小学校教師クラメロンの日常

関西のみかんが有名な県に住んでいます。小学校教員。3.5.2.6.5異動1.4.特別支援学級.5.1という流れ。今年も生徒指導主任。

教師は何のプロ?

最近、よく考えることの1つです。

 

教師は何のプロなのでしょうか?

 

「そりゃあ、教育でしょう」とおっしゃる方が多いでしょう。では、その教育とは?

 

授業の内容をきちんと理解させること?

挨拶や返事をできる人間に育てること?

優しい人にすること?

健康な体にし、健全な心を育むこと?

社会性を身に付けさせること?

生きる力が備わった人にすること?

人格の完成?

 

非常に広いんですね。「教育」と一口に言っても。

 

同じ教育者の中でも塾の先生は、テストの点数を取らせるプロです。非常に限定的かつ具体的です。もちろん塾も人間的教育がゼロってことはないでしょうが、本質でもないはずです。

 

つまり学校の教師は、やっていることの幅が非常に広いのです。だから「教師は何のプロか?」という問いに、ずばり一言で答えられません。これは大問題だと思います。

 

例えば医者は病気やけがを治すプロです。コールセンターの方はお客さんの疑問に答えたり入金をお願いしたりするプロです。料理人はおいしい料理を作るプロです。

 

もちろんどの仕事内容も単純なものではありません。スーパーの店員さんも、レジだって打つでしょうし、品出しだって、商品の発注だって、クレーム対応だってするでしょう。それでも基本は「食品を売って稼ぐ仕事」なのには変わりありません。

 

何のプロか?に答えられないということは、仕事の本質が分かっていないのと一緒です。

 

しばしば教師は授業のプロと仰る方もいますが、では今の学校現場の最大の問題は授業力の欠如なのでしょうか? 違いますよね。いじめや不登校、特別支援やトラブル対応、虐待、保護者対応、分掌業務、少し前は感染症対策がありましたね。残念ながら、どれか一つの対応力を磨けば、他の仕事の質が高まるかと言われると、そうでもないでしょう。虐待の知識を増やすことが、市教委に出す文書を上手に書くことにつながるとは思えません。

 

ですので、学校の教育界全般で言えば、もっと教師の仕事を狭く規定するべきなのです。授業をするのが教師なのか、それとも授業以外の仕事に注力するのか。これを方向付けることは文科省にしかできません。現存する学校の仕事を8割減らすぐらいの意識が必要です。

 

まあ、無理でしょう。

 

となると、我々にできることは何か。

それは「自分は○○のプロである」と明言することだと思います。

 

授業でもいいでしょうし、もっと限定して算数授業のプロでもいいかもしれません。保護者対応でも、トラブル解決、ICTの活用、外国籍児童の日本語指導、LD支援、様々ありましょう。教師一人一人が「自分は○○という看板を背負っている」となるのが、いいと思います。

 

そうすると、自然と仕事が取捨選択できるようになります。

 

「自分は保護者対応のプロだから、授業はNHKforschoolをたくさん活用する」

「道徳の授業を私の仕事の核にするから、体育は他の先生に任せる」

「僕は特別支援、特に自閉症の子のスペシャリストになりたいから、逆に虐待の対応は生徒指導主任(主事)よろしく~」

 

みたいな感じです。苦手な仕事、興味のない仕事はどんどん他の人に任せたりデジタル化したりしましょう。もっと言えば、何とかしてその仕事を消し去りましょう。私は昨年度、本校の弁当注文システムを廃止しました(なぜか職員が夏休みや冬休みの弁当を注文を取りまとめてお弁当屋さんに電話していた)。

 

○○のプロと言えないと何が困るのでしょうか。

 

それは「結局あなたは何ができるの?」に答えられなくなることです。

 

教師の仕事は非常に多岐にわたる…言い換えれば、ひとつひとつの仕事はあまり深くないということです。

 

正直言って、例えば電話対応ひとつとっても、そこらへんを歩いているおじさん・おばさんでもできるレベルのことをしています。相変わらず、電話中に同じ学校の者を「~先生」と電話相手に言ったり、3コール以内に出ようとしなかったりする人はざらです。

 

特別支援対応だって、多くの先生方はそこまで勉強して実践しているわけではありません。小学校低学年ならばいざ知らず、高学年になっても相変わらず全員一律の宿題を出していますし、黒板の周りにぐちゃぐちゃと掲示物を貼っている人はたくさんいます。

 

ゆえにもっと一人一人が特化型になった方がいいと思うわけです。ひとつひとつの仕事内容が薄ければ薄いほど、「あなたという存在は、代替可能です」と同じになります。「自分は保護者対応は苦手だけれど、ICTならば誰にも負けない!」のであれば、ひょっとすると教員以外の道も開けてくるかもしれません。

 

ポイントは、自分がしたいこと、得意なこと以外はばっさり切り捨てることです。最近私も登下校対応は一切しないようになりました。文科省も言っていますからね。そんな時間があったら、今の学級の諸問題を解決するために頭を使うようになりました。

 

ちなみに私の中の教師の核、言ってみれば「教師の何のプロ?」の答えは「学力と社会性の育成」です。これでも、まだかなーり広いのですが、小学校の教師は全教科教える宿命ですからね。仕方なしです。その代わり、最近、それ以外の仕事は一切引き受けていません。(例えば忘年会の準備やら、運動場の草取り、放課後の公園トラブル)これが正しいかは分かりませんが。