働き方改革が叫ばれて久しいです。文科省がいろいろと提言をしていますが、結局のところ、最後にして最大の壁は、現場で働く教師のマインドを変えなければだめという点です。
そんなことを思う機会がありました。
今年度、新型コロナウイルスが収束しつつあるため、本校では様々な行事が復活しました。まあ、それはいいのです。しかしびっくりするのは、行事にかかる時間や労力と、その効果をきちんとてんびんにかけようとしない姿勢です。
例えば本校では、六年生に向けて2月末に「卒業を祝う会」を全校で行います。ここ数年間はzoom配信でしたが、今年度は体育館に全校児童が集まることになりました。それは良いです。が、体育館の飾りつけをすることと各学年が5分間程度の出し物をすることが決まったのです。
確かに卒業生の6年生は嬉しいでしょう。が、飾りつけを作ったり、出し物の練習をしたりするのに、はたしてどれくらい時間と労力がかかるのかを考えたのでしょうか。
教育活動は全て、効果があります。子供のためにならない活動などありえません。問題なのは、そこにかかる労力が効果に見合っているかどうかです。
出し物をするのはいいですが、ではその準備や計画はいつ、誰がするのか。1年生ならば体育館で何回も練習は必須でしょう。他の学年にしても、学年末の忙しい時間に飾りつけも出し物もしなければいけないなんて、信じられません。
しかし、この「卒業を祝う会」はまだ子供のためになるので許せます。
私が本当に困ったものだと思ったのは、忘年会です。
今年度から職員の忘年会が復活しました。私も参加をします。しかも担当学年(1・2年+養護教諭)。司会やらゲームやらを担当学年の職員で分担すると。いやいや、忘年会は有志がやればよく、やったとしても歓談のみでいいと思うのです。どうしてもやりたいのであれば、やりたい人が集まって勝手にすればいいのでは?
結局、教員というのは仕事をしたがりなのです。ビルド&ビルドであり、スクラップの発想がないのが本当に問題だと思います。私も20代の独身時代はそれで良かったのですが結婚し、子供がいる身になってみると、たまったものじゃあないなと感じます。
教師の仕事の本質は何か?に明確に答えましょう。そして、その答えに注力しましょう。