小学校教師クラメロンの日常

関西のみかんが有名な県に住んでいます。小学校教員。3.5.2.6.5異動1.4.特別支援学級.5.1という流れ。今年も生徒指導主任。

頑張っても頑張っても・・・

「報われないことが多いよね、この仕事。」という話。

 

これまで数多くのセミナーや研究会に参加し、本もたくさん読んできました。しかし残念ながら、参加数や読書数に比例して、自分の実践がより良いものになっているとは思えません。

 

いわゆる「勉強」ですね。「勉強」の結果は、必ずしも成果につながらないのです。

 

例えば、学級経営の勉強をしたとしましょう。子供同士の関係性を良くしたり、特別支援教育の観点から子供に声掛けをしたりします。ですが、それでもトラブルは起こりますし、他の学級に比べて特段自分の学級の状態が良いとも思えません。

 

なぜでしょうか。

 

1つ考えられるのは、自分の「勉強」の仕方が悪い可能性です。受験勉強でも、よくありますね。テストに出ないようなところばかり勉強している人が。それと同じで、効果的な「勉強」を私がしていない可能性があります。

 

あるいは、私の「勉強」が今の子供に合っていない可能性もあります。

 

例えば、不登校について。

かつては不登校の子が今ほど多くいませんでしたので、不登校について学ぶメリットは大きくありませんでした。しかし今は、ご存知の通り、不登校の子供の数が激増しています。教員ならば不登校への理解は必要不可欠の時代と言えるでしょう。しかし私はたいして不登校の「勉強」をしていません。また、「個別最適化」の時代であるにもかかわらず、いまだに私は一斉授業に関する「勉強」をしています。この「勉強」が効果的なのかは見直す必要があります。

 

そもそも教員の仕事に関する「勉強」など、役に立たないという意見もあるかもしれません。

 

教員の仕事は、何か1つに決まった方法があるわけではないでしょう。数多ある方法の中から子供やねらいに合ったものを取捨選択する必要があります。数多くの方法を知ることはもちろん大切です(ここは「勉強」が生かされやすい)。しかし大事なことはむしろ、子供を理解し、それぞれの場面に合った方法を子供に応じて選び取り、実行する力です。この力は「勉強」で身に付けるというよりは、「センス」や「経験にもとづく勘」、「生来もっている人間性」のようなもので成り立っているように感じます。ゆえに、新卒なのに意外と学級経営がうまくいっている…というケースが存在するのだと考えています(天性のセンス的なもの)。

 

しかし、私が思うに「勉強」があまり役立っていない最大の理由は、教員の「勉強」しなければいけない領域が多すぎることです。ここで言う「勉強」は、学級経営や授業など、教員の典型的仕事にとどまりません。子供のトラブル対応・仕事術・保護者連絡の仕方・各種行事の指導の仕方・校務分掌のさばき方・職員とのコミュニケーション術などなど、非常に多岐にわたります。しかもそれらはどれも、突き詰めていくと深いものばかりです。授業と一口に言っても、どの教科のことを指すのか?あるいは、どの教科にも汎用できる技術的なことか?なども、細分化していけば、きりがありません。

 

かくして、いくら「勉強」しても、頑張っても頑張っても、あまり報われない状態が出来上がります。

 

でも歩みを止めたら、もっと困った事態に陥るかもしれません。この話をある先生にしたところ、その先生が次のように仰いました。

 

「まあ、言っていることは分かるけれど、これまで勉強してきたからこそ、そこまでひどい状態になっていないんじゃないの? もし勉強をしてこなかったら、休職していたかもしれないよ。」

 

なるほどなと思いました。

 

今後も、私のこれまでの学びが無駄にならないことを祈るのみです。