自ら教員向けの研修会を開催するようになって痛感するのが、公的研修会のつまらなさです。
たいていの場合、県や市の教育委員会が主催するものです。担当の分掌についた教員が全員強制的に参加となるケースがほとんどですが、たまに希望研修もあります。
どちらもひどいですね。途中で寝てしまう人がいるのも納得。
なぜでしょうか。理由を考えてみました。
① 講師の選定が下手
研修会は講師の話で決まります。もちろんグループワーク中心の研修会もありますが、講師(指導主事の場合もあり)の講話がゼロの研修会はほぼないでしょう。
その講師をどうやって選んでいるのか。
本県・本市の場合、文科省や国立教育政策研究所の役人か、近くの大学の先生が来て講話をされるケースが多いです。ですが、その選定をどうやっているのかが不透明です。話を聞きながら「なぜこの人を呼んだの…?」となるケースがほとんど。
きっと国に「〇月〇日、○○というテーマで講演をしてほしい」と文書でお願いをしたり、例年講演をしてもらってるからという理由で大学の先生を呼んだりしているのでしょう。
ありえないと思います。
研修会は、呼ぶ人(教育委員会)が講師の話をどこかで事前に聞いていて、面白い!と思った方を呼ぶべきです。役人も大学教授も研究や分析は得意でも、話は下手なことなど、ざらですからね。
この観点から言うと、ときどき近隣学校の教員を講師として迎えるケースがありますが、たいていつまらないのも納得がいきます。授業や学級経営などの実践がいくら優れていても、イコール講話が上手…とはならないのです。現場で優れた実践をすることと、研修会で話をすることとは、少し別の力が必要なように思います。だからこそ講師を呼ぶ人は、自らその方の話を別の研修会などで事前に聞いたうえで選定すべきなのです。
② 司会が無駄な話をしすぎ
公的研修会ではたいてい
・開会の辞(なぜか互いに礼をする)
・講師紹介
・お礼の言葉
・閉会の辞
があります。
この中で「講師紹介」と「お礼の言葉」は確実にいりません。「講師紹介」なんて紙に記載しておけばよろしい。
公的研修会だと、意外と長い時間をかけて指導主事が語るのが、この2点です。しかし本当に無駄です。参加者はそんなことよりも講師の話を聞きたいのです。このような会を企画する人は、きっと授業も下手なんだろうな~と思います。余計な前置きばかり授業の冒頭に行うことで、子供たちがしらけているのが分からないのでしょう。
以前、こちらのブログでも書きました。先日の公的研修会で講師の話の後に指導主事が「今日学んだことが6つあります。1つめは…」といきなり語りだしたことがあります。本当にげんなりしました。学んだことはチラシの裏に書いておいてほしいものです。
③ 指導主事の業務が忙しくて、回っていない
教育委員会側の事情もありますね。
指導主事の仕事は、研修会の企画だけでは当然ありません。それ以外にも無数に仕事があります。研修会で誰を講師として呼ぶかなど、たいして大切なことではないのでしょう。ですから、より話の上手な人を探す努力もせず、前年踏襲で済ましてしまうのです。
気持ちは分かりますが、参加をする先生方にも仕事はあります。場合によっては学級を自習にして参加する方もいるのです。その方々に報いるためにも、きちんとした講師招聘をしていただきたいものです。
指導主事御自身が講師をされるケースも、ままあります。しかし指導主事の他の業務が忙しいせいか、話の内容がイマイチなことが多いように思います。端的に言えば、指導主事御自身が勉強不足のことも、しばしば。あるいは、文科省の言っていることの垂れ流しであることも。もう少し業務が減ったらいいのではないかな、と感じますね。
④ 無駄なグループワークをしがち
公的研修会は、隙あれば「実践共有」や「情報交換」などと称してグループワークをさせがちです。
アウトプットは大切ですが、ただのおしゃべりならば学校内でできます。それは「対話的な学び」ではありません。
グループワークの時間を設けると、なんとなく参加者の満足度が上がるのでしょうが、功少なしです。よほど目的をはっきりとさせたグループワークでない限り、やめてほしいものです。その日のプログラムに「グループワーク」があったら、即刻帰りたくなります。
⑤ 実践発表・授業の質が低い
本市では年に2回ほど、教科ごとに研修会があります。市内で選ばれた(持ち回り)授業公開もしくは実践発表をするという研修会です。これの授業と実践発表の質が低いのです。
仕方のないことは分かります。例えば国語が専門でないのに、たまたまその学年配属で、たまたま自分に国語の発表の白羽の矢が当たってしまった(多くの場合、前年度の段階で指定されている)だけなのですから。仕方がないので、関連書籍をいくつも読み、突貫工事で実践をし、発表や授業をするのです。かわいそうに…。
発表者・授業公開者は勉強して腕を上げられるので、大変ですが価値はあるのでしょう。が、付き合わされる身になってほしいものです。そういう活動は、校内研修でやっていただきたい。市ぐるみでやることではありません。
以上です。
結論は「公的研修会はたいていつまらないのだから、働き方改革の錦の御旗のもと、ばっさりと切ればいい」のです。しかし問題は、公的研修会がいかにつまらないか(民間研修会がいかに面白いか)が分かっていない人が大勢いることです。ですから、まず改善すべきは、教育委員会の方々がいろいろな研修会に足繫く通うことですね。でないと、参加者の時間を奪うだけです。
