小学校教師クラメロンの日常

関西のみかんが有名な県に住んでいます。小学校教員。3.5.2.6.5異動1.4.特別支援学級.5.1という流れ。今年も生徒指導主任。

2月の終わりに

毎年思うことですが、この時期は忙しいです。事務処理や通知表はもちろんですが、今、私が最も問題視しているのは授業の進度とテストの実施状況です。

 

端的にいえば、終わるかどうかの瀬戸際です。というより、このままいけば、終わらない気がします。困ったなあと。

 

なぜこうなってしまったのか。それを考えていけば、対策が浮かぶはずです。

 

・進められる教科をどんどん進めていなかったこと

・終わりを見据えていなかったこと

・テストの計画を立てていなかったこと

この3点だと思います。

 

初めての高学年。理科や図工、総合など、1人では進めにくい教科がありました。ならば、1人で進められる教科は少し早めに進んでおくべきでした。

 

基本的に、授業やテストは2月末までに終えるつもりで進めるべきでした。そうすれば3月前半はまとめに充てられます。授業やテストを2月に終えるには、どうすれば良いか。私は3学期と言うよりも、2学期に勝負をかけるべきだと思います。1学期は学級開きがあったり、運動会があったりで忙しいので、なかなか授業が進みません。だからこそ、勝負の2学期となるわけです。算数はともかくも、国語や社会に関しては、できれば半~1単元ほど、前倒しで進めていきたいものです。

 

さらに、全てのテストを事前に確認しておく必要もありました。これで最低限、押さえるべきポイントが分かります。さらに、それぞれの学期において、何枚のテストを行うのかが分かれば、月当たりのテストの枚数も予想がつきます。テストの実施も含めた計画的な授業設計が大切です。

 

授業を丁寧に、しっかり行う技術はもちろん大事なのですが、軽く、さらっと済ませる技術も同じくらい必要というわけです。すべては段取り力にかかっています。

子供を伸ばす学校

今日も偉そうなことを書くことをお許しください。

 

先日、某有名小学校に行ってきました。

 

教科指導もさることながら、先生方が、学校全体の取り組みに自信を抱いている印象を受けました。

 

研修の帰り道に「子供を伸ばす学校と、そうでない学校の違いは何か」を考えました。

 

現在の私の答えは

 

「学校中の教員が、その学校が目指す方向を明快な言葉で語ることができるかどうか。」

 

です。

 

その学校ごとに重視する取り組みは違っていていいと思います。教科指導を極めるでも、話し合いを大切にするでも、追究学習に重きを置くでも、自力読みができるようにするでも、なんでもです。子供を育てることにつながるのであれば、どれでもいいのです。ただ、学校ごとに決めた方向に、全教員が向いていなければ意味がありません。

 

聞き合いを大切にしましょうと言っているのに、授業の内容は講義形式の学級があったり、活動主義的な授業ばかりの学級もあったり、ではいけないと思います。何がダメかと言うと、系統立てていないところです。その先生、その学級ではうまくいっても、次の年、新たな学級では別の先生が大事にする事柄のもとで、子供は育ちます。前の学年で得た力が効果的に生きることはないでしょう。

 

一人ひとりの先生の個性をなくせと言っているわけではありません。学校の中で、特に大切にしたいことや、育てたい力を、何か1つでいいから共有したほうがいいということです。他は各先生の自由でいいでしょう。ただ、特に大事にしたい1つのことがあれば、それを軸に子供を育てることができます。

 

しかし、大事にしたいことは単なる学校目標としても意味がありません。各学校の取り組みを、全教員が具体的な言葉で語れるかどうかが肝要でしょう。

 

そんなことを考えながら私は、子供を伸ばす学校であるためにも、校長先生の考えをしっかりと受け止めたいなと思いました。おわり♪

東京研修2.6

先週の土日は某附属小学校へ研修に行ってきました。

2つの授業を参観しました。ともに国語の物語文でした。

以下、思ったことを。
・叙述を基にした確かな読みと、想像力を発揮した豊かな読み
・初発の感想を交流しあうことは、読みの多様性を認めることにつながる。子供たちの国語への関心を高めうる。
・各学年の発達段階に合わせた学習用語を使うことが大事。
・書く力をつけたい!
・教師はしゃべりすぎてはいけない。
・これからの教師の役割は、知識の伝達ではなく、議論の交通整理役。ファシリテーターってやつ?


教師は1年勝負!

教室は30人の人間が集まります。30人もいれば、「○○君と相性が合う合わない」という問題が生まれます。子供同士でも生じますが、教師と子供の関係でも合う合わない問題はあります。無論、教師はどの子も平等に扱いますし、「この子とは合わないから」と言って切り捨てることはしません。できるだけの愛情をかけて、どの子とも付き合いますし、指導もします。しかし、子供は違います。子供の持つ「この先生とは合わない!」という感情を、子供が理性的に抑えることはそう簡単ではないでしょう。それは悲しいことですが、現実としてそうなのだから、仕方ありません。

 

だからこそ、担任は1年交代でありたいと思います。

 

持ち上がりの良さは、子供を長い目で見ることができる点にあります。指導をじっくりと行うことができる良さもあります。しかし、相性の問題はそのようなメリットを打ち破ると思います。

 

私と相性が合う子供はいいかもしれません。しかし、クラスの中には、口には出さずとも私のことを好きでもなければ、尊敬も信頼もしていない子がいると思います。私はそれが普通だと思います。30人全てから好意や尊敬、信頼を得ることは不可能に近いとさえ考えています。それができるのは、よほどのベテランか、あるいは宗教家だと思います。

 

もしも来年、私と相性の合わない子の担任が、また私だったとしたら。その子にしてみれば悲劇です。「相性の合わない人間と付き合う術を学ぶ」というのは学校の役割の一つだと思いますが、2年も3年もそんな学びを続ける必要はありません。

 

私と相性の合う子にしてみても、相性の合う人間としか過ごさないというのは、その子の人生にあまり有益と思えません。いろいろな大人と付き合い、付き合い方を学ぶべきです。その意味では、もっと小学校でも教科担任制を推し進めるべきです。

 

現在、私が担任している5年生の子供たち。彼ら彼女らの卒業を、6年生の担任として見送ることはしないつもりです。ゆえに、残り1ヵ月半が貴重な日々となります。

不登校について

「学校に行くのが無理なら、行かなくてもいい。勉強ができる場所ならばいくらでもある。」

 

・・・というようなことを、茂木健一郎氏がブログでおっしゃっていました。

http://lineblog.me/mogikenichiro/archives/1185288.html

 

間違ってはいないと思います。

 

しかし、私が見てきた中で、不登校の子が自ら学びの場を求めたり、社会性を身に付ける場を探したりすることは、残念ながら、かなり少ないと感じます。

 

私が言いたいのは、「学校が嫌なら、無理して行かなくてもいい!」というのは、間違いではありませんが、あまりに無責任ではないか、ということです。無理して行かなかった結果、どういう将来が待っているのでしょうか。無理して行かなかった結果としての未来をだれが過ごすのかと言えば、それは本人しかいません。

 

教師も含めて、我々大人は、その子の人生の責任者になどなれるはずはありません。にもかかわらず、「学校が嫌なら、無理して行かなくてもいい!」とは言えません。

 

では、不登校の子は、無理してでも学校に行くべきかと問われれば、そうとは言えないと答えるしかありません。

私の休日

今日で1月は終わりである。休日のたびにセミナーに出ていた。席の温まる暇がないほど、よく動いた一ヶ月だったように思う。それが良いことかどうかはさておき、教師は最初の5年が勝負だと思うので、できる限りのことはしておきたい。そして、30を過ぎたら利息で生きたい。どちらかと言えば、私は間違いなくネガティヴ志向でインドア派の人間だからだ。

しかし、今日は予定が空いていた。本当ならば学校へ行き、片付けなければならない仕事をするべきであった。だが、休日出勤にまるで意欲が湧かず、そのまま逃げるように隣町に出かけた。

趣味は喫茶店巡りである。しかしコーヒーは飲まない。昔、胃炎になって以来、専ら紅茶党だ。紅茶だってカフェインが入っているのだから、影響具合はコーヒーと大して変わらないような気もしないでもない。

喫茶店で何をするかというと、本を読むか教材研究である。その前に、どんな喫茶店が好きかを話しておかねばなるまい。私の気に入る喫茶店は、適度におしゃれで、さりとて成人男性が1人で入っても、さほど好奇な目で見られることがない、全てにつき、ほどほどという言葉が似合う個人経営の店だ。注文が多いやつだと思われそうだが、幸運なことに、私の隣町にはそんな喫茶店がわりあいに多い。隣町なので、知り合いに会うことも少ない。大事なポイントだと思う。

喫茶店では、本を読む。主に教育図書だ。そうでなければ教材研究をする。結局、学校に行こうと行くまいと、やっているのは仕事関係なのだ。でも、意味合いは全く違う。学校へ行って事務処理をするよりも、はるかに知的で、明日の授業に生かせるから楽しいのだ。しかも側には美味しいケーキもある。余談だが、私はいい歳をした成人男性だが、喫茶店では紅茶の他に、必ずケーキを頼む。喫茶店をはしごしても、その都度、ケーキを食べる。私は結構、甘党なのかもしれない。

そんなことをしていると、夕方である。休日に夕飯を作る気にもならないから、帰り道にジャンクフード的な店に寄る。そのため、夕飯を味わうというよりも、食事を摂取するという言い方が正しいと思う。

そして、今に至る。私の休日など、別に誰も興味をもたないであろうが、急に書きたくなった。

明日から1週間がまた始まる。2月は早い。戦略的に仕事をこなしていきたいものだ。

西村健吾先生セミナーまとめ

・豆腐のような教師(マメで四角い厳しさもあり、面白さややわらかさもある・・・すごくいい!)

・どんな教師になりたいのかを考えること(どの子も伸ばす教師・・・だめだな。あまりに抽象的)

・アクティブラーニングのキーワードは主体的と協同的。

・ひじから手首までの骨は2本。ひねることができる。絵に描かせるとずれが生まれる。

・本当のあいさつは、形式的なあいさつの後につく。

・善行3つ。法律上の善、道徳的善、宗教的善、どれが良いだろうか。

・緩やかな善意の強制。

・意識させるべきは過去の自分たち。

・気を付けの姿勢やすぐに立つ動きは、他の場面に転移する。

・20年後の社会や子供の姿を考える。

・現代的課題と未来的課題を考える。

不登校は現在12万人。

・(ときどき、学校に行かなくてもいい!と言う人を見かける。それはそうかもしれないが、じゃあ、学校に行かないあとの未来はどうするのか。自宅でも学習ができる!と言う人がいるが、果たして学校に行かない子供のうち、自宅で意欲的に学習に取り組む子供はどのくらいいるのか。)

・社会生活を送るうえでの3種類の人間関係。

・他人(知らないから関わらない)

・他己(知っているから関わる)

・他者(知らないけれど関わる)これが今、失われている!

・他者関係をしっかりとつないでいくこと。授業で他者関係を構築。ペアトークは横、たて、ななめで。

・崩壊学級には読み聞かせ。

・ホットシンキングは面白い。

・学級で大切なのは個の力とチームの力。

・大変とは、大きく変わるチャンスである。

・アンダンテという学級通信の名前はすごくいいと思った。

 

2000円ぐらいのセミナーとは思えないほど、濃密な3時間だった。西村先生のような学級通信を書きたい!いい先生は笑顔が素敵だな、と。そんな教師人生を歩みたいものです。