小学校教師クラメロンの日常

関西のみかんが有名な県に住んでいます。小学校教員。3.5.2.6.5異動1.4.特別支援学級.5.1という流れ。今年も生徒指導主任。

限局性学習障害(SLD)を持った子供への指導

今年度、私のクラスには(おそらく)限局性学習障害、いわゆる学習障害(LD)を持った子供がいます。「おそらく」としたのは、診断を受けたわけではないからです。WISCの結果は、FSIQが100近くある一方で、言語理解(VCI)やWMが85程度(このあたりはぼかして書いています)、知覚推理(PRI)と処理速度(PSI)が100オーバー。この凸凹はSLDならではだなあと感じます。

 

 

この子をAと呼びましょう。Aが苦手なのはカタカナ・漢字の読み書き。つまりは発達性読み書き障害。5年生ですが、カタカナの3割は書けませんし、小学校1年生の漢字の正答率も8割を切ります。毎日書く振り返りは、全て平仮名。一方で板書を写すことはできますし、視写速度も低くない。小数のわり算のテストは75点と、平均点こそ下回っていますが、できなかったのは文章題が中心でした。

 

 

6月から完全登校が始まり、1か月。この間に、以上の件を踏まえて、校内特別支援コーディネーターに相談を持ちかけます。通級指導教室への入級を勧めるべく、動き始めたのです。

 

まずは夏休み前の保護者面談で、特別支援コーディネーターと市の特別支援教育担当者に入ってもらうことに決めました。保護者にもその旨を伝えたところ、快諾。もともと熱意があるものの、どうすれば良いのか分からなった母親にとって渡りに船だったのでしょう。

 

おそらく7月の面談で、通級指導教室への入級について保護者は前向きにとらえるはずです。秋ごろから、Aは実際に通級指導教室へ通うことになると思います。

 

という一連の流れで思ったこと。それは、

 

限局性学習障害の改善の肝は、通常学級の担任の力量次第

 

ということです。

 

どういうことか。

 

 

そもそも、限局性学習障害というものがどういう障害かを押さえる必要があります。

 

限局性学習障害とはその名の通り、全般的な知的発達に遅れはないものの、ある限られた面において大きな苦手を持つ障害のことです。(DSM-Ⅴより限局性という言葉がつきました。)

 

ポイントは「全般的な知的発達に遅れはない」という点です。つまり限局性学習障害を持った子供は基本的に、特別支援学級(知的)には入れないということです。特別支援学級(知的)に明確な知能指数の基準があるわけではありません。ですが、知能指数は70未満を通常、軽度知的と呼び、70〜85が境界域、いわゆるグレーゾーンとされます(境界域は80まで、いやいや79まで、などいくつかの考え方があり、お医者さんによってまちまちな感じ)。この85未満でないとなかなか入級は厳しいのがうちの市の考え方なのです。

 

私の受け持つAの知能指数はほぼ100。入れません。つまり、中学卒業まで通常学級で頑張るしか手はないのです。

 

しかしです。当該学年の漢字が壊滅状態、そもそもカタカナすら怪しいAに、「大造じいさん〜」や「想像力のスイッチ〜」が読めるかと問われたら極めて厳しいと言わざるを得ません。

 

それでも現実として通常学級にAはいます。だからこそ受け持つ先生の力量が非常に問われてくるのです。

 

では限局性学習障害を持つ子供の担任が求められる力量とはいかなるものでしょうか。

 

私は粗く分けて4つあると考えています。 

 

第一にそもそもの限局性学習障害の知識です。これがないと無闇やたらな反復練習と叱咤激励に終わります。知は力の源泉です。が、通常学級の先生方の中で限局性学習障害についての知識や具体的対応法を知っている先生はほぼいません。この点はこれからの学校現場の大きな課題ですね。

 

第二に学級経営力です。意外かもしれません。しかしこれがないとお話になりません。例えば、漢字がからっきしの子供も生き生きと過ごせる、周りから変な目で見られないクラスにできるかどうかは、その先生の学級経営力にかかっています。特別支援教育に長けた先生の中には、個別指導・支援は上手くても、集団を経営する力が足りないせいで、結果、誰も彼も不幸になってしまうケースが見られます。ですが、特別な支援を要する子供がいる通常学級の経営では、他のクラス以上に温かな雰囲気のクラスになる必要があるでしょう。ポイントは川上康則先生の言葉を借りれば、「気になる子を気にしすぎる子を減らすこと」でしょうか。

 

第三に、何にも増して必要なのが授業力です。同時処理優位の子供にどう漢字を教えれば良いのか。しばしば見られる指書きや空書きは継次処理優位型の教え方です。同時処理を得意とする子供にも対応する術を持っている必要があります。あるいはワーキングメモリの低い子供がいるクラスでは一時に一事が絶対条件ですし、ADHDを持つ子供がいるクラスでは「3回読んだら座りましょう」や「4番までできたら先生に見せに来ましょう」などといった「動かす指示」が有効です。そういったことが授業中に子供の様子を見ながら瞬時に繰り出せる必要があります。昨今、言われる「授業のUD化」もここに入りますね。

 

そして最後にようやく登場するのが、第四に個別対応のスキルです。限局性学習障害を持つ子供の指導は、結局のところ、どう頑張っても最後は個別対応をするしかないと思います。ちょっとした空き時間にその子の学習を見てあげる場合もあるでしょうし、家でやってきた宿題にアドバイスしたりする場合もあるでしょう。そういった時間を1日のどこかで取り、かつ他の子から過度に目立たない状況を作った上で、その子と信頼関係を築き上げて毎日のように取り組む粘り強さが求められます。同時に、今の状態はどうなのかアセスメントをしたり、1年後にどうなっていれば良いのか個別の支援計画を作ったり、その子にあった教材を選定したりすることも必要になってきます。様々な仕事を効率よく行うことを含めた上で、以上の全てをひっくるめた「個別対応のスキル」が求められており、これこそが限局性学習障害の子供を何とかする本丸の部分と言えるでしょう。

 

以上、4つの力を兼ねそろえて初めて、限局性学習障害を持つ子供に対処できると思います。担任の先生が4つの力のうち、どれか1つでも欠けていると、たぶんその子は「勉強がかったるいけれど、まあ悪さはしない子だよね…」ぐらいで1年間、スルーされて終わります。悲しいことです。

 

しかしですね…じゃあこの4つの力を持つ教員がどのくらいいるのでしょうか。

 

個別の対応に優れた教師はたいてい特別支援学級の教員です。ですが先にも述べた通り、限局性学習障害を持つ子供は普通、通常学級に在籍します。仮に個別対応がうまくても、学級全体を経営する力がないと、これまたうまくいきません。

 

だから、私は最近思います。限局性学習障害を持つ子供の指導は、今まで見逃されてきたけれど、実はとんでもなく大きな大きな山なのではないかと。

 

集団の経営をしながら、特別支援学級のような個別の指導・支援が必要なのだとしたら、それはもう、スーパーティーチャーにしかできないのではないかとすら思えるのです。

 

では、スーパーティーチャーでもなんでもない私がどのようにして乗り切るのか。それが今年度の私のテーマでもあります。いずれお伝えできれば幸いです。