物語文を読んだり、先生の話を聞いたりした後のこと。
子供はよく
「おもしろかった」
「悲しかった」
「へーと思った」
などと感想を述べることがあります。
が、それは「感じる」ことを言っただけで、あまり価値がないなと思います。「考える」とは言いません。
せめて、その後の「なぜそう思ったのか?」を言わせたいところです。
「おもしろかった。なぜかというと、豆太が最後の場面でも臆病に戻っちゃったから。」
「悲しかった。だって、地震で死んじゃった人がいるから。」
などなど。
物語文を読んだり、話を聞いたりしたときに、頭の中が目まぐるしく動いている人と、そうでない人がいます。違いは「言語化」だと思います。
目まぐるしく動いている人は、頭の中で
「なぜだろう?」
「他と比べてみるとどうかな?」
「とすると将来はどうなるのかな?」
と問いを立て、自分なりに答えを導きだそうとしています。
「仮説を立てる」などと難しいことを言うまでもなく、とにかく「言語化」しているかどうかがポイントです。
言語化していない場合、感じることはあっても、それは「考えた」とは言わないと思います。
ついつい、人はどうしても「感じる」に終わってしまいがちです。その方が楽だから。でもそれでは「考える力」は伸びません。
考える力を鍛えたければ、「感じる」状態から脱しましょう。そのためには言語化が必要です。
言語化の練習にはアウトプットが最適だと思います。アウトプットは、大まかに分けると、話すか書くかどちらかです。学校ならば、どちらも授業で扱いますね。友達に伝える・文章に書く。アウトプットの活動を半強制的に行うからこそ、学校で考える力が鍛えられます。
多くの子供は、見ただけ、読んだだけ、聴いただけでは「感じる」ことはあっても、「考える」にまでたどり着けません。頭の中で目まぐるしく思考をする子供は、もともと素養があるか、どこかで鍛えてきた一部の子供だけです。
小学校の低学年ならば、感じたことに理由を付け加えさせたいですね。
中学年以降ならば、根拠を示したり、自分の経験を入れてアウトプットをさせたいところです。
口でいくら「考えましょう」と言っても子供は動きません。だからこそ教師が補助的に発問を入れます。
「なぜそう感じたの?」(理由)
「どこからそう感じたの?」(根拠)
「似た出来事はあった?」(経験)
すると子供たちは理由を考えたり、自分の経験と比べたりします。
では、教師がいない場合はどうすればいいのでしょうか?
私は「枕詞をいくつも持っているといい」と子供に伝えます。
「なぜかというと~」や「もしも~」「自分だったら~」「根拠は~」「そういえば昔~」「だったら~」などなど。
自然と理由や経験を話したくなりますよね。
子供ですから、理由と結論がうまく噛み合っていないことは多々ありますし、「それって、結論と経験が全然関係ないじゃん」ということもよくあります。
理想は子供自身が自分のアウトプットを振り返ることですが、なかなかうまくできません。ですから、子供のアウトプットの内容を一つ一つ丁寧に見ていくことが教師の仕事だと思います。教師が子供にメタ認知を促すのです。
まとめます。
・多くの子供は「感じる」だけで「考える」ことはしていない。
・「考える」ためには言語化が必須。
・言語化の練習にはアウトプットが最適。
・何かを読んだり聞いたりしたら、アウトプットを繰り返させましょう。
・高度なアウトプットをしたければ、枕詞を教えましょう。
・教師はアウトプットを確認しましょう。