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教師の仕事の一丁目一番地は授業

と、いつも思っています。

 

ですが、実際はそうはなっていませんよねというお話です。

 

じゃあ、学校現場を見まわして、教師の仕事は何になっているかというと、これは校務分掌です。

 

特活主任や体育主任、研修主任、特別支援コーディネーター、学年主任、細かいもので言えば落し物担当やHP担当、学籍担当などなど様々で、一人に3つ4つ付いているのが基本です。放課後の仕事はこれらを片付けることから始まります。たいていの場合、会議が入っており、勤務時間後にこなすのですが。

 

では、授業の準備は?となると、これは本当に片手間となります。

 

TOSSランドを見ると、「明日の授業を5分で準備する」と銘打っていますが、「教師の仕事は授業である」のに、5分でいいの!?といつも思います。いえ、5分も準備をすればいい。実際は授業のチャイムが鳴り、その場で教科書を見て組み立てることも多々あるのです。

 

それができる教師もいます。憧れます。が、多くの人はできない。だから、本来ならば、放課後は授業と学級経営に関する仕事に充てるべきなのです。

 

ところが、現実はそうなっていないというところがおっかしいのです。

 

管理職や教育委員会は言います。

 

「教師の仕事は授業です。」

「授業で子供を育てましょう。」

 

ため息がつきます。

 

刀もなければ食料もない。鎧もない。それでも関ヶ原の合戦に行き、勝ってきなさいと言われているようなものです。

 

いかに、いかに校務分掌を簡略化できるか。ここにかかっていると強く思います。

 

どこまでを目指すのか

野中信行先生という方がいらっしゃいます。

 

初任者担当を何年も勤められた後、退職され、今でも全国各地を飛び回っておられる先生です。年に1回だけ、野口塾で先生の講座を受けています。

 

その先生がブログで次のように書いていました。

もし「ひとかどの授業」をしたいと願うならば、どのくらいのことをしなければならないのか。
  「ひとかどの授業」とは、1000人に1人ぐらいのレベルの人ができる授業をイメージしていただきたい。
 
 そのためには、毎日5時間の授業を意図的、計画的に進めなければならない。
 学校の1年間を200日とする。
 200×5=1000時間
 
 一つのレベルをマスターするには、1万時間が必要だと言われている。
 そのためには、どのくらい継続しなければならないか。
 1000×10年=10000時間
 毎日、5時間かけて、10年の歳月がかかる。

 

 野中信行先生のブログ「風にふかれて」より。

 

1000人に1人。

 

これ、とんでもない数字だな、と思ったんです。

 

現在、私の勤める学校には教員が約25人います。市には小学校が17校あり、本校は中規模校と呼ばれます。単純に17倍しましょう。425人です。

 

隣の市をも似たような人口ですので、まあ、だいたい同じくらいの教員がいると思います。

 

すると、足して850人。1000人弱。

 

つまり、自分の市と隣の市の中の教員のトップに立って初めて「ひとかどの授業」をする教員になるわけです。

 

これねえ、絶望的な数字ですよ。私はまだ若いです。志も目標も高く持つべきでしょう。しかし、1000人のトップ…。

 

無論、授業を他人と比べることが果たして意味のあることかという疑問があるのは分かります。そのうえで、この目標を自分が設定するのかということなんです。

 

授業が上手くなりたい。

 

そんな漠然とした思いではなく、自分は市の、県の教員の中で、どのくらい授業が上手い教員になりたいのか、という話なのです。実にシビアです。怖い目標です。

今年度出会った言葉の数々

今年度も無事に終えることができました。諸々の事務は残っていますが、昨日の修了式をもって、山は越えました。

 

さて、今年度も多くの言葉に出会い、それらの言葉に励まされてここまでやってこれました。心に残った珠玉の言葉の数々を紹介。なんというか、総集編的な日記。どこで出会ったか、誰が言ったかはメモをしていなかったので、気になったら調べてみてください。

 

・激励は誰にでもできる。しかし、激励し続けることは、親と教師にしかできない。

 

・伝わったことが、伝えたこと。

 

・十年偉大なり、二十年恐るべし、三十年歴史なる。(鍵山秀三郎氏)

 

・寝る子は育つ。書く子はもっと育つ。(近藤勝重氏)

 

・授業は学問の入り口である。

 

・幸せだから笑うのではなく、笑うから幸せになる。

 

道聴塗説

 

・そしてあすはいつでもあたらしい 

 

・説明は遅れると、全て釈明となる。

 

・無事これ名馬

 

・口を閉ざして思い始まる。

 

・時間のゆとりは心のゆとり。

 

・失敗と書いて成長と読む。

 

・人が嫌がるようなことを積極的に引き受け、そのチャンスを死んでもやり切る人だけに、チャンスは再び訪れます。

 

雪に耐えて梅花麗し

 

・花に水やり、人に言葉がけ。

 

・教育とは、良き人生観の確立に尽きる。

 

・リーダーは憎まれても良いが、軽蔑だけはされてはならない。

 

などなど。気が向いたら、次回以降もやりまーす。

 

 

3つの口を言わないように

私はこの1年、職員室内で適用される自分ルールがあります。

 

それは、「3つの口を言わないこと」です。

 

1つ目は悪口。

 

2つ目はタメ口。

 

3つ目はそのまま、愚痴。

 

今の職員室の雰囲気は最悪です。なぜなら悪口が多いからです。主に校長先生に対してですが、それ以外にも同僚の先生についても陰でひそひそ言っています。雰囲気が良くなるはずがありません。ですが、若手の私が阻止できることでもないので、せめて自分は言わないようにと思いました。

 

2つ目のタメ口について。自分より年齢の低い先生がいます。ですが、その先生に対しても、敬語で接し、敬称も「~さん」ではなく、「~先生」でいこうと思い、過ごしてきました。我々は友達ではなく、どんなに相手が若かろうと社会人です。その人に対して敬意を示すのが礼儀かな、と。これには賛否がありそうですし、他の方から「~君」と呼ばれても私は一向構わないので、あくまで自分ルールです。よく考えてみたら、私は子供に対しても敬語だったので、自分に合うのでしょう。

 

最後は愚痴。愚痴・・・言いたくなることは山ほどありますよ。でも、それは職員室で言ってはいけないでしょう、と。どんなに辛く、嫌なことがあっても、胸にしまい、粛々と仕事をこなす。愚痴を言うなら別の場所で、限られた人に対してだけ。

 

以上、私なりのルールでした。

最低のねこ

毎日、『ルドルフとイッパイアッテナ』という本を読み聞かせしています。低学年の子供たちは、楽しそうに聴いてくれるので、こちらも嬉しくなります。その中の一節。

 

ちょっとできるようになると、それをつかって、できないやつをばかにするなんて、最低のねこのすることだ。教養のあるねこのやるこっちゃねえ。

 

読んだとき、声が少し止まってしまいました。

 

最近、私は学級経営が多少、安定してきました。問題は数あれど、それでも、まあ、一応何とかできるようになってきました。わりに勉強もしているほうだと思います。

 

でも、先の一節は、私に冷や水を浴びせました。

 

別のクラスを訪れたとき、子供の様子を見て「育っていないな。先生はどう感じているんだろう。」と思ったり、げた箱の様子や教室環境を見て、「汚いなあ、なんできれいにしないのかな。」と考えたり。

 

よくありません。非常に危険な思想だと思います。

 

たとえ私が、どんなに優れた教師になろうとも、周りのクラスや周りの先生を批判してはならないと思います。なぜなら、自分が悪く思われたり、言われたら悲しくなるからです。高慢な人間にだけはなりたくないのです。そもそも、勉強をするのは、他人を批判するためではありません。

 

残念ながら、私の学校には他の先生をバカにしたり、批判をしたりする人が何人かいます。確かに、そのような言葉を発する方々の学級は確かに優れています。授業も上手です。が、どんなにそれらの言葉の数々が正しくあろうとも、やはり口に出しては絶対にいけないと思います。学校の雰囲気が乱れます。「どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていようとも、私は卵の側に付く」とは村上春樹氏の言葉ですが、深く首肯します。

 

批判や悪口の組織の行き着く先は、問題の隠蔽です。

 

これを知られたら、「ダメな教師」「力がない教師」と思われてしまうのではないか。そう考え始めたら最後、問題を1人で抱え込んでしまいます。

 

組織としては最悪の状態です。

 

風通しの良い組織とは、悪口を言える組織ではないと思います。どうしてもまずいのであれば、管理職がそっと告げれば良いのです。一般の教師同士は、激励や感謝、称賛の言葉を掛け合うほうがいいはず。

 

しかし、私はできていない。それどころか、天狗になっていたな、と。

 

D.カーネギーは『人を動かす』でこう述べています。

 

「手厳しい非難や詰問は、たいていの場合、なんの役にも立たない。」

 

 

ルドルフとイッパイアッテナ

ルドルフとイッパイアッテナ

 

 

 

人を動かす 文庫版

人を動かす 文庫版

 

 

言葉の力

朝、グラウンドのライン引きを終えた。職員室に戻る。ベテランの先生が言った。

 

「○○さん、今日も寒い中ありがとう。」

 

若手ならばライン引きぐらい当然やるべきという考えに、私は与しない。それでも、世間体を気にして、しぶしぶながら、毎朝ライン引きをしていた。そんなときの一言だった。

 

これは昨年までいた学校の話。

 

 

 

「子供は褒めて育てよう。」

 

そう言う教師は多い。否定はしない。むしろ正しい。だが、我々教師は、どれだけお互いを認め、励まし、感謝し、敬い、称賛をしているのだろうか。

 

今年度、私は転勤をした。新しい市の新しい学校に、新しいアパートを借りて異動した。1年が経とうとしている。今、職員室の雰囲気は極めて悪い。

 

廊下で、夜の教室で、「校長がひどい。」「ちょっとの体調不良で休むな。」「~先生は力がない。」「管理職に経営能力がない。」などの悪口が絶えない。

 

愚痴や不満は必要だが、褒め言葉に比べれば非生産的である。

 

若手の私にできることは少ない。私がいつか学校に幾らかの影響をもたらせる存在になったとき、どんな言葉を職員室にあふれさせることができるのか。

 

教員の残業時間を増やしているのは誰か

こちらの記事に関して、考えたことを。
headlines.yahoo.co.jp

 

実際は、残業が数時間で済んでいる人もいますし、逆に持ち帰りがあって、目に現れない残業をしている人もいます。ですが、日に3時間程度の残業は、やっぱり相当数いるな、と感じます。

 

もちろん、人数を増やすといった、根本的な改善はしてほしいのですが、それとは別に、教員自身が何とかできることもあるではないかと思って、筆をとりました。

 

まず、これだけ残業時間が多い理由のひとつは、「残業代が出ないから」だと思います。

 

残業代が出ると、管理職としてはあまり残業してほしくないから、早く教師を帰そうとするでしょう。でも、残業代が出ない以上、「早く帰りましょう」なんて熱意を込めて言いません。むしろ「頑張っているな」と捉えている管理職が多いように思います。そうではなく、残業代は出ない。どうあがいても今後出ることはない。だからこそ、残業は無駄である!という意識を高める必要があります。

 

さらに一般の教員の中でも、「定時に帰らずに、仕事を頑張ることは良いこと」という思い込みがあります。

 

本来は逆のはずです。「定時に帰れるのは、仕事が早く、優秀な人」です。が、それが「子供のため」という素晴らしい言葉があるせいか、教員の世界では「子供のために、無償でも働くことは尊いこと。」という理屈に変わります。「子供のため」ならばすべてを犠牲にして良いのか。そうではありません。定時以降は「子供のため」の時間ではなく、「自分や自分の家族の時間」です。子供のことを一生懸命に考えるのは定時までにしたいです。そして、その方がメリハリがついていると思うのです。

 

また、残業時間が多い理由として、「生産性の意識が低い」ことも挙げられるでしょう。

 

例えば学年の打ち合わせ。来週の予定や学年で共有しておきたい事柄を書いた紙を1枚、主任の先生が作成して、各学級の教員の机上に置いておけば、大抵の連絡事項は伝わります。わざわざ椅子に座って話し合う時間を取らないときや場合があっても良いはずです。にもかかわらず、「来週の予定はなんだっけ?」から始まり、「国語の次の単元は~だね。どうしようか、~しない?」とその場で考えていく。生産性が低い!

 

それに加えて、教員自ら、勤務時間外に仕事を入れています

 

本校では毎朝、7時50分から、「朝のスポーツタイム」を設けて、始業の8時10分までの20分間、運動場を子供たちが走ります。教員も走ります。何かあっては困るからです。もちろん、勤務時間外ですから校長から指示があったわけではありませんが、若手が外に出ずに職員室にいるわけにはいきません。論理よりも空気。正義よりも職場の常識。美しい日本の姿です。

 

この時間、もちろん、給料は出ません。完全なボランティアです。でも続きます。なぜかって?「子供の体力がつくから」「これまでもやってきたから」「登校してから始業までの時間がもったいないから」・・・。

 

確かに、やらないよりはやったほうがいいでしょう。たとえ、3度を下回る寒さの中であっても、走ることはきっと、心肺機能を高めるのでしょう。それでも、です。どんなにそれがプラスになっても、「勤務時間外に活動を入れること」は絶対にやってはいけないことだと思います。際限がなくなるからです。もっと言えば、誰が運動場を監督するのか。誰がラインを引くのか、という問題があります。答えは、全部、若手です。一番、授業や学級経営に力を入れるべき若手が、一番苦労をして割を食うのです。むちゃくちゃですよ、これは。

 

さて、先の記事では、多くの方々が教員の大変さに同情してくださっています。本当に本当に、ありがたいことです。世間には教員以上に大変な仕事につかれている方はたくさんいるにも関わらず、です。そのような優しい方々のためにも、我々教員はこれからも身を粉にして、頑張り続けねばなりません。ですが、一方で、教員は自分たちの首を自分たちで絞めないようにするべきです。そのために何ができるか、今一度、教員自身が考え直す必要があるではないでしょうか。