授業公開の難しさ

「私は授業が好きだ。授業で勝負ができる教師になりたい。」

 

それが今の私の思いです。

 

授業力向上のための最も具体的かつ効果的な方法は、力のある人に授業を見て頂くことだと思います。

 

私は今、週に1回、授業を見て頂いています。御覧になるのは学年主任の先生のときもあれば、管理職の方々のときもあります。他学年の先生のときもあります。

 

これが相当難しいのです。

 

週に1回、授業を公開すること自体は簡単です。問題の1つは見て頂く人がいないということです。それぞれの先生方がそれぞれにお忙しいのです。

 

今年度の管理職の先生方は出張でいらっしゃらない日が非常に多いですし、他の先生方も空きコマなんてほとんどないのです。その中でピンポイントで「私の授業を見て頂けませんか?」とお願いするのはとても心苦しい。

 

さらに、このような「やってもやらなくてもいい活動」をするためには、普段の自分の分掌業務をきちんとしておく必要があります。そうしないと、「なぜやるべきことをやらずして、別のことばかりしているのだ!」ということになりかねません。

 

向山洋一氏が仰る黒帯六条件の1つである公開授業100回。これは授業を公開することだけではなく、その過程にある様々な障壁を乗り越える必要がある点もまた、高き峰のゆえんなのでしょう。

南惠介先生セミナーの学び

今日、千葉の教育サークル「スイッチオン」主催による南惠介先生のセミナーに行ってきました。

 

「スイッチオン」のセミナーには何度も参加をしています。毎回、上質なセミナーを運営してくださるサークルです。中心的なメンバーの方々のお人柄がまた素敵。遠く千葉のセミナーですが、年に2回ほど参加をしています。

 

さて、南先生と言えば岡山県の小学校の先生として活躍をされている方です。里山学級論を提唱されています。

 

今回のセミナーで一番の学びは何か。それは

「全体を見るマクロの目から 個を見るミクロの目へ」

です。

 

これまでの私は、圧倒的に前半の「全体を見るマクロの目」を意識した学級経営をしていました。そしてそれは今のところ、成功を収めています。

しかし、学校とはそもそも個を伸ばす場です。どんなに素晴らしい学級集団を築いても、最後は個人がどれだけ成長したかということに戻ると私は思います。

 

その視点が抜けていたな、と感じたのです。

 

全国の各種セミナーで、あるいは本で、対象にしているのは90%以上が「全体を見るマクロの目」についてです。

 

当たり前ですよね。一人一人について語るなんて、プライバシーの問題もあり、難しすぎますから。情報の共有ができないわけです。だから、どれだけセミナーに行き、本を読んでも、ミクロの目はなかなか身に付きません。

 

なぜこの言葉が私の琴線に触れたのかというと、まさに私の今の課題が個人の問題だからです。

 

例えば私のクラスにいる自己肯定感の低い子、忘れ物がどうしてもなくならない子、場面緘黙の子。

 

彼ら彼女らに私ができることを考えたとき、それは全体に対する一斉指導の改善ではないはずです。個人に対するアプローチの改善が正解でしょう。

 

そのためには何が必要か。それは南先生が仰っていた通り、

「子供を見ること」

に尽きると思います。

 

なぜその子はつまずくのか、どうすれば良いのか、どこを褒めればその子は意欲が湧くのか。全ては子供を見る目を鍛えることしかありません。

 

具体的に何をするか。

 

私は10月から、「毎日、全員を褒め、それを放課後に思い出す」という活動を行います。

思い出すためには意図的に行わなければなりません。そして褒めるためには全員を見る必要があります。

 

座席表も良いのですが、席替えをたびたびするので、名簿に書くのが良いでしょう。金先生のように、職員室に戻って来た5分くらいで書ききれるようになることが目標です。

 

頑張ります。

 

近所の運動会参観記

今日は近所のA小学校の運動会へ行ってきました。

 

本校の運動会とは異なる部分が多く、大変勉強になりました。以下、備忘録的に記します。

 

・教員の服装

本校は色まで全員統一のイラストで業者に発注(ポロシャツ)。A小学校は色別対抗を出すためか色ごとの服装。

 

・用具の位置

本校は本部テント横。しかしA小学校は用具器具庫の前で本部からはだいぶ離れたところ。出しやすさと片付けやすさを取ったのだろうが、本部が気付いた不測の事態に怖さを覚える。(ラインを引いていなかった!引かないと!など)

 

・音の聞こえにくさ

A小学校は音楽が被るとマイクの声が聞こえない。運動会前に確認が必須。逆に徒競走の間、「青組、頑張っています。」という実況ばかり聞こえて、音楽が全く聞こえず。

 

・組体操

本校は「人間起こし(トラストフォール)」が管理職の命により禁止に。A小学校では最後に行っていた。是非はともかく、やはり観客は歓声を上げていた。ただ、他の技の完成度はいまいち。秋運動会ならばもう少し。あと、ダンスのようなことを一部取り入れていたが、中途半端だった。やるならやる、やらないならやらない方がいいと思う。隊形移動は少なく、保護者としては見やすかっただろう。

 

・スローガンの掲示場所

本校は屋上から模造紙に書いたものをぶら下げていたが、A小学校では窓に貼っていた。私は圧倒的にA小学校の方が好み。理由は簡単だから。模造紙に書いて吊るすのは案外と大変。

 

・騎馬戦

本校は行っていない。A小学校でやっていた。そこまで危険性を感じなかったので、ありだと思う。

 

・リレー

本校は全員リレー、A小学校は選抜リレー。選抜が良い。徒競走をやるのだからリレーまではいらない。そこまで指導が回らない。

 

・昼食時間

本校は55分。A小学校は1時間20分。終わる時間はほぼ同じ。A小学校の場合、全員リレーがなかったことが良かったのだと思う。本校の55分は厳しい。特に我々教員がハード。昼休みの内にラインを引き直したり、用具を準備したりする必要がある。昼食を取っている暇などない。A小学校はその点、良かったのではないか。

 

・種目の順番

本校は徒競走なら徒競走がずっと続く。A小学校は徒競走の間に団体演技や団体競技がちょこまか入ってくる。メリットデメリットはよく分からない。どちらのタイプの学校にいたこともあるが、両方、対応は可能だった。

 

差し当たり、以上。

上手な授業よりも楽しい授業を

本日は勉強会でした。

 

今日の勉強会では模擬授業をしました。

 

互いに模擬授業をしあい、コメントをします。良いところも直したほうがいいところも伝えます。コメントをすることは相手を評価することでありながら、同時に相手から評価されることだなと思います。実力以上のことを分析することはできません。

 

参加された先生方の授業を見ていて思ったこと。

 

「どの先生方もお上手だな。」

 

ということです。発問・指示・説明、どれも淀みがありません。きっと子供相手でも問題なく進むことでしょう。

 

ですが、違和感を覚えました。それは、楽しくないということです。淡々と授業をしているのです。指示は的確、発問は端的、説明は簡潔明瞭。それはそれで素晴らしいのですが、子供に笑顔が生まれない授業でした。もっと言えば、そもそも教師が楽しそうでなかったのです。

 

私はそれじゃあいけないなーと思います。

多少授業が粗削りでも、教師が誰よりも授業を楽しむこと。にこにこしながら、明るい声で授業をすること。だから子供のテンションが上がり、笑顔が増えるのではないでしょうか。

 

先日読んだ本に次のように書かれていました。

「笑顔の効果5 記憶力が向上する。」(サンクチュアリ出版『学びを結果に変えるアウトプット大全』樺沢紫苑)

 

子供の学力を高めるためにも子供が笑顔になる必要があり、そのためにまずは教師が授業を楽しむこと。そこからスタートしたいなと思った壱日でした。

 

今日から2学期

朝、子供たちと教室で出会う。挨拶を交わす。にぎやかな中、孤立しがちな数人に目を向ける。友達と楽しそうに話している。

 


始業前ではあったが、全員がそろっていることを確認し、どんどん指示を出す。

 


宿題提出、プリント配布を一気にすます。

 

その後、百人一首。1ヶ月ぶりの学校であったせいもあり、取るのが遅くなっている。が、ここではそのようなことは全く問題なく、それよりも札を取るときの「はい」という声、試合前後の挨拶の交わし方に着目した。ここを指導。「はいという声が聞こえた人?」「挨拶、握手をした人?」

小刻みに確認を入れていく。

 


百人一首終了後、1人一言ずつ夏休みの思い出を話すことにした。

 


場面緘黙の子供もいる私の学級でいきなりの発表は難しい。とはいえ、書いている時間もない。数回の練習を挟むことにした。

 


まず教師のモデリング。話型の提示

。1分間練習。隣と練習。立って練習。ここまでを一気に3分ほどで行う。その後、指名なし発表。久しぶりの指名なし発表だったこともあり、多少のぎこちなさがあったものの、まあまあの雰囲気であった。

 


声の大きさが気になったので、相手意識を持つことの大切さを伝えてタイムアップ。始業式へ行く。

 


始業式中、校長先生から6年生へメッセージめいたものがあった。残念だったことは、6年生の返事の声の小ささ。これは指導が必要。

 


教室に戻る。

 


改めて仕切り直し。2学期初日ということで教師の語りをする。

 

学校は賢くなる場所、友達と仲良くする場所であることを伝える。私が叱るポイントも改めて伝える。始業式から引き続き、話を聴く時間であったため、つらそうな子供が3人いた。が、しっかりと聴いている子をまず褒めた。

 


なぜ聴くことが大事なのかも褒めて価値づけても良かったと反省。

 


同時に、校長先生に対する返事の声が小さかったことは残念だったことも伝えるべきだった。森信三先生の返事、挨拶、後片づけについては伝えたが、片手落ちの感は否めない。

 


語り後は再び宿題提出の再開。先ほど行っていたことですべてではなかったため。また、作品の発表も行う。こちらも最初の発表と同様に何度も練習を行う。先ほどの発表と違うのは、今度は黒板の前でみんなに向かって説明するところである。

 


1人30秒くらいの持ち時間、話型を示したせいもあるが、つつがなく終了。目線や声の大きさ、つかみ、リズムなど、課題は多いが、それらはこれから矯正していけば良いと思った。まずはなんと言っても、人前に立つという経験を山ほど積むことが大事。夏休み明けの作品発表の時間はとても良い。みんなに伝えるという目的意識があり、必要感があり、ショーアンドテルの練習にふさわしい。だいたいの場合、発表が苦手な人はそもそも発表の回数が圧倒的に少ないと思う。

 


それが終われば今日の最低限の課題は終了。

 


予定帳を書いたり、誕生日の子供を中心に写真を撮ったり、学級通信を読み感想を発表したり、図書室に本を返しに行ったり、算数のプリントを解いたり、靴箱のチェックをしたりした。

 


わりと余裕を持てたが反省点もある。

 


どうしてもシルバー初日は教師の話が多くなる。結果として、全員発表の場を3回は持ったが、ペアトークの時間や班での話し合いの時間があっても良い。午前3時間の日課では厳しいところもある。しかし、今年の子供たちの様子を見るにいけたのではないかと思う。

 


放課後、「孤独な作業」を行う。この子にはこんな声かけをした、この子はこんな話をした。一人一人の顔を思い浮かべながら机間を歩く。ふと思ったのだが、褒めた子はどれだけいたのか。名前を呼び、目を見て褒めた子はどれだけいたか。

 


およそ3割。

 


およそがつくところも、3割しかいないというところもいただけない。

 


本年度のテーマは「激励」。

 


放課後の「孤独な作業」では、一人一人にどう褒めたのかを考えてまわりたいと思った。

 


職員室にもどり、学年打ち合わせ、作品処理を終え、今日は1時間の年休をもらった。遠征のためである。初日から年休をもらうため、変な目で見られもしたが、とりたてて仕事を溜めているわけでもなしと思い、開き直って出てきた。今、新幹線の車内でこの文書を書いている。

 


2学期。6年生にとっては小学校生活最後の2学期である。ぜひとも充実した4ヶ月にしてほしい。私も全力で頑張りたい。

シルバーの3日間のために

シルバーの3日間。

 

2学期の初日から3日間を教師の世界ではそう言います。シルバーに対して黄金の3日間は1学期初日からの3日間です。そのときにどれだけ学級を組織できるかがポイントです。シルバーと言われるゆえんは、黄金の3日間の次に大切な3日間だからです。

 

私はシルバーの3日間を迎えるにあたり、毎年ノートを作ります。シルバーの3日間用のノートです。そこにシルバーの3日間で語る内容や3日間で決めるべき事柄などを記します。私の場合、黄金の3日間のときと同様に、ノートの冒頭に目指す子供像や目指す授業像、目指す学級像、目指す教師像などを書きます。つまり目標を先に記すのです。

 

これは自分の中の教育哲学を固める上で、とても効果的な方法だと思います。詳しく書くとこのような形になります。

 

目指す子供像:「自立した子供」

 

自立した子供とは以下の3つの要素を持つ子供と定義する。

 

①主体性
②協調性
③自律性

 

具体的には
①主体性
・学級に問題があれば自分から発信する。
・ごみが落ちていたら自分から拾う。
・授業中、手を挙げて発表する。
・友達の意見を聞きながら、簡単にノートにメモをしている。
・間違えた問題をチェックしておき、自主学習で再度取り組んでいる。
・自主学習に意欲的に取り組んでいる。
・掃除や配膳の準備などにも手を抜かずに取り組んでいる。

 

②協調性
・学級の問題に対して、自分と異なる意見を傾聴する。
・学級の問題の解決策を考える際、自分と異なる意見と折り合いをつけるために妥協案を出す。
・話合いの際に、一方的に自分の意見をまくしたてない。
・友達の意見に対して、イエスバット法やイエスアンド法など、受容しながら聞いたり話したりすることができる。
・授業中、どの子とも話をしている。

 

③自律性
・自分の目標を数値を入れて定めることができる。
・自分の目標を軌道修正することができる。
・自分の目標に向かって努力をすることができる。
・基本的な生活習慣が身についている。(忘れ物をしない。予定帳をしっかりと書く。
・委員会や係の仕事を忘れずに取り組んでいる。

などがありましょう。

 

さらに、これらを授業場面と生活場面で分類します。

 

そうすれば教師が褒める場面が自ずと決まってきます

 

その際にポイントになることは、褒め方だと思います。

 

例えば、自分の目標に向かって毎日こつこつと努力している子供がいたとしたら、どう褒めるのか。「毎日努力していてすごいね。」では弱いと思います。なぜそれがすごいのかを伝えなければ、教師の価値観は伝わりません。「毎日努力ができているね。そういうのを自己コントロールができるというのだよ。自分をコントロールできるというのはとても立派だね。」などというように、教師の願いである「主体性・協調性・自律性」を小学校高学年でも分かる言葉に言い換えて伝えたら良いと考えます。

 

学級目標に絡めて褒める方法も効果的です。

 

教師の価値観を一方的に伝えるのではなく、4月にみんなで決めた学級目標に沿った行動だからすばらしいのだと伝えたら、子供たちの学級目標への意識付けにもなります。子供主体の学級作りをする上で、学級目標を使わない手はありません。私の学級の場合、「優しさ」というのが学級目標を達成するための小目標として掲げられています。そのため、「協調性」に関する行動をした子供には「そういった行動は優しいね。学級目標達成に一歩近づくね。」などと価値づけると良いかと思います。

 

最後に行うことは評価基準の設定です。これは主に教師が子供たちの状況を把握し、次の指導に生かしていくためのものです。

 

基本的には、上記の具体的な姿が子供たちに見えるかどうかで判断をすれば良いと思います。その際、具体的な姿を名簿に落としていくとなお良いです。できていれば○を付ける。そうすればどの子供の~性が優れているのか、逆に弱いのかが一目で分かります。優れている部分は褒め続け、弱いところに教師が手助けをすれば良いのです。

 

群馬の深澤先生をはじめ、一流の先生方は教育に哲学を持つことを強く主張されています。理想の子供像を教師自身が抱き、具体的な姿をイメージすることが、日々の指導をより豊かにするのだと思います。

思えば5年が経ち

電車内で、ふとスマートフォンの写真を見ていたときに思った。


「このスマホで最初に撮った写真はなんだったろう。」

 

旅行で尾道を訪れた写真だった。時は5年前。私の教師、といっても実際は講師であったが、どちらにせよ初めて教壇に立った年だった。

 

「そうか、もうあれから5年か。」

 

1年目。荒れに荒れた学級であった。


いわゆる学級崩壊。1人のやんちゃを止められず、次から次へと負の連鎖が続いた。自習中、はさみを持って女の子の髪の毛を切る子がいれば、授業中に発狂する子もいた。学習は成り立たず、見かねた同学年の先生に空いている時間、TTとして入ってもらう日々だった。

 

同学年のベテランの男の先生が言った。

 

「嫌だよ、(空き時間に)入るのなんて。俺の時間だもん。」

 

そう言われて、うつむくほかなかった。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


女性のベテランの学年主任からは毎日のように説教を受けた。ちょうど5年前の今頃、夏休みの職員室。2時間近く説教を受けた。周りの視線が痛かった。

 

講師だったから初任者研修などなく、授業のイロハのイも教わらずに日々を過ごした。それが普通だと思っていた。これではまずいと思い、周りの先生方に教えを請うたり、授業を見せてもらったりしたが、黄金の3日間はとうに過ぎ去り、学級は荒れ果てた。

 

悔しい日々だった。毎日、電話の音におびえた。トラブルが起こらない日はなかった。学校中の先生が私のクラスの状況を話題にしていたそうだが、そのときの自分はそれを知る余裕すらなかった。それでも教室も職員室も自分の心が安らぐ場ではなかった。

 

とはいえ1日も学校を休まず、頑張り抜いたことだけは良かった。校長先生を筆頭に、学年主任の先生が守ってくださった。保護者の方々も優しかった。陰でいろいろとおっしゃっていたのだろうが、幸いにも保護者会になるほどには至らなかった。感謝、感謝である。

 

あのときの経験が自分の人生のスイッチをオンにしたと思う。二度と学級崩壊などしない。そう決意しての2年目だった。

 

本を読み、周りの先生方の授業を見せてもらい、自治体主催の研修会に意欲的に参加した。3年目からは東京や神奈川など、都市圏の研修会にも身銭を切って通うようになった。

 

正規採用をされ、初任者研修を受けた。あのとき、この初任者研修があればまた違ったのかもしれないと思った。だが逆に、あのときのあの悔しさがあったから、今の私の意欲がある。学び続けようとする意志と強さがある。 

 

もしも1年目に学級崩壊をせず、そこそこ幸せな1年を過ごせたとしたらどうなっていただろうか。

「教師の仕事は案外と何とかなるものだな。」

そう考えていたのではないだろうか。

 

学び続ける意志。

教師1年目の挫折が私をここまでにしたと信じている。

 もちろん、自分にはまだまだ足らないところが多い。教師修行は果てがない。それでも薄皮を重ねるがごとく、精進の日々である。

 

1学期、もしも学級崩壊をしてしまったという人がいたら、チャーチル英国元首相の言葉であり、向山洋一氏が好んで使う次の言葉を伝えたい。

 

「ネバーネバーネバーギブアップ。」

 

大丈夫、笑顔で教壇に立てる日が必ず来る。