数年前、このブログで「もう総合はやめよう」という主張をした記憶があります。数年間教師をやってきて、この主張は全く変わりません。むしろ思いを強くしてきました。
総合とは「総合的な学習の時間」のことです。週に2時間、学校や学年学級ごとに決めた探求的な学習に取り組む時間です。この学習に積極的に取り組んでいる学校は学力が高い傾向があるという新聞記事をどこかで読んだ記憶もあります。
が、御存知の通り、学校現場はブラック化しており、どうにかこうにか減らせるものはないかと探す毎日です。
私はとにかくこの「総合」を減らすべきだと本当に常々思います。
大変なんですね、総合は。準備が。
一応例年の流れというものはありますが、それをなぞっているだけで、いったいどこが探求なのだと。それならばいっそ、総合などやめて、浮いた2時間を国語や算数といった基幹となる教科にまわしたら?と思います。
おそらくほとんどの教員は、総合をただただ惰性で続けているのだと思います。当初あった総合的な学習の時間の目的を熟知している教員はどれほどいるのでしょうか?
こんなことを書くと、総合大好きティーチャーたちが総合の素晴らしさを延々と語りそうです。しかし、結局その人たちやその主張が、総合が始まって20年近く経ちますが、どこまで浸透してきたのでしょうか? ほとんど浸透していないということは、それだけ多くの人が価値を感じていなかったのだと思います。まさに形骸化。
なぜこの時期にこんな記事を書いたのかというと、総合は所見も面倒だし、この時期はポスターやら新聞やらを作らなければいけなくて時間を非常にたくさん食うわけですよ。総合という授業は、総合大好きスーパーティーチャー(しかもたくさん残業や休日出勤をして教材研究をしている人が多いイメージ)ならばいざしらず、私のような凡々教師には無理ですね。
というわけで、やっぱり「総合」はいらないな、と数年間教師をやっても思います。
余談ですが、総合を一生懸命にやっている学校の学力が高いのは多分、当然ですね。総合をやる余裕があるわけだから。総合を研究の対象に選ぶんだから、よほど探求心というか、向上心の高い教師集団なのでしょうね。