コロナが収まりつつあります。それは喜ばしいことですが、最近すごく強く感じることがあります。それは「子供が弱くなっている」ということです。ここで述べる「弱さ」は体力的な意味と精神的な意味の2つあります。
体力的な意味は分かりやすいですね。持久走や50m走、なわとびの記録などは最たる例でしょう。
それだけにとどまりません。
鉄棒や跳び箱といった器械運動も苦手な子供が増えてきたように思います。
なぜか。コロナで運動する機会が減ったからというのもあります。しかしもう1つ理由があると思います。
それは「ケガを怖がる子・親・教師が増えたから」です。
ここ数年間で、学校のケガに対する認識が変わってきたように思います。たびたびニュースになるだけではありません。今年度から、私のいる市でも、「首より上のケガは保護者に連絡+学校がタクシーを呼んで(主に担任が付き添って)病院に連れていく」ことになりました。
ドッジボールをしていて、ふわふわのボールが頭に当たりました!程度ならば保健室に行き、冷やして終了ですが、それでも電話で保護者に連絡は必須です。
そのような状態で、「体育の授業をもっとやろう!」「鉄棒を頑張ろう!」という気にはなりにくいですよね。「子供の体力低下している。だからこそ器械運動をしなくては!」と思わなければいけないのでしょうが、その前にけがをしそうですし、けがをしたときのリスクが大きすぎるんですね。
あと、最近、保護者の中に(特に低学年)「転んだ程度の小さなけがであっても、親に連絡をしないのはありえない!」という人が増えたなと思います。そりゃあ子供たちは「弱く」なるわけです。そして弱くなった子供はさらにけがをしやすくなり、もう負のスパイラルです。
何か起こったときに、「そういうこともあるよね」と受け入れられない保護者・子供が増えています。逆に「なぜ言ってくれなかったのか!?」と怒ります。感度が高くなったとも言えますが、学校としては、そういう「ちょっと面倒な人たち」の対応に時間も手間もかけられたくないのです。だったらしなければいいや…と。
少しでも強く指導すると、「暴言・体罰」となります。繰り返しますが、誰も学校を守ってくれませんからね。それならば「器械運動をあまりしない。」「いくら給食を残しても何も言わない。」「子供に厳しい言葉は言わず、常に優しく寄り添っていく。」という消極的な教育が行われていきます。
不登校が増えた理由の1つは、上記の問題もあると思います。それに加えて、「不登校? ああ、無理しなくていいですよ。ゆっくり休んでいきましょうね。」と考える学校も増えています。それ自体は間違いではないのでしょう。しかし、コロナによって休むことへのハードルが非常に下がった今、「休まずに頑張って登校することのメリット」について一切語られなくなったことは、不登校の増加に拍車をかけていると思います。「社会に出たときどうするのですか?」はもはや禁句です。
かくして、体力的にも精神的にも「弱体化する子供たち」になっていくわけです。やれやれ。