「30点」です。

 

子供たちは楽しそうですし、とりたてて保護者からクレームも来ませんでした。それなりに学級らしくなったと思います。

 

が、自分の中では、やはり「30点」です。

 

原因はいろいろあります。一番は?と問われたら

「自分の中で、アクセルを踏まないようにした」

と答えます。

 

「無理をしないようにした」とも言えるかもしれません。

 

頑張ろうとすればどこまでも頑張ることができるのが、学校教師の仕事です。しかし、頑張ろうとすればするほど、下手をすれば子供を追い詰めることになります。「熱心な無理解者」という言葉があるように、子供にとって必ずしも熱量の高い先生が良いわけではないと思います。

 

教師人生は長いです。

 

定年の延長はさらに促進されるでしょう。私が辞める頃には、70歳が定年かもしれません。

 

あと40年ぐらいある中で、30点の年度があっても良いと思います。

 

80点の年度もあれば、30点の年度もある。トータルで60点ぐらいの教師人生ならば十分ではないでしょうか。

 

無理をして、心や体を病んでしまう方がよほど大変なことです。

 

また、幸いにもこの職は、年度の切り替えがあります。異動もあります。自分の中の区切りをつけられるのが良いところです。

 

あなたの今年度の学級は、何点ですか?

私の考える小学校の人事

小学校あるあるなのが

 

低学年担任:ママさん先生

中学年担任:新卒がよく担任する

高学年担任:力のある先生or男

特別支援学級:ずっと特別支援学級or通常学級を担任できない人

級外(担任を持たない先生):ベテランor担任を持つと問題を起こす人

 

これは良くないでしょ、といつも思います。中でも一番どうなの?と思うのは中学年に新卒を担任させる仕組みです。確かに理屈は分かります。新卒1年目の人を1年生や6年生に充てることはあり得ません。が、ならば中学年ならば良いのかというと、私は全く逆の考えなのです。

 

私が考える人事は以下の通り

低学年担任:ベテラン

中学年担任:その学校のエース級

高学年担任:若手

特別支援学級:ずっと特別支援学級orその学校のエース級

級外(担任を持たない先生):担任を持つと問題を起こす人

 

低学年が大事なことは言うまでもありません。義務教育のスタートとして、その学校のベテラン勢を配置したいところです。

 

中学年にはその学校のエース級を揃えたいというのが、私の主張です。

正直言って、低学年のうちは学校生活に慣れることでいっぱいいっぱいです。授業らしい授業がスタートするのは中学年だと思っています。また、10歳の壁という言葉があるように、実は学力差が激しくなるのはこの時期です。だからこそ各校の最も力のある人たちを、中学年に充てることで、その後の学びや生活を安定化させることをねらいます。

 

残った高学年はどうするかというと、若手を中心に据えるのが良いのでは?と思います。

最近、どの学校でもベテラン勢が高学年の子供とうまくいかなくて苦労している様子をよく見ます。反対に、年齢が近いせいか、若い先生はそこそこうまくできている場合も見られます。中学年までに、しっかりと成長してきている学年ならば、思い切って若手中心の学年編成をしても良いと思います。つまり学校全体で中学年までに土台をきちんと作ることが大事なのです。

 

特別支援学級については、かつてブログにも書いたことがあるので割愛。

 

級外には、担任を持つと問題を起こす人を配置せざるを得ないのが現状ですね。そもそも教員の人数が足りていないため、級外の人員を確保することが難しい地域もあると思います。ただ、反対に級外に力のある先生が配置されていると、担任としては非常にありがたいのも事実。実際、本校では数年前、級外に力のある先生を数名配置していたため、安心して出張に行き、任せることができました。

 

もちろん、各学年のメンバーを「ベテラン・中堅・若手」としたり「父性・母性・子性」としたりするので、低学年だからと言って、全員ベテランの先生…にはいかないと思いますが。

叱るときには納得感が大事

子供を指導するとき、特に叱るときは、子供が納得をしたかどうかを確認することが大事です。子供が叱られたことに腹落ちすることなく帰宅させてはいけません。もやもやした状態で家に帰ると、翌日学校に行きたくないと言い出したり、保護者に自分の言い分を話して保護者が学校に怒鳴り込んだりしてきます。

 

が、子供が「叱られたのは○○という理由だから」と分かっているかどうか。そしてその理由が「叱られて当然だよね」と子供が認識しているかどうか。

 

この2点が極めて大切です。

 

怒るとこわーい先生でも、この落とし方がお上手な方は、子供から信頼されている気がします。

 

ゆえに、子供と出会ったときに、自分はどんなときに叱るのかを明言することは有効な手立てと言えます。

 

また、指導をした後(叱った後)、子供に尋ねてみると良いでしょう。

「あなたはなぜ叱られたのか分かりますか?」と。

 

ここで子供が答えられたら、おそらくOKでしょう。

 

このとき、教師がもしも「ちょっと起こりすぎちゃったかな…」と思った場合は、さらにダメ押しとして、「先生も怒りすぎちゃってごめんね。でも、先生はあなたのことが心配だから言ったんだよ。」と伝えるといいでしょう。なんだかDV夫みたいな言い回しですが…。