宮城県石巻市立大川小学校。東日本大震災で津波の被害にあった学校です。地震が起こったとき、学校管理の下で残っていたのは76名の児童+13名の教職員。そのうち生き延びたのは、なんと児童4名と教職員1名のみ。
生存率わずか5%。学校教育史上最悪の結果を招いてしまった事故です。
私は教員として、大川小学校の事故のことは耳にしていたし、教職員の対応のまずさがあったことも知っていました。でも、具体的な事故の状況や原因については全く分かっていませんでした。
この夏、1冊の本を読みました。西條剛央『クライシスマネジメントの本質 本質行動学による3・11大川小学校事故の研究』(山川出版社)です。
500ページを超える大著で、いつか読もう読もうと思っていながら積読状態であったのを「えいや!」と本棚から引っ張り出して読み始めました。
非常に勉強になったというのが結論です。
本書の問いは明確。
「学校の裏には1分で登れる山があったにも関わらず、また地震発生から50分も時間的余裕があったのにも関わらず、なぜ悲劇が起きてしまったのか?」
まず基本的なことから押さえていきましょう。
問いの中にも書きましたが、大川小学校には裏に山があります。普段から子供たちが遊び場としても使っているそうです。なんと1分で登れます。当然、登れば助かります。児童のうち数名は山に逃げ登ろうとしたし、担任に進言もしていたそうです。しかし教職員はそれを制止し、50分近く校庭にとどまり続けたのです。
大川小学校にいた人たちは、最終的に校庭から離れて近くのやや高いところに位置する三角地帯に逃げることになりました。しかしそこは川のすぐ近くで、人々は三角地帯に着くかどうかのところで津波に飲まれてしまいました。
著者の西條氏は本質行動学という「物差し」を使い、当時の状況を丹念に調べ、上記の問いに答えています。
実は校庭に集まったとき、子供だけでなく、何人かの教員も山に登ることを進言していました。が、最終的にその意見が採用されることはありませんでした。山の方が、崩れて危ないからというのが理由だったそう。つまり、津波も怖いし山も怖い。どうすれば良いか分からず、迷い続けているうちに時間が経過したわけです。
これどう思いますか? 結構、教員はこういう選択が苦手だな~と感じますね。リスクAとリスクBがあったとき、リスク0とリスク100でない場合は決められないんです。リスクをとって前に進むことができない。
なぜか? これも危ない、あれも危ない、じゃあ「もしも山に登るときにケガが起こったら誰が責任を取るの??」となるのです。たぶん、私もその場にいたら迷っていたと思います。そんなの死ぬリスクの方が高いに決まっているだろ!と言うのはそうなんですが、この「責任を取りたがらない空気」はかなりありますね。その場でのリーダーだった教頭先生を私は責めることは…正直できないなあ、と。しかも地震が起こった非常時。普段と同じ冷静な判断がくだせるのかどうか。自分は怪しいですね。
もちろん他にも要因はありました。
・数日前の地震の際に津波は来なかった。→今回も大丈夫だろうと考えた。
・校長の不在→リーダーの不在
・正常性バイアス(たぶん大丈夫だろう。不都合なことは起こらないと考える心理)
・ハザードマップで津波想定外だった。
・防災研修の内容を職員に周知していなかった。
・かねてより引き渡し訓練や防災用児童カードの作成が中断されていた。
・その場にいた地域住民も「ここまでは津波が来ない」と述べていた。
・特定教諭の意見が重用された。
・津波が来ている様子を実際に見ることがなかった。→隣の大川中学校も校庭が避難場所だったにも関わらず、堤防を乗り越える津波の様子が学校から見えたため急遽屋上に逃げて助かった。百聞は一見に如かずというわけ。
この中でも西條氏は公務員の前例主義や避難マニュアルの不備を重く受け止めています。例えば、校長がいた際に起こった数日前の地震のときに山に逃げなかったようです。だから東日本大震災のとき、教頭が山への避難に舵を取ることができなかったのではないかと推察しています。
また、当時山に逃げることを盛んに言っていた教務主任は、前任校で山に登るような防災マニュアルを作成していた(その学校は津波から逃げられた)のですが、大川小学校では避難所が校庭となったマニュアルしか作られておらず、結果、その場で対応を協議する羽目になってしまったとも書かれていました。ゆえに時間がいたずらに過ぎていき、津波が来てしまったというわけです。
この悲劇を繰り返してはならない。そのために西條氏はいくつかの提言をされています。その中でも「ハザードマップは参考資料に過ぎず安全を保障するものではないと認識すべき」は肝に銘じておく必要があります。
これは本書に載っていることではありませんが、例えば東日本大震災のとき、津波被害を受けた学校は131校あったようです。しかしハザードマップで津波の到達が予測されていたのは53校しかなかったのです。78校、つまり半数以上は来ないだろうと想定されていたにも関わらず津波がやってきた学校だったわけです。(https://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2014/03/07/1344865_3.pdf)
実は本校は、海抜5mに位置していますが、ハザードマップ上は「安全」です。しかしこの本を読む限り、避難場所は校庭では危ないでしょう。早急に職員会議の議題にかけます。
本書はこれで終わらず、事故が起きた後、なぜ裁判をすることになったのか?まで書かれています。教員組織、とりわけ教育委員会の身内かわいさについても書かれており、関係者としては非常に身につまされる思いになる部分もあります。事後対応のまずさはいじめ事件でもよく言われることですね。この箇所も読む価値があります。
と、極めて勉強になる本でした。私の住んでいる県・市は東南海地震の被災地になりうる場所です。明日は我が身。
最後に、私がこの本を読んでいて一番「ああ、そうだよなあ」と思った部分を引用して終わります。この箇所を読むと、「想定外を考えよう」が口だけだったと分かります。そして、あの場にいた教職員を正直責める気持ちになれないのは、自分もあの地震のとき「大丈夫だろう」と考え、逃げなかったことも思い出しました。やや長いですが引用します。
「ここでさらに考えなければならないのは、あの日、津波警報は、全国の沿岸に発令されていたということである。津波警報が出ていたにもかかわらず、たとえば神奈川県の湘南や鎌倉といった太平洋沿岸地域にある学校で、警報を受けて速やかに高台に避難した学校はどれほどあったのだろうか。少なくともすべての学校が高台に避難していたという話は聞いたことがない。これは、あの日、もし関東やその他の地域にも東北と同じような巨大津波が襲来していたならば、大川小学校のような悲劇は数校~数十校で起きて、さらに何百人、何千人もの命が失われていたであろうことを意味する。
そのような惨事が起こらなかったのは、巨大津波が東北沿岸のみを襲い、他の地域にはこなかったという、ただそれだけのことでしかない。要するに、避難しなかった学校が助かったのは、運がよかっただけということもできる。」
夏休みはまだ続きます。ぜひ読んでみてはどうでしょうか。