現代は本当に「優しい」世の中になってきたなと思います。「優しい」というよりも「厳しいことを言わない」世の中の方が正確かもしれません。
それをいつも痛感するのは、病院に行くときです。
私が子供の頃、よく親が言っていました。
「あーあ、病院行きたくないな。お酒を控えなさいと怒られちゃうよ」
「歯医者に行くといつも、歯をきちんと磨きなさいって説教されるんだね。」
私も子供の頃、病院に行くとよく「説教?」を受けていました。もちろん学校でも同様です。体罰こそありませんでしたが、呼び捨てでよく叱られたものです。
ひるがえって、現代です。
厳しいことを言うお医者さんはめっきり減ったように思います。「痛いよね。ごめんね。」と謝られながら治療をしてもらうことが増えました。
この「優しい」風潮は、ネットの隆盛によるものだと思います。病院の場合はネット上の口コミが大きく作用しているのではないでしょうか。
しかし「優しい」風潮は病院に限ったことではありません。学校も同じです。
子供に対しても保護者に対しても、厳しいことを言う先生は本当に減りました。
子供にしても保護者にしても、厳しいことを言われないのは、楽ちんです。
「もっと勉強時間を増やしましょう」
「授業中、よそ見をしてはいけません」
「目上の人にあったら、すぐに挨拶をすること」
そういった口幅ったいことを小うるさい教師は絶滅危惧種です。
授業態度が悪くても、テストでどんなに点数が悪くても、若い先生であればあるほど何も言わないようになってきました。
もちろん、それでは困るので、保護者には伝え方を変えてきています。
例えば「特別な支援を専門にする人と面談をしてみませんか?」と提案をしたり、スクールカウンセラーに言いにくいことを代わりに伝えてもらったりしています。ですが、どんな方法であっても保護者には婉曲的に言うことになります。
子供のことで、耳が痛いことを保護者に言うときは、なおさらそうです。
一番の例は、特別支援学級をすすめるときでしょうか。
いかにその子が学級で、授業で困難な状況に陥っているかを柔らかく、オブラートに包みながら言い、その後にどうすればいいかを考えるように促します。例えば、次のように。
「○○さん、4年生になってどうですか? 学校ではいつもいつも給食の支度を本当によく頑張ってくれますよ。この間は配膳台の上をきれいにふいていて、私は感心しました。(と褒め言葉から入る) そんな○○さんが笑顔でいられればいいなと思って、私も毎日頑張ってきたのですが、自分の指導力が至らないせいもあってですかね(あくまで謙虚に)、このあいだ授業中、分からない問題に出合ってしまって、○○さんがしくしく泣いていることがあったんですよ。テストのときも、一人ではなかなか解くことが難しいようで、私が横に一緒について、問題を読み上げているんですが、高学年になってくるとどうなのかな?周りの目が気になり始めると、このままでいいのかなと心配になってしまって…(「心配」という言葉はキラーフレーズ)。○○さんが困っているんじゃないかなと思って、今日はお母さんに相談をしたいなと思って、来ていただいたんですよ。どうですかね?(「困っている」のは子供本人だということを伝える。まあ、本人は困っていないケースも多々ありますが)」
といった感じです。
「あなたのお子さんは学習についていけていませんよ。」とストレートに言ってはいけません。もちろん本質はそこです。話の持っていきかたを非常に気を付けなければいけません。
実は、上記の言葉には、語られない裏の言葉があります。
それは「学習にひどくついていけていないことを4年生の段階で言われていることは相当なことだ」ということです。上記のような子は、もしも一人でテストを受けたら、0~30点ぐらいしか取れないことが多いです。小学校のカラーテストで、そのような点数が出るというのは、かなりの状態です。4年生になるまで、子供の状態に気付かなかったor気付いていても放っておいた保護者が「相当なことだ」というわけです。
このような保護者なので、おそらく特別支援学級は望まないでしょう。「みんなと一緒に生活をして、楽しく過ごしてほしい」と考えているに違いありません。
しかしそれがどれだけ子供を苦しめるか。
不登校にせよ、子供の自殺にせよ、学業不振はその後の人生の大きなリスク要因になります。無論、教師が授業力を上げて、勉強が大変な子を一人でも救っていくことは大切なことですが、そんな悠長なことを言っていられる状況ではありません。教師力の向上は国家の一大プロジェクトのレベルの話です。
学業不振の子に特別支援学級をすすめても、4年生になって、子供自身がかなり周りが見えてくるようになると、支援学級入級を拒否する子が出てきます。「自分だけ行くのか」という状態になるからです。よって、特別支援学級に入るのなら、小学校の低学年が本当は良いと思います。上記のケースで言えば、たいていの場合、「これからもう少し家庭で見るようにします」とお茶を濁して終わりです。
教師は「厳しいこと」を言わないし、保護者は「厳しいこと」を言われないから気付かない。ゆえに子供はそのままなのです。
本来ならばもっとストレートに教師は言ってもいいと思うのです。「あなたのお子さんは、学習についていけていません。算数のテストで平均20点しか取れていませんが、それは学年100人で一人いるかどうかです。特別支援学級をすすめます」と。まあ、間違いなく炎上しますね。
でも、上記のような、のらりくらりとした対応で、誰が一番かわいそうかと言えばそれは言うまでもなく「子供」ですよね。特別支援学級の手厚さを知っているからこそ、どんどんすすめたいのですが、なかなかうまくいきません。
分かりやすい例として特別支援学級をあげましたが、生徒指導上のトラブルでもよくあります。
数年前、私の学級で、インターネット上のゲームトラブルがありました。
互いに「雑魚」や「お前弱い」と言い合っていたようです。その翌日、片方の子が欠席。親は「相手の子に嫌なことを言われて、学校に行かないと言っている。来年は絶対にクラスを別にしてほしい。」と言ってきました。昨年度からの引継ぎ事項の中に、この親が要注意だと記されていましたので、「ああ、来たなあ。」という感じでした。ツッコミどころ満載ですよね。ゲームトラブルなのだから、買い与えた親が何とかするべきですし、多少嫌なことを言われてすぐに欠席させることもどうかと思いますし、何より来年度の学級編成にまで口を出してくるわけですから困ったものです。
で、言われたからもちろん、対応はしました。両者から話を聞き、指導もしました。
そのような子に対して、何か厳しいことを言うわけにはいきません。それは別にこのゲームトラブルだけではなく、普段の学習態度(かなり悪い)、学習の定着度(同様)、生活態度、友達関係、欠席や遅刻の日数、忘れ物等、様々な課題がありますが、一切、何も言いません。下手に何かを言って、親に伝わったら大変なことになりますからね。事なかれ主義と言われればそれまでですが、どこが地雷か分からないような人に相対するよりも、もっとまじめに頑張っている子に時間をかけたいですからね。
かくして厳しいことを言う教師は減るわけです。
気付かない親たちも、気付かせない教師たちも、本当に困ったものです。