小学校教師クラメロンの日常

関西のみかんが有名な県に住んでいます。小学校教員。3.5.2.6.5異動1.4.特別支援学級.5.1という流れ。今年も生徒指導主任。

自由進度学習の本を読んでみた

冬休みに次の本を読みました。

 

自由進度学習とは、「授業の進度を、学習者が自分で自由に決められる自己調整学習の一つの手法です。」(本書p42より)

 

例えば算数ならば、普通、10時間扱いの単元を1時間1時間、教師が説明したり、子供が問題を解いたりして一斉に進めていくでしょう。しかし自由進度学習では、子供たち自身が教科書をベースにしながらも自分に合わせたスピードや方法で学習をしていきます。理解が速い子は3時間ほどで終えるでしょうし、ゆっくりな子は10時間かけて6時間ほどの学習をして単元を終えるかもしれません。また、一人でもくもくと解く子もいれば、仲間と教え合いながら解く子もいて、多様な学び方が保証された学習法と言えるでしょう。

 

自由進度学習自体はそこまで新しい学習法ではなく、何年も前から学校ぐるみで取り組んでいるところもありますね。(マイプラン学習と検索すればすぐに出てきます)

 

最近、とみに「自由進度学習」が言われるようになってきたのは、上智大の奈須先生の影響が大きいでしょう。

 

本を読んでの個人的な感想は

 

「まあ、やってもいいかなー」

 

です。とりあえず、今年度中に一度取り組んでみようとは思います。

 

やってもいないのに批判はできないので。

 

正直、学習方法や授業スタイルは明治の学制発布以来、非常に多くが実践されてきたわけで、「これがベスト!」はないと思います。

 

この本の素晴らしいところは学習法の一形態である自由進度学習の説明ではなく、そもそも「教育とは何か?」「学校とはどんなところか?」「なぜ子供は学習を嫌がるのか?」などの根源的な問いについて考えるきっかけを与えてくれるところです。

 

著者の蓑手先生は、入学時に「勉強が楽しみ」と言っていた子供がだんだんと「勉強嫌い」になっていく理由として、「あらかじめやることが決まっていること」や「他者と比べられること」、「自分が成長している実感が得られにくいこと」を挙げていらっしゃいます。だからこその自由進度学習なのです。

 

この意見に全面的に賛成をするわけではありませんが、「学び観」を更新するための良いきっかけを与えてくれる本でした。

「冷たい」教師

忘れ物をする子供がいます。

 

「先生、筆箱を忘れました。」

 

私は

「そうか。大変だね。」

しか答えません。

 

子供が

「先生、筆箱を忘れました。貸してください。」

と言えば、

「いいですよ~。」

と筆箱を渡します。

 

「先生、筆箱を忘れました。どうすればいいか分からないので教えてください。」

の場合は

「じゃあ、筆箱を貸しますよ~。筆箱を貸してくださいと言ってごらん。」

となります。

 

私の信条の1つは、「分かり勝手の良い教師にならない」です。

 

先ほどの例で言えば、「筆箱を忘れました。」と言いに来た段階で、「ちゃんと正直に言えてえらいなあ~。」とすでに思っています。ですが、それで「はい、筆箱だよ。」と渡してしまっては、自立した人間に育たないと思うのです。

 

毎日連続で忘れない限り、忘れ物自体を叱ることはほとんどありません。しかし、忘れ物をした後の言動には注目します。きちんと、「自分はこうしたい。」「先生にはこうしてほしい。」と言える人になってもらいたいと思います。

 

 

2022年の振り返り

毎年、冬休みは自分の人生について考えるようにしています。

 

2022年のテーマは「生産性を高める」でした。子供が生まれ、時間がなくなったからです。生産性を向上させるために、次の書籍を常に傍らに置いて仕事に励みました。

生産性を向上させる方法は、簡単に言えば「時間あたりの成果を高める」です。3時間かかっていた指導案が、1時間で出来上がれば、それは生産性が上がったと言えるのです。

 

生産性を高めるために、これは価値があったな~と思えることを紹介します。(上記の本とはあまり関係のないことが多いですが)

 

① 仕事内容を時間で区切る

 

私は仕事を次の3つに分けました。

 

1 自分の学級の仕事

2 分掌の仕事

3 自分がしたい仕事

 

1つ目の「自分の学級の仕事」は子供がいるうちにします。5時間授業ならば14時50分、6時間授業ならば15時40分に子供が帰ります。それまでに学級の仕事はします。例えば授業の準備、教室の掃除、宿題チェックなどです。ここまでなら割としている方も多いでしょうが、私はさらに突っ込んで、週案簿や学級通信の作成・プリントの印刷・テストの採点・日記へのコメント・果ては所見までこの時間内に済ませます。空き時間が週に2時間ありますので、その時間に仕事をすることもあります。が、今年は生徒指導主任のため(?)、教室に入れない子供の対応をすることが多く、空き時間はないこともしばしばでした。だからこそ休み時間や給食の時間に必死に仕事を進めました。最大のポイントは生徒指導案件を予防し、何か起こったら即座に対応することです。仕事を最も圧迫する要素は生徒指導案件です。いじめや不登校、もの隠しなど大きな事案だけではなく、日々のちょっとしたケンカや怪我への対処も大事です。ここを間違えると、ボヤ騒ぎが大炎上します。

 

そのため、日々子供をよく褒め、音読カードには毎日数名の保護者に対して子供の良いところを記入しています。何かトラブルが起こったら子供が帰宅した直後に職員室に行き、電話するようにしました。この電話攻勢が非常に良くて、おすすめです。子供とさようなら~をした直後だとアドレナリンがまだ出ているんですね。だから勢いそのまま電話できます。夕方電話しようと思うと、億劫になってしまいがちですので。

 

所見は授業で良い発言をした子供がいたら、次の休み時間に書きます。所見用のエクセルシートをPCのデスクトップに張り付けておくと、一瞬で打ち込めます。

 

子供が帰ってから定時の17時までは分掌業務です。基本的に職員室で行います。生徒指導に関することは個人情報が多いため、教室に持ち込めないからです。また、他の先生方とコミュニケーションを気軽に取れるのも職員室の良さです。

 

定時後は逆に教室にこもります。自分がしたい仕事をするようにしています。12月後半は生徒指導提要が改訂されたので、水筒を片手にのんびり読んだり、3月までに取り組んでみたいことをリストアップしたりしました。

 

② 読んだ本・プリント・記事などはスキャンしてフォルダごとに分ける

 

授業をするときに、「先行実践さがそうかな~。そういえば、昔読んだ本の中にあったような気がする。どれだったかな~。」となることありませんか?

 

私はしょっちゅうです。そしてたいていの場合、見つからない!!

非常にもったいないですよね。せっかく本を読んだりセミナーに参加したりしても、断片しか覚えていなければ使えません。

 

そこで今年から、本を読んでいて「おっ!」と思った実践が出てきたときはスキャンするようにしました。そして教科→学年ごとのフォルダに入れます。まだ始めたばかりですので、効果はあまり出ていませんが、NISAのように、何年後かに花開けばいいかな~と思っています。

 

③ 一人朝活

 

今年、習慣化できたことの1つがこの「一人朝活」です。

次の本を読んで始めました。

私は朝7時頃、出勤をします。その後教室で、一人今日一日について考え、ノートに記します。書く内容は次の3点。

 

1 昨日の振り返り

2 テーマについて

3 今日の目標

 

テーマは1か月分くらい適当にインターネットから探したものをノートに張り付けていて、それを見ながら考えています。例えば「最近あったうれしい出来事は?」や「身の回りで感謝をしている人は?」など。

 

この一人朝活をすると、1日が非常に見通しをもてるようになります。当たり前ですね。目標を決めるからです。テーマは別になくてもいいのですが、目標と振り返りだけだと味気ないかなと思って、入れ込みました。

 

生産性の向上に直接役に立ったのか?と問われたら、イエス!と答えます。なぜなら目標と振り返りを毎日必ず書くことで、いらない仕事は省くようになるからです。

 

また、毎週金曜日は1週間の振り返り曜日と決め、その1週間でいらなかった仕事は何か?を考えるようにしました。これは、次の本に書いてあったので始めた取組です。

 

正直、いらない仕事なんてほとんどないのですがね。

 

というわけで、今年1年間のキーワードは「生産性」でした。

 

生産性が向上したと信じたいところです。来年のテーマは既に決定済み。

 

それでは良いお年を~

 

(教師としての大晦日は3月31日と聞いたことがあるので、教室実践の振り返りは春休みにします。)

 

 

子供の発言力を鍛える

先日、校内の中心授業をしました。教科は国語。「たぬきの糸車」という物語文を授業しました。

 

様々な問題点が浮かびましたが、その中の1つの「子供たちの発言力が低い」ことが気になりました。

 

発言力とは何でしょうか?

 

大きく技術面と心情面に分かれると思います。

 

技術面の方が分かりやすいでしょう。

声の大きさ、抑揚、スピード、結論から話す、ナンバリング、友達の目を見ながら話す等々。

教師ならば誰でも一度は子供たちに指導したことがあるでしょう。

 

こういったことももちろん気になったのですが、それ以上に心に刺さったのは心情面です。言い換えれば、子供たちの「発表したい!」という意欲のなさです。

 

もちろんそうしたのは授業者である自分の責任です。

 

では、どうすれば子供たちは「発表したい!」と思うのでしょうか?逆に言うと、子供たちはなぜ「発表したくない。」と思っているのでしょうか?

 

子供たちが発表をしないのは、「発表をしたくない」からではないのかもしれません。

 

例えば次のような理由が考えられます。

・話の流れが分からない。
・話の内容に興味がない。
・それまでの話を聞いていない。
・一問一答のような簡単な問いには手を挙げるが、説明を求められると困ってしまう。
○どうやって答えたらよいのか分からない。
○きっと誰かが答えてくれる。

 

直感ですが、上の○の箇所は結構いい線をついているような気がします。

 

自分もそうですが、多くの教師は中心発問には気をつけます。ですから、中心発問に対しては結構子供たちは答えられるものなのです。「この場面の主人公の気持ちは?」と聞かれたら、それなりに述べるでしょう。しかし、その後に教師が問い返すときには、いきなり挙手率が下がります。代わりに手遊び率が高まります・・・。

 

つまり、「どうやって答えたらよいのか分からない。」と「話の内容が分からない。」「きっと誰かが答えてくれる。」の合わせ技で、子供の発表意欲は削がれているのではないかというのが私の仮説です。

 

私の授業の挙手率が特に下がるのが授業の後半であることも、上記の仮説を裏付けます(結構どのクラスを見てもそんな印象を受けますが)。

 

ではどうすればいいのでしょうか?

 

普段の鍛えと授業における工夫という、2つの観点で解決を図るのが良いと思います。

 

普段の鍛えとは何か。

1つは発言耐性をつけることです。普段から授業中にペアで話したり、全員が1回ずつ発言するようなごく簡単なスピーチ活動を組んだりするのです。スピーチ内容は些細な内容でいいと思います。好きな果物や得意な教科などを理由をつけて話させるのです。一人あたり数秒で終わることを毎日全員に取り組ませます。するとだんだんと発言そのものへの耐性がつくでしょう。

 

子供たちの中には、手を挙げるという行為そのものに慣れていない子もいます。ですので、手を挙げる練習も必要かもしれません。「今日、朝パンを食べてきた人?」のような何気ない問いかけに、きちんと手を挙げているかどうかを見てみてはどうでしょうか。曲がっている子供がいたら、「腕は曲げるのではなく伸ばすのです。」などと声を掛けます。

 

では、授業における工夫とは何か。

 

私に欠けていたのは、こちらだと思います。

 

まずは授業中盤以降の発問をもう少し簡単にすることです。

 

問い返しの発問は本質的なものが多い反面、勉強ができる子が活躍しやすい場合がほとんどのように思います。例えば以前、「お手紙」(アーノルドローベル)で次のような授業を見たことがあります。

 

中心発問は「かえるくんはなぜ、手紙の内容をがまくんにばらしてしまったのかな。」でした。

 

子供たちは答えます。
・がまくんに伝えたかったから。
・手紙を待っていられなかったから。
・がまくんを早く喜ばせたかったから。
・かえるくんは待ちきれなかったから。

 

どの意見からも、かえるくんの優しさが分かります。

 

その先生は次のように問い返しました。

 

「じゃあ、かえるくんはかたつむりくんに渡さないで、トンボやチーターに渡した方が良かったんじゃない?」

 

「それじゃだめだよ!」

と答えた子供は意外と少数でした。

 

先生の問い返しは悪くないと思いました。遅い者の代表例であるかたつむりくん。彼に頼んだかえるくんのユーモアに気づかせる促しです。しかし子供たちにとって、その問いは想定外で、極めて高度でした。

 

問い返しの発問は授業の中盤以降を盛り上げたり、目標により一層近づけたりする効果があるものです。しかし、それまでの授業の流れを途切れさせる場合があります。そのため子供たちの挙手率が一気に下がり、優等生しか答えられない「ちーん」とした授業になってしまいます。

 

だからこそ、授業のおける工夫が必要になります。

 

学力的に低位で、話の流れや友達の話、教師の問いかけを十分に理解できない子供でも分かるような、それでいて面白い問いを考えるのです。

 

「そんなこと無理だよ!」

 

私も無理です。そのためにまず授業中盤以降の問い返しを、より具体的かつ明確にするようにしています。例えば先ほどの例で言えば、


「かたつむりくんは遅いよね。トンボやチーターだったらどのくらいで手紙がつきそうかな? あっという間だよね。でもかえるくんは、かたつむりくんに頼んだ。じゃあ、手紙がゆっくりと届くまでの間、どんな良いことがあるのかな?」

 

これならば、低位の子供でも先ほどの問いよりかは多少なりとも答えられるのではないでしょうか。

 

私は問い返しの発問がだめと言うつもりはありません。むしろ非常に有効でしょう。しかしもっともっとクリアなものにしなければ、発言力の心情面の問題は解決されないのだと思います。

 

1年生担任は0を1にする仕事

 1年生を担任して思ったことの1つは、

「1年生担任の仕事は1年生を小学生にすること。つまり0を1にすることだ。」

です。

 

言い換えれば、2年生以上は1を10にしたり、100にしたりする仕事です。全て応用編とも言えましょう。

 

考えてみれば当たり前のことです。ちょっと前まで園にいた子供たちなのですから。小学校のことは何も分かりません。だからこそ、筆箱の中身のことから6年生を送る会などの行事のことまで、全てを丁寧に指導する必要があります。

 

本当の基礎基本から教えることは教師にとっても勉強になります。全ての仕組みを考え直すことになるので。

 

ただ、特殊とも言うべき1年生の担任をずっとやり続けると、「応用問題を解くこと」が苦手になるかもなとも思います。2年生以上は既に「1」があるのですから、「1」を丁寧に指導するのではなく、「1」をより高みまで引き上げる指導が求められます。それは1年生の指導とは違います。ときには「ここまでおいで。ここまでこないとだめだよ!」と子供たちが思っている天井を突き破らせることも大事です。

 

何やら抽象的になってしまいましたが、全学年を経験してみて思うことは、やはり1年生の担任は少し特別だなあということです。合う人と合わない人がいるのも納得。ちなみに私は一番好きな学年です。

授業は教師の仕事の面白さ

前回、教師の仕事の中心は授業ではないと書きました。

 

では、授業はいったい何なのか?

 

授業は教師にとって、面白さの1つだと思います。魅力と言ってもいいでしょう。醍醐味…は言いすぎかなと思います。他にも楽しいこと、面白いことはあるので。

 

いい授業になった(と教師が思った)とき、「ああ、授業は楽しいな。教師の仕事もまんざらでもないな。」と思うものです。

 

その魅力を味わいたいがために、数多くの研究会は存在し、たくさんの先生方が研究授業をしたり、本を買ったりして勉強するわけです。

 

しかしながら、何度も言いますが、教師の仕事の中心は授業ではもはやありません。

 

トラブルの解決が本丸です。トラブルとは、いじめや下校中のけんか、事故事件だけではありません。不登校や教室を飛び出す子供の対応、虐待家庭への連絡、ASD、LD、吃音などの発達障害への理解、LGBTQやHSCといった最近の問題なども全てひっくるめてのトラブル解決です。(問題解決といった方がいいかも)それに対して我々教師は給料が払われています。(それにしては安いと思うが)

 

ですので、これからは授業研究会などほどほどにしておいて、トラブル対応のシミュレーションをたくさんした方が、よほど学校運営や学級経営においては良いと思うのです。しかし、「教師の仕事は授業!」とかたくなに考える人たちが山ほどいるので、それは絶対に無理です。(特に管理職)

 

正直言って、中学校や高校の勉強に授業など必要ないと思います。小学校高学年ですら怪しい。学校の授業などよりもはるかに分かりやすい授業が、Youtubeに無数にあげられています。

 

いやいや、学校は話合いをして、他者の意見を聞いて深い学びをする場所だから…。

では、話合いや討論的な場だけを用意して、他の時間は各自がタブレットで動画を見ればよいのでは?むしろその方が先生たちにとっても楽になる気がします。

さすがに私が今受け持っている小学校2年生でそれができるかと言われれば、無理ですね。タブレットの動画を見ていても、飽きますから。だから低年齢の子供には、みんなで学ぶ場を提供することが大事なのです。

 

とはいえ、授業が面白いものであることも変わりがありません。もしも授業が上のような形になったら、それこそ教師をやるメリットが一気に失われるように思います。ですから、私は高学年や中学校をあまり希望していないのです。なぜって、(一斉指導の授業なんてコスパ悪いな~)と思いながら授業するのは、なんだか子供たちに悪い気がするからです。

 

まとめましょう。

 

授業は教師にとって面白いもの。しかし仕事の中心にはならない。だから研修のテーマも変えていった方が本当は良い。

教師の仕事は授業ではなくトラブルを解決すること

今日は大失敗をしました。

 

子供を強烈に叱ってしまいました。感情的に叱ったので、怒ったと言った方が良いかもしれません。

 

2年生の男子2名がトイレの水道のところで追いかけっこをしていました。逃げていた男子が、ちょうどそこへ来た別の男子に衝突。互いに頭をぶつけるという事件です。

 

まあ、小学校ならば「あるある」です。

 

それを聞いた私は激昂。大の男がそれはまあ、叱り飛ばしました。トイレは遊び場ではないこと、その結果、人をケガさせたこと、首より上のケガは病院送りだということ、仕事中の親も呼び出すため親への迷惑がかかることなどを、まくしたてたわけです笑

 

2年生の男の子ですから、今となっては「あるある」なのですが、今年一番かな?というぐらい叱りました。

 

で、思ったんですね。

 

これはいつか体罰しそうだな、と。

 

アンガーマネジメントの本は数冊読んできて、そのいくつかは実行に移しています。しかしいざとなると効果はないんですね。本当、知識と技術の差は大きい。

 

叱った原因を考えれば、男子2名が叱られるのは当然です。ですが、自分がなぜ叱ったのかときちんと考えてみると、被害者の子を守るためや、加害者に更生してもらいたいという理由以上に、「自分の仕事が一気に増えたこと」への怒りなわけです。もう、本当、申し訳ないんですが。

 

ケガが起こると、次のような対応が必須です。

・ケガの発生時刻や場所、原因などの聞き取り

・加害側(がいたら)指導

・保健室へ連れていく

・その間の教室への指示

・学年主任、管理職への報告

・加害側、被害側の親への連絡

・場合によっては病院への搬送

・事故報告書の作成

・加害側保護者が被害側に謝罪をしたいと言ったときの被害側保護者への確認の電話

・その他への子供の指導

 

これらが一瞬のうちに頭をよぎるのですよ。もう、怒ります。

 

帰りの車中、反省をするわけです。これは、いつか大変なことをしでかす恐れがあると。アンガーマネジメントもあまり役立たない。6秒数えても意味はないのでした。さて、どうしてものか。

 

そんなことを考えながら出した結論が題名の言葉。

 

「教師の仕事は授業ではなくトラブル解決」

 

教師の仕事は授業だ!と仰る方はたくさんいます。しかし、昨今の学校現場は授業以外の比重が極めて大きいと思います。不登校、いじめ、対生徒間暴力、虐待、ヤングケアラ―調査、特別な支援を要する子供への対応、外国籍児童の増加などなど。

 

学校の教師がするべき仕事の本丸は、もはやそういった数々の問題を適切にさばくことではないかと思います。

 

そうすれば、今日起こった「トイレ追いかけっこ事件」も、事件が起こってからが教師の仕事と言えます。

 

もちろん、事前に指導はします。未然防止というやつですね。廊下は走らない、人の物は勝手に触らない、余計なものは学校に持ってこないといった学校のルール的なものから、SNSの怖さを語ったり、下校の仕方を伝えたりもします。しかし子供は問題を起こすものなのです。

 

教師の仕事は授業ではなくトラブルを解決することだと考えれば、何か起こったときにも少し心の余裕が生まれます。「ああ、今日の自分の給料はこのトラブルのおかげで手に入れられたのだな」と。

 

それにしても、まあ、疲れました。本当に。