空気を作る

別の学年の話です。

 

先生がよく言っている言葉です。

 

「空気を作りなさい。」

 

本に載っていたそうです。某先生の本でした。

 

非常に効果的な言葉だなと思います。

 

空気を作る。

 

空気を読むという言葉が流行したことがありますが、この「空気」という言葉はまるで魔法のようです。子供たちの中にもすっと入っている印象があります。

 

だからこそ怖いのです。

 

空気を作りなさいと言えば、子供たちはさっと「静か」になります。見事です。が、その「空気」に縛られた子供たちからは、果たして自由な発想は生まれるのでしょうか。むしろこの得体のしれない「空気」によって、今の日本人は苦しんでいるのではないでしょうか。その先生の声掛けは同調圧力とさえ感じます。

 

私は思います。

 

空気を作る人間を育てるよりも、空気を打ち破る人間を育てたい、と。

議論の収束のさせ方

教師1年目の頃から、ずっと引っかかっている問題です。

 

国語や社会、道徳の授業では、しばしば意見が分かれます。意見が分かれたとき、子供達は熱中します。自分の意見を、本文を基に述べたりグラフも基に説明したりします。議論になります。

 

問題はその先です。

 

どうやって収束をさせるのか。いつも悩んでしまいます。

 

いろいろな意見があったね。じゃあ今の考えを書いてみようと言って終わりにすることもあります。しかし、それで良いのか?

 

今日、筑波附小で社会科の研究会が開かれました。そこで出された課題は「10年後、天然・養殖・輸入のうち、生産量1位になるのはどれか?」でした。

 

思うに、これは論点が不明なのです。推測でしか語れません。だからそれぞれの子供がそれぞれの主張をしていましたが、その後の話し合いはうまくかみ合いませんでした。講師の先生が「この授業には説明はあったが、議論はなかった。」とおっしゃっていましたが、その通りだと思いました。ここに難しさがあるのでしょう。筑波の先生ですらそうなのです。

 

ではどうするのか。

 

2つのパターンがあるかなと思っています。

 

1つ目は、徹底的に議論・討論を続けて、最後に自分の意見をもう一度書くというものです。途中で教師が適宜介入して、意見を整理したり分類したりする必要があります。が、基本的には子供主体です。答えは出さなくても良い。多様な視点を得るために、議論することに価値があるというものですね。

 

もう1つは、議論後、教師が補助発問をつないでいき、ねらいとするところにたどり着く授業です。議論そのものは手段であり、目的ではありません。議論を通して出てきた意見を分類したり、価値づけたりしながら、上手に子供をねらいとするところに持っていく。私には至難の業ですが。

 

前者はモラルジレンマ的な授業でよく見られますね。サンデル教授のあれです。TOSSの人たちは討論の授業では全体解を出そうとしません。合意形成を図るのは討議だとか。

 

しかしですね、私はそのような前者のタイプの授業はありだと思いつつも、それでよいのかなとも思うわけです。全体で合意形成まではいかなくとも、納得解は見つけたい。ひとつの落としどころはほしい。

 

つまり、熱い話し合いを通して、本時のねらいに上手に迫りたいのです。

 

そのための道筋が、まだ見えません。

 

 

 

 

教師のチカラセミナー雑感

教師のチカラという雑誌があります。私が愛読している教育雑誌の1つです。骨太の実践が数多く載っていて、毎回とても勉強になります。

 

それを執筆をされている先生方のセミナーに行ってきました。

 

特に心に残った、勉強になったことを3つだけ記します。細かい学びは別の機会に。

 

➀ここから子供達の成長が加速する学級とそうでない学級の違いは、ささやかな場面に現れる。

 

この言葉が最も本セミナーの核心を突いていると思います。

 

どの先生方も突飛なことをおっしゃってはいませんでした。発言の数をやたらに競うのではありません。挙手の仕方はどうか、音読の仕方はどうか、感謝の姿はあるのか、指示の中身はどうか。どれも、本当に細かいことです。まさに神は細部に宿る。これら日常の一場面、一場面を限りなく大事にしていく、その積み重ねが加速につながるのだと思いました。

 

私の学級は下の下です。(子供達よ、ごめんなさい。)

 

②傍観者を作らない。

なぜ発言をしないのか。なぜ手を挙げないのか。簡単な誰でも答えられる発問への挙手率を100%にすること。子供は手抜きの天才。ちょっとの手抜きを許さないこと。

 

これができないのです! まあ、このくらいはいいか。怒りすぎてもいけないし。あんまりぎゅーぎゅーやってもな…。そんな気持ちになるのです、が!それではいけない。絶対にいけないのだという理由が分かったのが勉強でした。つまり、ちょっとの手抜きは傍観者を生むのです。傍観者が現れる学級では、いじめも発生するかもしれません。授業のほんの何気ない瞬間に、傍観者が現れるのだということが衝撃的でした。

 

③授業分析を3年間続ける。

学級通信で行うというものでした。3年間。これはやってみます。ブログでも紹介するかもしれません。

 

差し当たり、以上で。

討論の授業

「討論の授業は高段の芸」とは向山洋一氏の言葉です。

 

これまで、私は指名なし発表にも、討論の授業にもさして興味を持っていませんでした。一方で、挙手指名型の従来の授業方式に、大きな疑問を抱いていました。挙手指名型の授業の問題点はお客さんが出てしまうこと。言い換えれば、全員が発言をする機会を得られにくいということが最大の疑問点でした。

 

内言の外言化、つまり思ったことや考えたことを書いたり読んだり話したりして外に表現することを増やす授業は、子供達の学力を間違いなく高めると思います。今年の私の授業のテーマは「全員参加」。指名なし討論は全員参加を促すのではないか。そう考えて本年度の途中より始めました。

 

ちなみに、現在、小学5年生の担任をしています。6月上旬に地区の授業公開があり、そこでは従来型の授業を行いました。指名なし~のシステムを始めたのはそれ以降です。

 

初挑戦は家庭科の調理実習後でした。感想を言う時間を設けました。そこで初めて指名なし発表というものを行ってみました。今から考えると、よちよち歩きの赤ちゃんのような進み方でした。

 

それから3か月ほど。指名なし発表はかなりスムーズに行うことができるようになりました。声を出す指導、指名なし音読などの練習にも取り組んできましたし、討論の趣意説明も行いました。

 

しかし、指名なし討論は、指名なし発表の100倍くらい難しいと思います。討論はまだまだまだまだです。山のふもとで頂きすら見えていない状況です。さて、ではどんなところに今、私がつまずいているのか。それは次回、書きます。

 

小ネタ集

私が頻繁に使う言葉があります。「さすが」です。

 

 

「さすが」という言葉は、これまでも一目置いていて、今回も期待通りに現れていることを意味しています。

 

「あなたは今までも良かったけれど、今回も素晴らしいね。」と言っているようなものです。言われたら嬉しいですよね。

 

目上の方に使うのは失礼に当たるようですが、時と場合を見計らえば、大人相手でも仕えそうな言葉です。

 

あと、「気持ちは分かるよ」も使います。

 

宿題を忘れた子、発表で間違えてしまった子、手を挙げない子、給食を残す子。

一言、共感するだけで、その子はほっとした表情になりますね。

 

そんな小ネタを少しずつ、海辺に落ちている貝殻を拾い集める如く、採集していきたいと思います。

 

ふと気づくと

夏休みが終わります。残念でなりません。

 

1学期の振り返りをしたり、サークルの仲間と悩みを話したりしているうちに気付いたことがあります。

 

1学期、子供をあまり叱らなかったなということです。

 

基本は褒めたり、驚いたり、評価をしたり、認めたり。肯定的な対応が多かったように思います。

 

もちろん、叱ることがなかったわけではありません。トラブルは多々ありました。でも、そう悪い雰囲気のクラスではなかったように思います。

 

なぜかな?と思いました。

 

自分の腕が上がったから…などと思いあがるつもりはさらさらなく、最大の理由は「余裕があったから」だと思います。

 

なぜ余裕が生まれたかというと、現任校に来て2年目であるから、また学年の先生となんでも揃える必要がないからです。わりと自由です。学級通信も出せます。

 

「教師の自尊感情が高ければ高いほど、子供の自尊感情も高まる。」と聞いたことがあります。

 

この関係は単なる相関関係を表しているのかもしれませんが、私は結構、因果関係でも結ばれているなと思います。

 

褒めると叱るの割合は4:1ぐらいがちょうどいいと聞いたことがあります。子供たちの良い姿をたくさん見つけていきたいと思います。

 

 

うちのクラスの強みは何だ?

「結局のところ、うちの学校には強みがない。ストロングポイントがないんだよ。」

 

酒宴の席で先輩が私に熱く語ってきました。

 

「読書でも運動でも学力でも挨拶でもなんでもいいけれど、うちの学校はこれだけは負けない!というストロングポイントが欲しい。あれもこれもじゃだめなんだよ。」

 

その話を聞いて、それはそうだと思いながら、うちのクラスでも同じことは言えるなと思いました。

 

書く力を大切に夏休みまで過ごしてきました。しかし、書く力は学校でNO1と言えるかどうか。そして、そのことを子供たちが自覚できているのかどうか。

 

種まきで終わってしまったなあと反省しています。