小学校教師クラメロンの日常

関西のみかんが有名な県に住んでいます。小学校教員。3.5.2.6.5異動1.4.特別支援学級.5.1という流れ。今年も生徒指導主任。

スーパーティーチャーはいらない

どの学校にも1人ぐらい、いるかもしれません。

 

スーパーティーチャー。

 

その人が担任をすると、どんな子供も更生される。保護者からも管理職からも評判が良く、前年度まで崩壊していた学級を立て直す。授業はピカイチ。そんな素晴らしい先生がときどきいます。そうした全体の中のトップ上位数%の教師を「スーパーティーチャー」と呼ぶことにしましょう。「ああ、あの先生はスーパーティーチャーだなと考える人が、誰にもいると思います。

 

そんなスーパーティーチャー。私もかつては目指していましたし、スーパーティーチャーのような先生が学校に何人もいればいいのにと思っていました。

 

ただ、最近は全く逆の考え方をするようになってきました。

 

結論から言えば、「スーパーティーチャーはいらない」です。

 

その理由を端的に言えば、

 

「持続可能ではないから」

 

です。

 

その瞬間、その学級はいいのです。

 

スーパーティーチャーが受け持つことで、大変な子供が落ち着くこともあるでしょうし、クレーマーがおとなしくなることもあるでしょう。しかし、たった1年かそこいらで、全てがひっくり返ることはありえません。人はそう簡単には変わりません。変わるのだとしたら、しょせんその程度の大変さだったということです。

 

翌年違う先生が担任をしたとき、きっとまた問題が噴出するでしょう。そればかりか「昨年度の素晴らしい○○先生だったらうまくいっていたのに!」と保護者が言ってきて、むしろ被害が広がる恐れも出てきます。

 

麹町中学校の元校長の工藤勇一氏は、この状況に苦慮し、最終的に学級担任制を辞めたそうですが、慧眼だったと思います。

 

特定の先生だけがとびぬけた成果を出す授業や、学級経営をしても、周りがついていけないようでは、その人がいなくなったときに元の木阿弥です。そうではなく組織全体として、どの人がしても、一定の成果を出せるような仕組みづくりこそが大事です。

 

同じ学年にスーパーティーチャーがいたら、超大変です。何かにつけ、比べられるわけですから。子供たち(保護者も)も「○○先生のクラスが良かったー」と言い出す始末。やりにくいこと、この上なし。スーパーティーチャー自身が、自分のせいで周りが困っていることに気付いていればいいのですが、たいていの場合は「みんなも頑張ればいいのに!」と言い出しかねないので、大変です。

 

スーパーティーチャーをちやほやする現場ではなく、多くの凡庸な教師でも一定の成果を出せるような組織にしないといけないと思います。

 

そういえば次のような言葉がありますね。

 

「早く行きたいのなら一人で行け。遠くに行きたいのなら全員で行け。」