筑波大附属小 公開研

本日、筑波大附属小の公開研に行ってきました。

 

参観したのは算数部、田中先生の授業。予想通り、満員でした。学びを箇条書きで記します。個人の学びですので、分かりにくいところが多々あると思います。すみません。

 

・隠して提示、というのはよくある導入の仕方だが、見えにくくするというのも良い手だと思う。

・子供のコメントは板書。基本は黄色で、重要なものは赤。

・1回巻き戻し。

・誰かが核心を突きそうな言葉を言ったら、すかさず「ストップ!」次いで、「~さんが言いたかったことはどんなこと?」と問い、挙手させる。

・その際に、挙手をしていない子を確認する。そして「~さん、まだ半分しか言っていないもんなあ。」と言ってあげるところに田中先生の優しさが感じられた。

・その後、再度核心を突いた発言をした子に言わせ、途中で「ストップ!」を掛ける。直後に「全員立って、隣の人と、~さんが言いたいことはこういうことだよなあと確認したら座ります。」と指示。ここまで丁寧に時間を掛ける。

・別の子に言わせて、またもストップ。「この続き、ノートに書いてごらん。」くどいぐらいに繰り返させる。

・ノートに書いたものを机間巡視で確認。「今、ノートに~と書いている人がいるんだけれど、どういうこと?説明してもらうよ。」

・「~さんのノートはみんなが書いているのとは違うことが書いてある。何だと思う?」

・徹底的に友達の発言や意見の内容を聞こう、考えようと仕向ける。

・教師が正解を解説しない。子供が子供の言葉で言う。

・当てられたら困る人?

・当てられたら困る、悩んでいる人は黒板の前へ。「立っている人、(説明できる人)ヒントをあげて。黒板の前にいる人が「あー」と言ってそっちに戻ったらいい。」

・今、大事な言葉があったんだけど、気付いた?

・人に話を聞いてほしい時は、反応を確かめながらの方が良い。

・教師が分からない子を演じる、

・不安な子を当てて「今、何が不安なの?」

・割合は分数でも表せる。

・対話とは、相手の状態や分からなさに合わせて自分が変わること。

・教師が一歩出ると、子供が一歩引く。

・割合の学習の8割以上は部分/全体。

・分からないことは普通であるということを伝える。

・誰かが発言したとき、教師は「~さん、どう思う?」と反射鏡の役目を果たす。

・教師は子供の発言を要約しない。

・分類しよう!ではなく、当たりクジを引こう!という導入の仕方の方がわくわくする。

 

以上。備忘録的な存在です。

スイミーの授業を見て

国語でスイミーの授業を見ました。

最後の場面を劇化していました。

 

「あさのつめたい光の中を

 ひるのかがやく光の中を

 みんなはおよぎ

 大きな魚をおい出した。」

 

このシーンを、低学年の子供たちが楽しそうに演技している姿に見ている大人はにっこり。私もにっこり。ですが、少しだけ違和感を覚えました。

 

これ、「あさ」から「ひる」にかけてなんですよね。ものすごく時間が掛かっているのです。だから、劇化なんてできないのです。

 

いや、そもそも海の話だから、というつっこみは置いておきまして、この「時間が掛かっている」というところは、『スイミー』という話を読む上で意外と重要な点だと思います。

 

一般的に、『スイミー』の主題は「仲間と協力する大切さ」などと言われがちです。しかしスイミーたちの凄さはそんな簡単に言ってのけられるものではないことが、この最後の1文から分かります。

 

もちろん、それは「あさ」から「ひる」まで延々と泳ぎ続けた、赤い魚とスイミーのことです。

 

泳ぎの得意なスイミーはいざ知らず、他の赤い魚たちは普通の泳ぎのレベルのはずです。その普通レベルの魚たちが一糸乱れぬ隊形で、ずっとひたすら泳ぎ続けたのです。すさまじい協調精神。少し怖くなります。

 

仲間と協力すれば問題を解決できる!などという甘っちょろいことを『スイミー』という話は言っているのではなく、「協力し続けること」も大切だと言いたいのではないか。

 

低学年のにぎにぎしく笑顔あふれる劇を見ながら、細部まで読み込むことはやはり重要だなと思いました。

 

 

今年の目標

仕事における目標は授業につきます。

 

良い授業をすること。私の中の良い授業の定義は次の2つ。

 

1つは本時のねらいを達成していること。もう1つはどの子も満足していること。

 

良い授業を繰り返すことで学力の保障をしていくことが、教師の仕事だと思います。

 

そこから考えた今年の目標の1つは「全授業のうち、本時のねらい達成率70%」です。

 

授業の前に本時のねらいをたてますよね。10時間、授業をしたとしたら、そのうち7時間は「ねらいを達成した授業だった!」と言えるようにしたいというわけです。

 

1年間に数回程度の研究授業で素晴らしい授業をするよりも、そこそこのレベルを保ちながら日常の授業を積み重ねていく。そちらの方がきっと、子供の力は高まると思うから、上記の目標にしました。70%なのは、80%は高すぎるような気がしたからです。あまり高すぎない目標を掲げるのがモットーなのです…。

 

さて、考えなければいけないことは次の点。

 

ねらいを達成したかどうかの判断はどうするのか。

 

これが結構、難しい。研究授業後の協議会でも、「本時のねらいは達成されたのか。」は曖昧なままな気がします。それよりも、「子供たちがたくさん発言していた。」「目が輝いていた。」などといった情緒的な協議になりがちです。しかしそれでは次につながりにくいと思います。

 

関心意欲はどうやって測るのか…という評価の問題にもつながります。

 

やはり、具体的な子供の姿を見取る場面の設定を作ることが必要かなと思います。

 

授業の中のこの瞬間で、~な姿をしていればねらいに達成したと言える!とあらかじめ考えておくことが大事でしょう。いわゆる、細分化と個別評定の原則ですね。

 

それを毎時間行い、自分でチェックし続ける。確かな授業力をつけるには、こうした修業じみたことも必要だと思います。

 

目標をクリアするための具体的な手段として、

➀ノートを1冊用意し、左のページにねらいを5時間ないし6時間分書く。

②右ページに達成できたかどうかと自己分析を書く。

③サークルに持っていく。

④ねらいには手段と授業終了時の具体的な子供の姿を書く。(達成できたか判断できるように)

⑤ねらいは、その日の勤務開始時刻までに書く。

以上を毎日、例外なく続ける。

補足

(⑥単元ごとの振り返りも行う。)

(⑦学級通信にも書く。)

これらはできたらやってみたい手段。

 

 

インプットに+1してアウトプットする

この冬休みも、いくつか研修会に参加してきました。

 

その中で極めて心に残った言葉がありました。それが題名の

「インプットに+1してアウトプットする。」

です。

 

研修会というより、その後の懇親会の席で、講師とは別の先生がおっしゃっていた言葉です。しかし、なるほどー!!と膝を叩きました。

 

インプットは誰でもするわけです。そこから自分なりの解釈を加えて、しかも人に話したり書いたりしてアウトプットする。だから力が付くのだと思いました。

 

我々にとっての最大のアウトプットの機会は授業であり、学級経営です。

 

これらのアウトプットを通して、更により良い実践ができるように腕を磨いていきたいものです。

 

続けること

あるセミナーで言われた言葉が心に深く残っています。

 

「毎日続けたことだけが力になる。」

 

本当にその通りだと思います。

 

今年度、私のクラスで行っている「毎日続けていること」は次の3つです。

 

 

1つ目は5問テスト。2つ目は振り返り。3つ目は学級通信。

 

逆に言えばこの3つだけです。しかし、やはり継続は力なりだなと感じます。

 

この3つが私の今年のクラスの核となりました。他は捨てていたと言っても過言ではありません。が、それだからこそ良かったと思います。全てに手を出していたら、きっとどれも中途半端に終わっていたことでしょう。

 

やりたいことは無数にあります。きっと、来年度は毎日続けることをいくつか増やすでしょう。ですが、それでもやりたいことの全部をやり続けることは決してできないはずです。それで良いのだと思います。これと決めた数少ないことを徹底的に行う。例外を作らず、ひたすら毎日行い続ける。継続は力であることを教師が身を持って子供達に伝える。

 

今年の自分を振り返り、胸を張ることができることがあるとすれば、上の3つを続けたことだと思います。

 

続けること。

 

それがなにより大切だと思い、自信につながる2017年でした。今年度はまだおわっていません。最終日までやり続ける覚悟です。

空気を作る

別の学年の話です。

 

先生がよく言っている言葉です。

 

「空気を作りなさい。」

 

本に載っていたそうです。某先生の本でした。

 

非常に効果的な言葉だなと思います。

 

空気を作る。

 

空気を読むという言葉が流行したことがありますが、この「空気」という言葉はまるで魔法のようです。子供たちの中にもすっと入っている印象があります。

 

だからこそ怖いのです。

 

空気を作りなさいと言えば、子供たちはさっと「静か」になります。見事です。が、その「空気」に縛られた子供たちからは、果たして自由な発想は生まれるのでしょうか。むしろこの得体のしれない「空気」によって、今の日本人は苦しんでいるのではないでしょうか。その先生の声掛けは同調圧力とさえ感じます。

 

私は思います。

 

空気を作る人間を育てるよりも、空気を打ち破る人間を育てたい、と。

議論の収束のさせ方

教師1年目の頃から、ずっと引っかかっている問題です。

 

国語や社会、道徳の授業では、しばしば意見が分かれます。意見が分かれたとき、子供達は熱中します。自分の意見を、本文を基に述べたりグラフも基に説明したりします。議論になります。

 

問題はその先です。

 

どうやって収束をさせるのか。いつも悩んでしまいます。

 

いろいろな意見があったね。じゃあ今の考えを書いてみようと言って終わりにすることもあります。しかし、それで良いのか?

 

今日、筑波附小で社会科の研究会が開かれました。そこで出された課題は「10年後、天然・養殖・輸入のうち、生産量1位になるのはどれか?」でした。

 

思うに、これは論点が不明なのです。推測でしか語れません。だからそれぞれの子供がそれぞれの主張をしていましたが、その後の話し合いはうまくかみ合いませんでした。講師の先生が「この授業には説明はあったが、議論はなかった。」とおっしゃっていましたが、その通りだと思いました。ここに難しさがあるのでしょう。筑波の先生ですらそうなのです。

 

ではどうするのか。

 

2つのパターンがあるかなと思っています。

 

1つ目は、徹底的に議論・討論を続けて、最後に自分の意見をもう一度書くというものです。途中で教師が適宜介入して、意見を整理したり分類したりする必要があります。が、基本的には子供主体です。答えは出さなくても良い。多様な視点を得るために、議論することに価値があるというものですね。

 

もう1つは、議論後、教師が補助発問をつないでいき、ねらいとするところにたどり着く授業です。議論そのものは手段であり、目的ではありません。議論を通して出てきた意見を分類したり、価値づけたりしながら、上手に子供をねらいとするところに持っていく。私には至難の業ですが。

 

前者はモラルジレンマ的な授業でよく見られますね。サンデル教授のあれです。TOSSの人たちは討論の授業では全体解を出そうとしません。合意形成を図るのは討議だとか。

 

しかしですね、私はそのような前者のタイプの授業はありだと思いつつも、それでよいのかなとも思うわけです。全体で合意形成まではいかなくとも、納得解は見つけたい。ひとつの落としどころはほしい。

 

つまり、熱い話し合いを通して、本時のねらいに上手に迫りたいのです。

 

そのための道筋が、まだ見えません。