小学校教師クラメロンの日常

関西のみかんが有名な県に住んでいます。小学校教員。3.5.2.6.5異動1.4.特別支援学級.5.1という流れ。今年も生徒指導主任。

「感じる」から「考える」へ

物語文を読んだり、先生の話を聞いたりした後のこと。

 

子供はよく

「おもしろかった」

「悲しかった」

「へーと思った」

などと感想を述べることがあります。

 

が、それは「感じる」ことを言っただけで、あまり価値がないなと思います。「考える」とは言いません。

 

せめて、その後の「なぜそう思ったのか?」を言わせたいところです。

 

「おもしろかった。なぜかというと、豆太が最後の場面でも臆病に戻っちゃったから。」

「悲しかった。だって、地震で死んじゃった人がいるから。」

などなど。

 

物語文を読んだり、話を聞いたりしたときに、頭の中が目まぐるしく動いている人と、そうでない人がいます。違いは「言語化」だと思います。

 

目まぐるしく動いている人は、頭の中で

「なぜだろう?」

「他と比べてみるとどうかな?」

「とすると将来はどうなるのかな?」

と問いを立て、自分なりに答えを導きだそうとしています。

 

「仮説を立てる」などと難しいことを言うまでもなく、とにかく「言語化」しているかどうかがポイントです。

 

言語化していない場合、感じることはあっても、それは「考えた」とは言わないと思います。

 

ついつい、人はどうしても「感じる」に終わってしまいがちです。その方が楽だから。でもそれでは「考える力」は伸びません。

 

考える力を鍛えたければ、「感じる」状態から脱しましょう。そのためには言語化が必要です。

 

言語化の練習にはアウトプットが最適だと思います。アウトプットは、大まかに分けると、話すか書くかどちらかです。学校ならば、どちらも授業で扱いますね。友達に伝える・文章に書く。アウトプットの活動を半強制的に行うからこそ、学校で考える力が鍛えられます。

 

多くの子供は、見ただけ、読んだだけ、聴いただけでは「感じる」ことはあっても、「考える」にまでたどり着けません。頭の中で目まぐるしく思考をする子供は、もともと素養があるか、どこかで鍛えてきた一部の子供だけです。

 

小学校の低学年ならば、感じたことに理由を付け加えさせたいですね。

中学年以降ならば、根拠を示したり、自分の経験を入れてアウトプットをさせたいところです。

 

口でいくら「考えましょう」と言っても子供は動きません。だからこそ教師が補助的に発問を入れます。

 

「なぜそう感じたの?」(理由)

「どこからそう感じたの?」(根拠)

「似た出来事はあった?」(経験)

 

すると子供たちは理由を考えたり、自分の経験と比べたりします。

 

では、教師がいない場合はどうすればいいのでしょうか?

 

私は「枕詞をいくつも持っているといい」と子供に伝えます。

 

「なぜかというと~」や「もしも~」「自分だったら~」「根拠は~」「そういえば昔~」「だったら~」などなど。

 

自然と理由や経験を話したくなりますよね。

 

子供ですから、理由と結論がうまく噛み合っていないことは多々ありますし、「それって、結論と経験が全然関係ないじゃん」ということもよくあります。

 

理想は子供自身が自分のアウトプットを振り返ることですが、なかなかうまくできません。ですから、子供のアウトプットの内容を一つ一つ丁寧に見ていくことが教師の仕事だと思います。教師が子供にメタ認知を促すのです。

 

まとめます。

 

・多くの子供は「感じる」だけで「考える」ことはしていない。

・「考える」ためには言語化が必須。

言語化の練習にはアウトプットが最適。

・何かを読んだり聞いたりしたら、アウトプットを繰り返させましょう。

・高度なアウトプットをしたければ、枕詞を教えましょう。

・教師はアウトプットを確認しましょう。

授業はオンデマンドでいいのでは?

日本の公立小中学校の教員は忙しいと言われます。理由の1つに、そもそも人手が足りないことを挙げる方が多くいらっしゃいます。

 

人手が足りないというのは、その通りだと思います。

 

最近私は、だったら授業をオンデマンドにしてみては?と考えています。

 

東進ハイスクールはそうしていますよね。授業の映像配信。それで効果を上げているのでしょう。同じことを学校でもやればいいと思うのですが。

 

もちろん小学校低学年は無理ですね。画面上の先生の話など、聴こうとしない恐れがぷんぷんします。

 

しかし中学校以降ならば、可能ではないかなと思います。

 

映像配信の授業者はとびっきり授業が上手な先生から選べばいいのですから、子供にとっても良いように感じるのですがね。

 

特に高校は基本的にオンデマンドで良いと思います。現状、ほとんどどの高校でも、先生たちは講義型の授業を展開されていますし。だったら映像で十分じゃないかと。

 

で、そこで余った人手(県立高校の教員)を市町の公立小中学校に送り込むと。

 

え? 探求の授業はどうするかって? 全ての授業をオンデマンドでする必要はないでしょう。だから一定数の教員は確保しておけばいいのでは? だとしても現状よりは人員が削減できると思います。

 

高校…と書きましたが、小学校高学年ぐらいでも授業は映像配信で良いのではないかと最近、考えています。しょうもない講義型の授業は全て映像に置き換えてしまえばいいのではないでしょうか。そうすれば人手不足は解消できると思うのですが、まあ、どの学校でもやっていませんね。他の国ではどうなんでしょうか。気になります。

 

残ることは1つだけ

名を残した総理大臣でさえ、在任中に人々の記憶に残るようなことは1つしかできないのだなと思います。

 

池田勇人ならば所得倍増、田中角栄ならば日本列島改造、小泉純一郎氏ならば郵政民営化

 

今の岸田首相ならば新NISAになりそうです。

 

他にも様々なことをされたはずです。小泉氏は北朝鮮から拉致被害者を数名帰国させましたし。

 

ですが、人々の記憶に残るのは、やはりせいぜい1つなのです。

 

短命に終わった総理など、何をしたのか全く記憶にありません。

 

学校の教員も同じでしょう。

 

担任ならばいろいろなことを子供にしてあげたくなります。しかし子供が後年、覚えているのは、やっぱり1つだけです。

 

「学級通信を出してくれたよね。」

百人一首をやったよね。」

「調理実習でクッキーを作った。」

などなど。

 

他のことも多少は覚えてくれていますが、極めて断片です。小学生の記憶力はその程度なのかもしれません。

 

アインシュタインは「教育とは、学校で学んだことを全て忘れてしまった後に残るものだ」と述べています。百人一首以外の全てを忘れても、何かが子供に残っているのだと信じるしかありません。

学校の電話をとるのは誰?

職員室に電話の呼び鈴が鳴り響きます。

 

さて、誰がとるべきなのでしょうか?

 

基本的には事務室にいる事務職員が電話をとります。授業中ならば職員室は、ほぼもぬけの殻だから当然です。

 

では放課後は?

事務職員がいれば、その方々がとります。

 

問題は事務職員がいなかった場合です。

 

学校によって、電話に出るのは次の3つに分かれると思います。

 

①管理職

②若手

③年齢立場関係なく、気付いた人

 

私の学校では、①が基本ですが、③の場合も多いですね。ただ、2つの点から問題があります。

 

第一に、(私もそうなのですが)電話が職員室の自分の席の近くにあると、必然的に電話をとる回数が増える問題です。電話をとる=業務が止まるわけですから、正直ちょっと不公平だなと感じます。

 

第二に、そもそも電話をとることは教員の仕事なのか?という問題です。教員の仕事とは、教員免許を持っている人にしかできないことだと思っています。例えば授業であったり、保護者連絡であったり、不登校やいじめなどの対応であったりします。逆に、テストの採点や雑草取り、教室や廊下の修繕などは教員の仕事ではないと考えています。住み分けをしっかりとしましょうというのが、持論です。難しいのでしょうが、理想はコールセンターな部署を作ることです。

 

一方で、「②若手」が電話をとる学校も多いでしょう。

 

本校の良いところは、若手が率先して電話をとる雰囲気がないことです。

 

前任校では違いました。若手が電話をとる空気に包まれていました。それどころか、あえて若手の机の上に電話が置かれていました。「3コール以内に必ず電話に出ること!」と管理職から命じられていました。私も命じられた一人で、当時は何も疑問を抱いていませんでした。

 

が、今思うと、大きな誤りだなと感じます。

 

なぜなら若手こそ、教員にしかできない仕事に注力すべきだからです。

 

若手は、明日の授業を考えたり、子供のノートにコメントをしたり、学級通信を書いたりして、自分の実践をどんどん追究すべきだと思います。

 

「電話を教員がとる」という文化をつくるのなら、年齢立場の別なく、全員がとる意識を高めるべきです。

 

ここまでは「放課後」の話でした。

 

では、放課後の中でも、「勤務時間終了後」はどうでしょうか?

本校では、上記と同じ対応です。つまり基本的には管理職がとり、管理職が出られないようであれば、他の職員が慌ててとる…方式をとっています。

 

これは明確に「間違い」だと思います。

 

なぜならば「勤務時間終了後」だからです。

 

どの企業でも、勤務時間終了後は電話に出ません。勤務時間終了後にも律義に出る学校の文かはおかしいと思います。

 

本当に不思議なのは、「我が市では6時半以降は留守番電話対応をしております」と市教委が広報している点です。いやいや、(勤務時間終了の)5時~6時半までも留守番電話対応をするべきです。

 

ですから「勤務時間終了後」はそもそも「電話に出ない」が正解です。どうしても出たいのであれば「管理職」が出るべきです。

 

このあたりを勘違いされている管理職がときどきいらっしゃって困ります。

 

私の前任校よろしく、「電話は3コール以内で出る!」「それ以上待たせたときは、『お待たせして申し訳ございませんでした。』と一言伝える!」と口角泡を飛ばす管理職がときどきいます。

 

いえいえ、そもそも電話に出ることが教師の仕事ではありません。コールセンターではありませんからね。事務職員もいない、管理職もいない、そんなどうしようもないときならばまだ分かりますが、だとしてもそんな電話のルールまで徹底されたら堪らないな…というのが本音です。そして勤務時間終了後は一切電話に出る義務はないはずです。

 

と…ここまで書いてのどんでん返し。

 

「上記のように考える職員は、そもそもチームの一員としてどうなのか?」です。

 

心の底から学校のことを考えていたり、自分の所属する学校を良くしたいと願ったりする人ならば、やはり率先して電話に出るべきだという意見もあります。

 

なぜそう考えるかというと、私はときどき、次のようなことを子供に伝えるからです。

「仕事には3つあります。1つ目は自分の仕事です。皆さんにも一人一人、給食当番や掃除当番の担当がありますね。それらは自分の仕事です。2つ目は友達の仕事です。言い換えれば友達の当番です。友達が困っていたら、手伝ってあげる人もいるかもしれません。そして3つ目が、誰のものでもない仕事です。教室の床にごみが落ちていたら、誰が拾って片付けるのでしょうか。担当の人はいませんよね。ですから、誰のものでもない仕事というわけです。この誰のものでもない仕事を見つけて、実行に移せる人は立派だと思いますよ…」

 

現状、「電話をとる」仕事は「誰のものでもない仕事」です。

 

であれば、私が子供たちに語っているように、学校の一員としてすべきことは、「進んで電話をとる」ことだと思うのです。

 

繰り返しますが、私は「電話をとる」仕事も、しっかりと役割分担をしていくべきという考えの持ち主です。が、このように役割分担をしていく、つまり校務分掌を細かく定めていくことは本当に良いことなのでしょうか?

 

校務分掌を細かく定めていくと、「それは○○さんの担当ですね。」や「それは私の仕事ではないから…。」という言葉を職員室でよく聞くようになると思います。既にそうなっている学校も多いでしょう。もしも電話対応というポストを作ると、同様のことが起きるかもしれません。「電話が鳴っているけれど、それは私の仕事ではないから…」。

 

たかが「電話をとる」問題ですが、こう考えていくと、自分の中で納得解がまだ出てきていないのです。

 

自分は子育てを好きではない

最近、自分のことで気付いたことが

 

「自分は子育てを好きではない」

 

ということ。

 

子供が好きか?と問われれば、「まあ、どちらかと言えば好きです」と答えるでしょう。小学校の教師をしているぐらいですから、嫌いではありません。が、小学校で子供と関わることと自分の家で自分の子供を育てるのでは、まるで違います。前者は結構好きですが、後者は好きではないのだということに最近気付きました。

 

なぜ自分は子育てを好きではないのか?

 

最大の理由は、「ここまで自分の時間がなくなるなんて、耐えられない!」からです。

 

今、私には2歳と0歳の子供がいます。非常に手がかかります。平日は定時退勤後、上の子を近くの遊び場に連れていき(日中は妻が家で下の子の面倒を見ていて、上の子はどこにも行けないのです)、帰ってきたらお風呂、夕飯の支度、食器洗いとなります。そうこうしていたら夜の8時になっているので、歯磨きをして寝かしつけをし、夜9時です。自分もバタンキュー。

 

土日も同様です。午前中は上の子を公園やら児童施設やらに連れていきます。帰宅後はお風呂、午後は昼寝に付き合ったり、再度どこかへ連れ出したりします。夜は夕飯の支度をして…平日と同じ流れですね。

 

合間合間に、下の子のミルクを作ったり、お風呂やトイレ掃除をしたり、まあいろいろします。

 

確かに、自分の時間は細切れにあります。しかし細切れだと大したことができないのです。

 

まとまって数時間単位で自分の時間をとれないと、本を読むことも動画を見ることも何もできません。これがとんでもなくストレスなのです。

 

妻は育休中ですので、子育てや家事を頑張ってくれていますが、正直そこまで手際のいいタイプではないので、私も子育てや家事にかなり取り組む必要があるわけです。

 

先日、このことをある先輩の先生に伝えたところ

 

「まあ、子供が小さいうちが一番大変だよ。幼稚園に入るころには楽になるよ。」

 

と仰っていました。

 

そうなんですかね…。

 

世の中には子育てが大好き!子供大好き!!!子供かわいいーーー!!!的な人もたくさんいらっしゃいます。…本当に尊敬します。

 

私は自分の子供ですが、そこまで好きになれない人なんだなと気付きました。

 

わりとこのことを明言する人は少ないように思います。「自分の子供を好きになれない、子育てを楽しめない人はちょっと…」という雰囲気を社会に感じます。

 

が、私はあまり好きになれないのです。

 

先日、ある児童施設に行ったとき、子供と非常に楽しそうに遊ぶ父親の姿を何人も見かけました。私は仏頂面して子供が遊ぶ姿を見ているだけ…。

 

みんな、すごいなあと思います。

発達障害の子が大変なのは授業ではない

発達障害の子にとって、授業は大変な場だと考えられがちです。

 

が、私は見ていて、「いや、授業は意外となんとかなるな」と感じます。

 

例えば多動が収まらない子も、授業を活動中心に組み立てれば、結構集中します。国語ならば音読をしたり、話し合いをしたり、文章を書いたりと、小刻みに活動を区切っていきます。

 

幼稚園時代、注意があっちこっちに行ってしまって大変だった子も、小学校は一人に1つ机があり、時間に合わせて動くため、意外と授業は何とかなります。

 

では、そういった発達障害の子にとって大変な時間はいつなのか?

 

それは授業外の時間です。

 

一番大変そうに感じるのは、休み時間です。

 

特にADHDの子供はトラブルをよく起こします。廊下を走って転んでけがをしたり、友達に何かを言われて手を出したり。

 

発達障害と書きましたが、知的に低い子も同様です。授業中は教師の支援が届きやすいですが、休み時間はそういうわけにもいきません。低学年であれば校舎内で迷子になって泣き叫んだり、図書室や多目的ルーム(雨の日に遊べるプレイルーム的な場所)の使い方をきちんと理解できず、他の子とトラブルになったりします。

 

授業は教師の目が行き届きやすいですし、ルールも分かりやすいです。自分の席があり、決められた時刻に始まって、教師の指示の下、計画的に動いていくので、特別支援を要する子供にとっては意外と居心地が良いように思います。(このシステムを画一的と批判される方も多くいらっしゃいますが)

 

逆に授業外の時間は、ルールが明文化されていないことが多く、フリーすぎるのです。

 

特別支援学級ならば話は別です。数人に対して担任が1人(+サポート員)と手厚い体制があるので、休み時間も大人の目が届きやすいです。問題は通常学級です。30人を大人一人で見切るのは、授業中ならばともかく、休み時間はほぼ不可能です。

 

ただ、これらの問題は小学校の低学年で頻出しますが、高学年ぐらいになるとあまり見られなくなります。

 

マンパワーを増やすことができない以上、小学校低学年のうちは仕方がないトラブルなのかなとも思います。

私の失敗談シリーズ⑧怒りっぽい

失敗談というより、現在進行形の悩みです。

 

教員になって気付いた私の最大の短所は「怒りっぽいところ」。

 

小学校の教員ならば致命的だとさえ思います。

 

いつも笑顔で、明るい先生が小学校の先生のイメージでしたが、そうではないのが私です。

 

叱るというよりも、怒ってしまうんですよね。

 

何が問題なのでしょうか。

 

最近の子供たちが傷ついてしまう恐れが高いことです。今の子供は叱られ(怒られ)慣れていません。一歩間違えると不登校です。そのため、基本的に怒る教師はアウトですし、叱り方も気をつけないといけません。

不登校になった子供が、学校に最初に行きづらいと感じ始めたきっかけNO1は先生のこと。約3割。https://www.nhk.or.jp/minplus/0012/topic046.html

 

どうすればいいのだろう…とここ数年間ずっと考えています。

 

アンガーマネジメントの本を中心に、何冊も関連書籍を読みました。

 

その中の一冊に次の本がありました。

 

 

良い本でした。

 

この本には、怒り方のチェックリストがあり、自分がどのタイプなのかが分かるようになっています。それによると、私は幼児性が高い怒り方のようです。…教員として終わっているなと思います。

 

対処法として、まずそもそも怒りたくなる場所から離れることが大事のようです。…それは無理ですね。子供の前から立ち去ることは不可能です。タイムアウトと言って、怒りそうなときにいったん教室から離れる手もありますが、教室から離れている間に何か別のトラブルがあったらアウトです。

 

他の対処法も載っていました。怒りたくなったら、自分が好きなこと・ものを想像するというもの。これはありだなと思いました。が、自分が好きなもの(趣味)は何だろう?と考えると、特に思い浮かばなかったのです。フィギュアを集めることが好きな人のように、特定の何かが好き!という人がうらやましいです。

 

ただ、別の書籍で知ったのですが、観葉植物は自分のストレスを下げるのに効果があるようです。

 

とりあえず教室のどこかに、小さな観葉植物を買おうかなと思います。