ここのところ立て続けに研究授業を見る機会がありました。
研究授業後は必ず協議会が開かれます。たいていの場合、グループになって互いに授業を見ての感想や改善点を話し合います。
そのとき、どの先生も的を射たことを仰います。
・学習課題(めあて)が「すごいと思ったことを見つけよう」だと漠然としている。もっと具体的にしないと。
・課題が2つあって子供は分かりにくかったと思う。課題は1つに絞ったほうがいい。
・写真のサイズが小さくて見えにくかった。
・音読が授業の冒頭1回だけというのは、国語の授業としては寂しい。
・多くの子は今日の課題の意味が分かっていない。
・「スーパーの工夫」は分かりにくい。「たくさん買ってもらうためにお店の人が何をしているのかな」だったら分かりやすい。
などなど。
協議会はとても勉強になります。
しかし私は疑問に思いました。
「これだけ素晴らしく的を射た発言をするのに、多くの先生の授業はなぜつまらないのか?」
「つまらない」はいろいろな意味を含みます。単純に「おもしろくない」もありますが、「退屈」や「子供が生き生きとしていない」「学力が身に付かない」などの意味もあります。
端的に言えば、多くの先生たちは授業が下手なわけです。
なぜでしょうか?
岡目八目という言葉があります。傍から見ていると、よく見えるという意味です。
授業者は必死ですからね。参観者の方がいろいろなことが見えるのかもしれません。
しかし私は次の点があるのかなと思いました。
1 教師の多くは研究授業を参観しても、そこから得られることを一般化できない。
2 一般化したとしても、自身の授業に転移させられない。
3 転移させられないのは「授業の準備の時間が足りないから」と「授業後に振り返る時間を取っていないから」。
1 研究授業を参観しても、そこから得られることを一般化できない。
この点が最初にして最大の壁だと思いました。
例えば先日見た生活科の授業(1年生)のこと。秋のもの(どんぐりやまつぼっくり、落ち葉など)を使ってお店を開き、幼稚園児を招待するという授業でした。その日の学習課題(めあて)は「幼稚園児がわくわくするようなお店にするには、どうすればいいのかな?」でした。
研究協議会では「わくわくする」の意味が漠然としていて、子供によってイメージが異なるという意見がいくつも出ました。「わくわくする」ではなく、もっとシンプルに「楽しむ」や「何度もやってみたくなる」の方がいいのではないか、と。
なるほどな~と思いました。しかしそこで終わってしまっては、その授業のみの個別的な知識にすぎません。ですから一段上の一般的な知識にしたほうがいいでしょう。先の例で言えば「わくわくやどきどきといった擬態語・擬音語の言葉は学習課題にはあまり向かない」や「わくわくやどきどきといった言葉を使うのなら、授業の冒頭に全員で、『どんなお店だとわくわくするかな?』と具体化するといい」にすると、自分の授業作りをする際に役立つことでしょう。
つまりポイントは、協議会で得られた知見を一般化することです。
もちろん授業は文脈的・条件的なものです。その学級だからこそ、その学習課題・学習活動になったという場合はよくあります。しかしながら、一般化をしようという気持ちが全くないと、いつまでたっても自身の授業に役立てることができません。
ですから理想的な研究協議会では、ただグループで話し合うだけでなく、「では今出てきた意見をまとめてみましょう」と司会が促したり、講師の方や助言者が一般化して参観者に返したりするほうがいいでしょう。
2 一般化したとしても、自身の授業に転移させられない。
仮に一般化できたとしても、自身の授業に転移できるかは別問題です。
例えば先日見た体育の授業では、台上前転を繰り返す子供たちがいました。その子たちで台上前転を見合っていますが、いまいち上達しません。結局その日の授業中、向上的な変容は見られませんでした。
研究協議会では「子供たちの中で動きを見る視点が備わっていなかった」という意見が多く出ました。そこから得られる一般化は「子供たちに、どうすればねらいとする動きができるようになるか、そのポイントをいくつか事前に教える」です。しかし多くの先生たちは自身の授業に転移させられるわけではありません。自分の授業でその場面がイメージできなかったり、そもそも動きのポイントを教師自身が分かっていなかったりするからです。経験を積み重ねるうちにイメージ力もポイントも身に付いていくので、こればかりは経験年数の違いもあるでしょう。しかしながら、なぜ転移できないかというと、次の3つ目の点があります。
3 転移されられないのは「授業の準備の時間が足りないから」と「授業後に振り返る時間を取っていないから」。
結局のところはここに行きつきます。
多くの先生たちは授業準備をいつしているのでしょうか。ある先生は夜の職員室、別の先生は家族が寝静まった後にしている、また別の先生は特に何もせずぶっつけ本番で臨んでいる…。
こんな多忙な労働環境下で「あのときの研究協議会で得られた知識を生かすと、明日の授業の学習課題は…」なんて考えられるはずがありません。
もっと教師が授業に注力できる環境にしないといくら研究授業を参観しても意味がないでしょう。
あと、多くの先生たちは授業準備はしても、振り返りをしていません。子供たちには振り返りをさせるのに、自身の授業は全くといっていいほど振り返りません。
何も授業参観をして研究協議会に参加せずとも、毎日の授業を振り返って一般的な知識に昇華していけば、おのずと授業力は向上します。
それをできないのはなぜか。
まず授業を振り返るというそもそもの習慣がないからです。しかしながらその根底には、授業を振り返るだけの時間的ゆとりが教員にないからです。
ですから授業力を向上させたいのならば、やみくもに研究授業を参観する機会を設けるのではなく、そもそもの教員の働き方を見直さなければいけないのです。