小学校教師クラメロンの日常

関西のみかんが有名な県に住んでいます。小学校教員。3.5.2.6.5異動1.4.特別支援学級.5.1という流れ。今年も生徒指導主任。

教育実習生への指導

今週から教育実習生が来ている。まだ二十歳。大学3年生の女性である。

 

初めて今年、教育実習生を受け持つことになったわけだが、正直どう対応すればいいのか分からない。

 

その方は、「教員になるかどうか分からない」と言っている。これが厄介のもとだ。

 

教育実習という名はついているが、実習を受けた人が必ず教員を目指すわけではない。卒業に必須の単位を取るために来ている人もいる。そこまでではないが、今回の実習生は「教員になるかどうか分からない、今回の実習を通して決めたい。」と言っていた。

 

これは正直、現場にしてみれば、いい迷惑な話だ。

 

校長先生は「ぜひとも教職の魅力を伝えて、○○さんに教員の道を志望してほしいよね。」と仰っていたが、私は明確に反対を述べた。

 

「いえいえ、校長先生。彼女はもう成人です。教職の魅力など自分で探しだすべきです。他人に教職の魅力を教えてもらわなければ自分の仕事も選べないような人が同僚になったら、将来我々が困ります。」

 

では私は何を彼女に求めれば良いのだろう?

何を目指して、もっと言えば何を目的として教育実習生に向き合えば良いのだろう?

 

1つは「子供のため」である。

自分を振り返ってもそうだが、教育実習生は子供にとって特別な存在だ。教師とも近所のお兄さんとも違う、ちょっと年齢の離れた大人なのだ。これはなかなか出会えない貴重な体験だと思う。

 

2つ目は「学級の成長のため」である。

教育実習生が来ると、教育実習生を中心にして関わり合いが生まれることがある。また、実習生にお別れパーティを開くことになるだろうが、その計画・立案・実行のプロセスを学ぶことにもなるだろう。

 

では彼女自身のために私は何を伝えれば良いのか?

 

教員になるかどうかも分からない人に、教育技術のようなものは教えても仕方がないだろう。そんなものは教員になろうと決意した人が、実際に仕事についてから学べば良いことである。むしろ実習で学ぶべきは、現場の教員の仕事ぶりを肌で感じ取ることだ。自分で言うのも憚られるが、教員の仕事がいかに複雑で大変で繊細なのかを知り、それでもなお子供の成長を促す喜びを知った人だけが教員になれば良いのだ。志願者数が減っていることは問題だが、もう数年経過すれば採用人数も落ち着く。熱意のない人を、無理やり引き入れる必要はない。

 

教育実習生としては不満だろう。大学では教わらない、本物の授業を通して現場の教員からいろいろなことを学びたいと思って実習に来ているはずだ。だが、しょせん「大人のキッザニア」状態で来る人たちに何かを教えようとしても、こちらの時間がもったいない。教育実習生を受け入れることで給料が変わるのならば話は別だが、そんなこともない。無論、私の学校は田舎の公立小学校であり、大学附属でもない。日々に追われる忙しい現場だ。

 

明日、実習生の初めての授業がある。ボロボロだろう。だが構わない。私も別にそこまで指導するつもりもない。せいぜい1つか2つ指摘して終了だ。そんなことよりも、子供たちとたくさん触れ合ってもらって、子供たちの経験や思い出を増やしてほしいし、自分自身、早く帰って息子の世話をしたい。ちょこっと指導をして、「ああ、子供たちかわいいな。先生も優しいな。学校はいいところだな。」と思って帰ってもらうぐらいがちょうどいい。

 

と、このことを職員室で仲の良い同僚に話したところ、「相変わらず冷めているねえ~笑」と言われた。多くの教員はまじめで優しいから、結構「ちゃんと」指導するのだろうなあと思う。どちらが良いのかは分からない。

 

 

 

勝負は10月

学級担任をしていて、子供が荒れやすい時期を「魔の○○」と言います。6月・11月・2月の3回あると言われます。

 

どれも、ちょうど学期の真ん中でだらけやすく、目標を見失いがちになることで起こる現象とされます。

 

今まで自分のクラスを振り返っても、他のクラスの状況を見ても、その1年間の成否を決めるのは10月の1か月だなと感じます。

 

あるクラスはそのまま成長して自治的な集団になる一方で、魔の11月を迎えトラブル対応に追われて年越し…というクラスもあります。前者を「成功したクラス」、後者を「残念なクラス」と呼んだとすると、その分水嶺は10月にあると思います。

 

9月までは、どのクラスも規律をしっかり教えようとするためか、教師主導でクラス経営をしているからか、そうクラスの質に違いはありません。しかし秋ごろになると、だんだんとクラスの人間関係や担任と子供の関係が固まってきます。夏までに培った基礎の差が爆発的に目に見えるようになるのが10月です。

 

では、「成功するクラス」に向けて10月にすべきこととは何でしょうか。

 

それは「子供と子供のつながりを増やすこと」です。

 

先ほどちらっと書きましたが、最初のうちは教師が主導して授業も行事も進めがちです。QUで有名は早稲田大の河村茂雄先生は年度初めを、「混沌緊張期」と呼んでいます。この時期に子供が中心になって、話し合いをしたり、行事を進行したりすることは結構大変です。

 

ですが、もう10月です。いまだに「混沌緊張期」と同様の、教師主導型の活動をし続けているとどうなるか。高学年ならば反発があり得ます。低中学年も、エネルギーを発散させたくなるでしょう。

 

しかし教師主導型の最大の問題点は、子供同士がつながらず、教師と子供としかつながっていないことです。そうすると、子供はいつまでたっても教師に依存した状態から抜け出せません。トラブルがあったら子供同士で解決することができず、すぐに先生頼り。自立とはほど遠い状況が続きます。

 

では、具体的に10月にしておくと良いことは何でしょうか?

 

それは例えば以下のようなことです。どれも子供同士の関りが生まれます。

 

・学級目標を達成する方法を子供たちで考えさせる。(司会は学級委員)

・ペアトークやグループでの活動を増やす。(ときどきペアやグループのメンバーを変えるとなお良い)

・会社活動を始める。

・月1回ほどお楽しみ会(レクリエーション大会でも良い)を行う。

・今のクラスの課題を見つけさせ、その解決策を考えさせる。

・班対抗のゲームを行う。(何でも良い。ホワイトボードに答えを書くだけでも盛り上がる)

 

ただ、気を付けるべきことがあります。それは、子供同士のつながりを増やすと、一時的にトラブルは増えるということです。これは仕方のないことです。マラソンでも最後の10キロぐらいが一番大変と言われるのと一緒です。つらいシーズンを抜ければ、クラスの大きな成長が待っています。

大川小学校の悲劇はなぜ起こったか?

宮城県石巻市立大川小学校。東日本大震災津波の被害にあった学校です。地震が起こったとき、学校管理の下で残っていたのは76名の児童+13名の教職員。そのうち生き延びたのは、なんと児童4名と教職員1名のみ。

 

生存率わずか5%。学校教育史上最悪の結果を招いてしまった事故です。

 

私は教員として、大川小学校の事故のことは耳にしていたし、教職員の対応のまずさがあったことも知っていました。でも、具体的な事故の状況や原因については全く分かっていませんでした。

 

この夏、1冊の本を読みました。西條剛央『クライシスマネジメントの本質 本質行動学による3・11大川小学校事故の研究』(山川出版社)です。

 

 500ページを超える大著で、いつか読もう読もうと思っていながら積読状態であったのを「えいや!」と本棚から引っ張り出して読み始めました。

 

非常に勉強になったというのが結論です。

 

本書の問いは明確。

 

「学校の裏には1分で登れる山があったにも関わらず、また地震発生から50分も時間的余裕があったのにも関わらず、なぜ悲劇が起きてしまったのか?」

 

まず基本的なことから押さえていきましょう。

 

問いの中にも書きましたが、大川小学校には裏に山があります。普段から子供たちが遊び場としても使っているそうです。なんと1分で登れます。当然、登れば助かります。児童のうち数名は山に逃げ登ろうとしたし、担任に進言もしていたそうです。しかし教職員はそれを制止し、50分近く校庭にとどまり続けたのです。

 

大川小学校にいた人たちは、最終的に校庭から離れて近くのやや高いところに位置する三角地帯に逃げることになりました。しかしそこは川のすぐ近くで、人々は三角地帯に着くかどうかのところで津波に飲まれてしまいました。

 

著者の西條氏は本質行動学という「物差し」を使い、当時の状況を丹念に調べ、上記の問いに答えています。

 

実は校庭に集まったとき、子供だけでなく、何人かの教員も山に登ることを進言していました。が、最終的にその意見が採用されることはありませんでした。山の方が、崩れて危ないからというのが理由だったそう。つまり、津波も怖いし山も怖い。どうすれば良いか分からず、迷い続けているうちに時間が経過したわけです。

 

これどう思いますか? 結構、教員はこういう選択が苦手だな~と感じますね。リスクAとリスクBがあったとき、リスク0とリスク100でない場合は決められないんです。リスクをとって前に進むことができない。

 

なぜか? これも危ない、あれも危ない、じゃあ「もしも山に登るときにケガが起こったら誰が責任を取るの??」となるのです。たぶん、私もその場にいたら迷っていたと思います。そんなの死ぬリスクの方が高いに決まっているだろ!と言うのはそうなんですが、この「責任を取りたがらない空気」はかなりありますね。その場でのリーダーだった教頭先生を私は責めることは…正直できないなあ、と。しかも地震が起こった非常時。普段と同じ冷静な判断がくだせるのかどうか。自分は怪しいですね。

 

もちろん他にも要因はありました。

・数日前の地震の際に津波は来なかった。→今回も大丈夫だろうと考えた。

・校長の不在→リーダーの不在

正常性バイアス(たぶん大丈夫だろう。不都合なことは起こらないと考える心理)

ハザードマップ津波想定外だった。

・防災研修の内容を職員に周知していなかった。

・かねてより引き渡し訓練や防災用児童カードの作成が中断されていた。

・その場にいた地域住民も「ここまでは津波が来ない」と述べていた。

・特定教諭の意見が重用された。

津波が来ている様子を実際に見ることがなかった。→隣の大川中学校も校庭が避難場所だったにも関わらず、堤防を乗り越える津波の様子が学校から見えたため急遽屋上に逃げて助かった。百聞は一見に如かずというわけ。

 

この中でも西條氏は公務員の前例主義や避難マニュアルの不備を重く受け止めています。例えば、校長がいた際に起こった数日前の地震のときに山に逃げなかったようです。だから東日本大震災のとき、教頭が山への避難に舵を取ることができなかったのではないかと推察しています。

 

また、当時山に逃げることを盛んに言っていた教務主任は、前任校で山に登るような防災マニュアルを作成していた(その学校は津波から逃げられた)のですが、大川小学校では避難所が校庭となったマニュアルしか作られておらず、結果、その場で対応を協議する羽目になってしまったとも書かれていました。ゆえに時間がいたずらに過ぎていき、津波が来てしまったというわけです。

 

この悲劇を繰り返してはならない。そのために西條氏はいくつかの提言をされています。その中でも「ハザードマップは参考資料に過ぎず安全を保障するものではないと認識すべき」は肝に銘じておく必要があります。

 

これは本書に載っていることではありませんが、例えば東日本大震災のとき、津波被害を受けた学校は131校あったようです。しかしハザードマップ津波の到達が予測されていたのは53校しかなかったのです。78校、つまり半数以上は来ないだろうと想定されていたにも関わらず津波がやってきた学校だったわけです。(https://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2014/03/07/1344865_3.pdf)

 

実は本校は、海抜5mに位置していますが、ハザードマップ上は「安全」です。しかしこの本を読む限り、避難場所は校庭では危ないでしょう。早急に職員会議の議題にかけます。

 

 

本書はこれで終わらず、事故が起きた後、なぜ裁判をすることになったのか?まで書かれています。教員組織、とりわけ教育委員会の身内かわいさについても書かれており、関係者としては非常に身につまされる思いになる部分もあります。事後対応のまずさはいじめ事件でもよく言われることですね。この箇所も読む価値があります。

 

と、極めて勉強になる本でした。私の住んでいる県・市は東南海地震の被災地になりうる場所です。明日は我が身。

 

最後に、私がこの本を読んでいて一番「ああ、そうだよなあ」と思った部分を引用して終わります。この箇所を読むと、「想定外を考えよう」が口だけだったと分かります。そして、あの場にいた教職員を正直責める気持ちになれないのは、自分もあの地震のとき「大丈夫だろう」と考え、逃げなかったことも思い出しました。やや長いですが引用します。

 

「ここでさらに考えなければならないのは、あの日、津波警報は、全国の沿岸に発令されていたということである。津波警報が出ていたにもかかわらず、たとえば神奈川県の湘南や鎌倉といった太平洋沿岸地域にある学校で、警報を受けて速やかに高台に避難した学校はどれほどあったのだろうか。少なくともすべての学校が高台に避難していたという話は聞いたことがない。これは、あの日、もし関東やその他の地域にも東北と同じような巨大津波が襲来していたならば、大川小学校のような悲劇は数校~数十校で起きて、さらに何百人、何千人もの命が失われていたであろうことを意味する。

 そのような惨事が起こらなかったのは、巨大津波が東北沿岸のみを襲い、他の地域にはこなかったという、ただそれだけのことでしかない。要するに、避難しなかった学校が助かったのは、運がよかっただけということもできる。」

 

夏休みはまだ続きます。ぜひ読んでみてはどうでしょうか。

 

衝撃の「教師大全」

週刊ダイヤモンドの6月12日号の特集テーマは「教師大全」。

 

副題に「出世・カネ・絶望」

 

 

現場の人間からすると笑っちゃうようなテーマだが、中身はかなり面白かった。

 

・いかに教師の現場が絶望的か?

・教師の世界の出世と給料は?

・なぜ文科省は教師を救えないのか?

などについてが詳しく論じられている。

 

すごいな…と思ったのは「カネ」のページ。

「ああ、自分はこのくらいもらえるのね」

と知ったのはこの特集があったから。県別の給料まで書いてあるというすごさ。

 

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管理職はやっぱりそれなりにもらっている

 

以前から言われていたことだけれど、文部科学省は本当に弱い。昨年の全国一斉休校はその最たる例。文科省の弱さについては次の書籍にも書かれている。そう考えると萩生田大臣はよくやってくれていると思う。

 

 

 

教師ならば読んでおいて損はないんじゃない?と思える一冊だった。

 

さて、思考を次に進めると、この雑誌の読者は誰で、何を思うか?が気になるところ。

 

ビジネス週刊誌を読むのは、意識が人並み以上に高いビジネスマン。組織の中でも上昇志向が強い人が読むイメージ。そんな人たちが自分の息子・娘・孫に教職をすすめるだろうか? あるいは自分の子供の担任をどう思うだろうか?

 

自分は関西の地方都市に住んでいるから、まだマシだが、都市部の学校の教員に聞くと「学校の先生なんて…」という目で見てくる保護者が結構いるそうだ。教師が下に見られる世の中というわけ。

 

本県では、今年度の教員採用志願者数が昨年度よりも1割減少。負のスパイラルは止まらない。

 

聞く態度の指導ではなく、聞き方指導を

聞く力は小学校現場で極めて大事にされます。

 

しかし「聞く力」を明確に自分の言葉で定義づけているなと感じる人は少ないように思います。

 

先日、校内研修で先輩の先生が「私が授業で一番大事にしていることは聞くことです。」と仰っていました。そこに異議はありません。その先生は続けて言いました。「話している子の方を向いて聞いたり、うなずきながら聞いたりするように指導しています。」

 

私はここで少し疑問を持ったのです。

 

確かに自分が話しているときに手いたずらをされたり、反応もなしに聞かれたりしたら嫌な気持ちになります。しかしそもそも「聞くこと」の指導とは、そういった「聞く態度」の指導なのか、と。私はそういった、「聞く態度」の指導はあまりしていないなあとも思いました。

 

なぜなら、私たち大人は誰かの話を聞くときに、必ずしも話し手の目を見たり、うんうんうなずいたりしているわけではありません。でもしっかりと「聞けて」います。大人に指導しないことをなぜ子供に指導するのでしょうか。

 

それはおそらく、よそ見をしたり、手いたずらをしたりしながらだと、子供は「きちんと」聞けないから。なるほど、それならば「聞く態度」の指導をする効果はあるでしょう。

 

いえ、だとするならば、「聞く態度」の指導は手段であって目的ではないはず。言って見れば、その先輩の先生の指導の仕方は手段の目的化になっているから、私は違和感を覚えたのです。

 

では、聞くことの指導とは何なのか?

 

私は小学校段階ならば、次の3つができるようになることだと考えます。

 

1 話し手の話した内容を繰り返して言うことができる

2 話し手の話した内容を「それって、こういうことだよね。」と要約したり、自分なりに解釈したりして言うことができる。

3 話し手の話した内容に対して、「賛成・反対・疑問・つけたし」のいずれかを言うことができる。

 

ぼんやりと聞くことは「聞き流している」と言う、と子供たちに伝えています。「聞く」とはすなわち、聞いたことを繰り返したり、自分なりに考えて意見を持ったりすることである、とも言います。

 

それは言ってみれば、「聞く態度」ではなく「聞き方」の指導と言えましょう。

 

公立学校は町のレストラン

近所のレストランに行った。なかなか評判の店で、わりと市内では有名なレストラン。味も確かで、帰り道は幸せな気持ちでいっぱいだった。

 

ふと「公立の学校もこうあるべきだな」と思った。

 

学校は大きく分けて、公立と私立と国立がある。公立がそのほとんどを占めている。

 

とりわけ小学校の教員は、国立の小学校の授業実践に憧れる傾向があると思う。筑波や奈良女、広大附などといった有名な国立小学校の研究発表会には多くの教員が足を運ぶ。そこで行われている実践を公立の教員が真似するのはよく聞く話だ。

 

それが悪いと言うつもりは全くない。自分もその一人であるし。

 

だが、不遜な言い方だが、日本を作っているのは公立学校の教員だとも思う。例えば国立の小学校は全国で69校しかない。公立は19700校を超える。2万校近くの現場で働く教員はもっとその職責の大きさに目を向けるべきではないか。

 

盲目的に国立の実践を追いかけるのではなく、「国立もすごいけれど、様々な事情を抱えた地域の子供を育てることこそ、地域やひいては日本を変えていくのだ」と考えたい。そのために国立の小学校で働いている先生たちの授業を参考にしたい、とするべきではないだろうか。

 

町のレストランの話に戻る。

 

町のレストランは言ってみれば公立の学校だ。一方で、国立の学校は東京の銀座のレストランだ。味は銀座のレストランが上かもしれない。しかし、その町に根付き、普段の生活を豊かにするのは、近所にあるレストランに違いない。願わくば、そのレストランが少し評判のあるレストランであれば言うことはない。

指導案の事前検討会はやめよう

昨日、本校で授業研究会が行われた。市の教育委員会の指導主事数名が来て、あーだこーだ言い合ったり、指導を受けたりするもの。

 

今回、中心授業をしたのは本校期待の若手A先生。5年の算数をやっていた。

 

2週間ほど前に指導案が配られ、会議室で全職員参加のもと事前検討会。事前研究や事前協議会とも言う。

 

A先生が説明後、グループごとに話し合う。そして授業の指導案について宣う。

「発問が○○〇となっているが、分かりにくいと思う。」

「ヒントカードを配ったらどうか。」

「問題をもう少し子供が親しみやすい素材にしたらどうか。」

「授業の最後は算数日記を書かせたいね。今から取り組んでみては。」

などなど。

 

若手A先生はまじめで良い人なので、「はい、そうですね。わかりました。」とノートにひたすらメモをしていた。

 

さて、果たして授業である。

 

結論から言うと、上にあげたような、事前検討会で出たアイデアをふんだんに盛り込んだ授業、もっと言えばフランス料理とイタリア料理と中華料理と日本料理がミックスされたような授業だった。豪華…と捉えるよりかは、子供たちは消化不良を起こしていた。

 

しかし最も消化不良を起こしていたのは、A先生だった。

 

事後研究会で指導主事の先生に、けちょんけちょんに言われているときの、A先生のやるせなさそうな目と言ったら…。

 

全てが終わったあとの印刷室。A先生と一緒になった。

 

私「A先生、お疲れ様でした。ようやくぐっすりと眠れますね。」

A先生「ありがとうございます。本当に…疲れましたねえ。」

私「指導主事の先生は、ああ言っていたけれど、私は良かったと思いますよ。」

A先生「うーん…でも、まあ正直別に悲しくもなかったんですよねえ。どうせ自分の授業じゃなかったですし…。」

私「えっ!?」

A先生「まあ、いろいろな意見を頂いたわけですし、入れないわけにはいかないじゃないですか…。授業はその1時間で終わりますが、人間関係は続きますし。」

私「まあ、たしかになあ。。。」

 

自分もかつて、5回も10回も指導案を書き直されたことがあった。赤の入った指導案を直し続け、最後に出来上がった指導案を見たとき「これは誰の授業なのだろう」と思った記憶がある。

 

そういった授業はたいてい、うまくいかない。自分が納得していないからだ。そして、「疲れた。もう嫌だな」という失敗体験を積み上げて終わる。自己決定権がないから、意欲がわかず、指導案を作り上げたら後は消化試合になってしまう。

 

だからこそ声を大にして言いたいのは、それなら「指導案の事前検討会はやめよう」ということ。授業者のやりたいようにやればいい。しかし、若手であればあるほど、まじめな先生であればあるほど、検討会で出た意見を入れようとする。

 

学校ぐるみで研究しようという意図は分かるが、一番大事にしなければいけないことは「授業者がやって良かったと思えること」だと思う。得をすべきは授業者でなくてはならない。