最近、「不登校でも大丈夫」「逃げることも必要」「休むのも大事」といった「優しい」言葉をよく見かけます。
確かにこれだけ不登校が増えている現在、不登校になることはもはや「普通」のことで、学校側に問題があるのだー!とする言い分には、まあ理解できる部分もあります。
教師としても、その考え方は結構「ラク」です。今までは不登校が自分の学級から出る=問題教師のような雰囲気がありました(自分だけ?)が、これだけ不登校児童生徒が増えていれば、「自分のクラスも隣のクラスも普通に不登校はいるよ」になります。
でも、本当に「不登校でも大丈夫!」かどうかは分かりません。
例えば次のデータ。
文科省はかつて、H18年度に中3で不登校だった生徒を追跡調査しています。
(
例えば
・高校進学率は85%しかありません。(全体では97%)
・20歳段階での非就業・非就学率(いわゆるニート)は18%です。(単純比較はできないが、ある資料によると20代前半のニート率は3~4%)
ですからね。
その先の結婚率や生涯賃金にもきっと差は出てくるでしょう。
もちろん個別具体のケースでは、結構明るい話も聞きます。
私の知り合いでも、「中学のとき不登校だったけれど、あのときに休んでいたおかげで今がある。今は普通に働いて給料もたくさんもらって幸せ!」な人はいます。小学校のときに不登校で、今は学校の教員をしている友人もいます。
ですから不登校=悪とは言いませんし、不登校ならば必ず不幸になるとも思いません。
しかしながら同時に「不登校=大丈夫」とも、とても言えません。むしろ現実的に客観的にみて、不登校になることは将来のリスクです。
そう考えたとき、今の風潮は危険だと思います。不登校でも大丈夫!と言い続けていると、学校を休むことのハードルが下がってしまいます。
学校は楽しいところであるべき!という人がいますが、私は違うと考えます。学校は学ぶ場です。テーマパークではありません。学校を楽しくするのは自分です。人生を楽しくするのも自分です。誰かが自分を担いでくれるような考え方は甘えだとさえ思います。
多少、無理してでも行く価値がある場所が学校です。なんだかんだで日本の学校はよくやっていると、教員である私は思います。(例えば次の本)
むしろ「不登校でも大丈夫!」と言う人たちは、不登校になった子供たちを将来救ってくれるのでしょうか? 救いませんよね。結局本人と家族が大変なのです。それは無責任ではないでしょうか。
無論、(ひどい)いじめが原因の不登校ならば学校や加害者の問題です。処罰されるべきでしょう。しかしながら、一生懸命に頑張ることよりも、休むことを強調しすぎている今の雰囲気には反対です。
最後に、現在大変な状況に陥っている日大理事長の林真理子氏の言葉を引用します。
「頑張らなくていい、マイペースにやればいい。いまは、そんな優しい言葉のほうが受け入れられやすい風潮がありますよね。もちろん疲れた人はゆっくりやるのもいいでしょう。でもまだ何もやってないうちから、そうした優しい言葉を自分のモノにしてしまうのはどうなんだろうとは、思います」