1特別支援教育にプライドを持ち、非常に熱心に行う先生
2通常学級を受け持つことができないため、特別支援学級に「回されてきた」先生
前回の記事でそのように書きました。
今回、焦点を当てるのは
1特別支援教育にプライドを持ち、非常に熱心に行う先生
です。(先にお断りしますが、今回のブログに書くことは私の市の状況に関する私見ですので、自分の市町村では違うということがあっても、御容赦ください。今回は私の市の問題をあげます。ひょっとすると同じような市町村もあるかもしれないので参考になればと思い、書きました)
通常学級の担任を持つことができず、特別支援学級の担任に「回されてきた」先生もさることながら、私はこの「特別支援教育にプライドを持ち、非常に熱心に行う先生」の存在は、ありがたいと同時に、実は「難しいな」と思っています。
通常学級の場合、「力のある先生」と「力のない先生」の間にいろいろな先生がいます。「そこそこ頑張る先生」「ワークライフバランスを重視し、定時になったら何があっても帰る先生」「算数や社会、体育など、特定の教科の指導に力を入れる先生」などなどです。通常学級の先生を「力のあるなし」の2種類に分別することは難しいほど、多様な先生がいます。
しかし特別支援学級の世界はそうではないように感じます。
ベテランで、特別支援学級一筋の方々がいる一方で、「回されてきた」先生もいる。そしてその間はいない。そこそこ通常学級の担任もやってきて、それなりに分掌を務めあげてきた…そのようなタイプはむしろ少数派です(繰り返しますが私の市では、です)。
となるとどうなるか。
私のように、特別支援学級の担任をしたことがない人間がそこにぽんと放り込まれる。
モデルがいないんです。
最終的なゴールの姿はありますよ。特別支援学級のスペシャリストはその最たる例です。しかしそれらの姿は何十年も特別支援の世界に身をおいた先に具現化されるものです。特別支援学級1年目が真似できるわけがない。
私はいくつもの学校を参観しに行きましたが、「これは自分にはまだできないな」と思う実践ばかりでした。特別支援教育に関する知見を何年も積み重ねなければたどり着けない境地がそこにはありました。
特別支援学級の世界は通常学級ほど研究されていないように思います。当たり前と言えば当たり前で、まず歴史が浅い。さらに数が少ない。しかも通常学級に比べ、汎用化しにくい。だから特別支援学級の授業の仕方や経営の仕方のノウハウが伝達されにくいのです。また、そういったノウハウを効率的に教えるメンター的存在が特別支援学級の世界にはほとんどいないのです。
するとどうなるか。
勘と経験とセンスによる、全く科学的でない特別支援教育と特別支援学級経営がなされるわけです。
それを見たベテランの先生方は言います。
「それではだめだよ。もっと一人一人にあった教材を作らなければ。もっと一人一人が輝く授業をしなくては」と。
しかしそれは無理です。
泳ぎ方を知らない人間を太平洋に浮き輪もなしに放り込むようなものです。それをベテランスイマーが横で叱咤激励をするだけ。泳げるようになりません。
ベテランの技量は確かに素晴らしいものがあります。しかし、初心者を上手に教えられる人はほぼいません。むしろ、少し上の先輩が教える方がいい場合は往々にしてどの世界にもあります。自分の困った経験を覚えているからです。
現在の私の市の特別支援学級の問題はそこにあります。通常学級以上に知識と知恵の伝達・継承がなされていないこと。そして、その原因は力のある先生と力のない先生の二極化が激しいことにあるのだと思います。
ではどうすればいいか。
私は「特別支援学級と通常学級の垣根を低くすること」が解決策だと思います。そうすれば多種多様な先生方が特別支援学級の世界に入ってくるようになるからです。しかしそれには例えば以下の問題が発生します。
1力のある先生を特別支援学級に回すと、通常学級に力のある先生を配置できなくなり、学校経営に支障が出るかもしれない。
2特別支援学級の世界に初心者がたくさん入ってきてしまい、研修の充実が急務になる。
3せっかく育てた特別支援学級の先生が通常学級に行ってしまい、育てた時間が「無駄」になる。
4特別支援学級の子供たちは変化に弱いので、そんなに簡単に担任を変えることは望ましくない。
5特別支援学級の世界に初心者がたくさん入ると、今まで以上にベテラン層の負担が増す。
それでも、これらの問題を大きな問題に発展させずにおきながら、特別支援学級の世界の担任の二極化を徐々に収めていくような取り組みが求められます。
なぜか。特別支援学級の数は増えているからです。担任の育成は待ったなしだからです。それには教育行政の人事の手腕が試されるのです。