小学校教師クラメロンの日常

関西のみかんが有名な県に住んでいます。小学校教員。3.5.2.6.5異動1.4.特別支援学級.5.1という流れ。今年も生徒指導主任。

なぜ私が教師という仕事に意欲をもてなくなったのか

教師になって10数年が経ちました。

 

最初の数年は非常に意欲的な教師でした。毎日朝早く学校に行き(7時前)、夜は20時過ぎまで仕事をするのが基本。学級通信は毎日発行し、土日は研修会に足繁く通う日々。この姿は「意欲的」というよりも、「仕事中毒」と言った方が正しいかもしれません。仕事が嫌で、早く帰りたい…などと思うことはありませんでした。

 

それから数年。今の自分は真反対です。

 

正直言って、できることならば早く仕事を辞めたいという思いです。学校に行っても楽しくない日々なのです。

 

今日の記事は、「なぜ私が仕事に意欲をもてなくなったのか」です。

 

理由をいくつか考えてみました。

 

①家庭が人生の中心になったから

 

最大の理由かもしれません。

 

最初の数年間、自分が仕事に邁進できたのは、「仕事の勉強をする→仕事をして成果を出す→成果を出せたのが嬉しくて、さらに勉強する」というサイクルを回していたからだと思います。研修会に行ったり、教材研究をしたりすれば、効果が出るのは当然です。仕事への投資時間が多いのですから、結果も出やすいだけです。

 

ひるがえって現在を見てみると、結婚し、子供がいるとなると、上記のような生活はできません。定時退勤が基本になりますし、土日に研修会に行けることなど、年に1~2回あればいいかなという感じです。

 

勤務時間中に教材研究をする余裕などありませんので、授業や学級経営も、以前ほどには成果が出にくくなりました。経験を積めば、授業も学級経営も上手になると言われたこともありますが、そんなことはありません。経験を積んだ上で、日々の準備を丹念に行えば、授業や学級経営が変わるのです。

 

②生徒指導上の課題に多くぶつかったから

 

生徒指導主任を数年間しています。この間、自分の学級だけでなく他の学級・学年の問題にも数多く関わってきました。問題行動を繰り返す子供・モンスターペアレント不登校・虐待児童などなど、本当に数多くの課題が学校にはあるのだと痛感しました。どれも一筋縄ではいかないものばかりで、うまく解決ができたということの方が圧倒的に少なかったです。

 

こうして生徒指導主任として、問題に関わっていると、毎日の生活が暗くなってきます。「一寸先は闇」「明日は我が身」という言葉がありますが、本当にその通りだなと思います。これらの問題にかかわった先生方は皆、一生懸命に仕事をなさっていました。それでも生徒指導上の諸課題に向き合わざるを得ないというのは、辛いことです。授業や学級経営だけでなく、これからの学校は生徒指導上の諸課題にどう付き合っていくかが重要になっていくでしょう。しかし私はそんな「諸課題」をどうにかするために教師になったわけではありません。まして自分が学級担任として向き合わなければいけない(こともありましたが)日々なんて、耐えられないなと思います。

 

教員のもつ権限は多くありません。大変な子がクラスにいても、何とかなだめ、すかし、同時に周りの子をケアしていかなければなりません。後述しますが、威圧的な指導ができない今、慢性的な人手不足の中で、何とかかんとか、毎日を凌いでいる状況です。このような状況で意欲的になる方が難しいと思います。

 

③制限が増えてきたから

最近、チーム担任制を始める学校が増えてきました。チーム担任制とは、例えば3学級あった場合、3人の教員で3つの学級の担任をするというものです。A学級の今週の担任はA先生だけれど、来週になるとA学級の担任はB先生に変わるシステムです。変わる頻度や教員の数は学校によってまちまちでしょう。子供としては、「担任ガチャ」が外れになる可能性が低くなるメリットがあります。今週は苦手なA先生だけれど、来週になれば変わるから…と思える点は、なかなかいいですよね。

 

教師としても、自分の学級の大変な子・保護者に一人で相対する必要がなくなる点が魅力です。時代の流れとして、チーム担任制はあって当然だと思います。

 

しかし一方で、学級担任としての魅力は減ると思います。言い換えれば、制限が増えるのです。給食当番をひとつ決めるにしても、給食当番のシステムを学年で統一する必要が出てきます。さらに、教員として見れば、学級担任制だからこそ生じていた「自分の学級をもっと良くするために頑張ろう!」という気持ちが薄らいでしまうかもしれません。そうすると「まあ、学年で揃えてやるものだから…」と新たな実践に後ろ向きになる恐れが出ます。

 

制限が増えてきたのは、他にもあります。

 

何と言っても、教師の指導が制限されてきている点です。例えば私の市では、体罰アンケートや暴言アンケートがあります。教師が体罰や暴言をしていないかを、子供と保護者に聞くというものです。毎年、それらのアンケートの時期になると憂鬱な気持ちになります。ちょっとした指導で、子供や保護者に「暴言だ」「不適切な指導だ」と言われる恐れが急激に増えているからです。

 

教師の指導の幅が狭くなっていて、問題行動をする子に対する厳しい手立ては取ることができない…という時代です。どうすればいいのよ…と思います。

 

④仕事への慣れ

単純な理由ですが、仕事への慣れもあります。

 

かつて大村はまが、「教師の仕事はこれまでの経験で何とかこなすことができる仕事」というようなことを仰っていたように思います(出典忘却)。

 

確かにそうなんです。教師は「昔取った杵柄」で何とかなりがちな仕事なのです。なぜなら教師という職は、年単位でそこまで大きな変化をしないからです。数十年前と同じように黒板を使いますし、教える内容も大きくは変わりません。

「慣れ」と同様に「限界」も感じるようになります。20代に、自分のありったけの努力の結果、素晴らしい授業や学級経営などの実践ができたとしても、30代、40代では若いころのような無茶苦茶な働き方はできません。ゆえに努力の仕方を工夫したり、生産性の高い仕事をしたりします。しかし「どんなに頑張ってもあの頃の実践が頂点なんだよな。その頂点の実践でさえ、うまくいかない子はいたし、うまくいかない授業もいくつもあったよな」と考えると、自分の限界を知ってしまった「諦め」が出てきます。

 

この「限界を知った」状態というのはなかなか厄介です。自分一人で勝手に限界を知っている分ならまだしも、周りに「どうせ無理だよ」や「いくら頑張っても無駄」のような発言をしてしまいがちです。そうすると途端に「老害」となってしまいます。

 

以上、いくつかの理由を考えてみました。

 

最近周りを見ていて思うのは、自分のようなタイプの教員、つまりかつては意欲があって、だんだんと意欲が下がってくるタイプの教員は結構少数派ということです。

 

むしろ、意欲は多少下がってもある程度一定に保っているか、もともと教職と言う仕事を割り切ってされているかのどちらかのように思います。若い先生は後者が多いですね。「仕事だから」とよく仰っている印象があります。

 

ですから学校で管理職に、私の「意欲が最近なくなってきた…」という悩みを打ち明けても、たいして受け止められないことが多いです。