「悪口を言ってしまった子供が心を入れ替えてくれるといいね。人を思いやる、優しい心をもってほしい。」
あるトラブルの後、校長先生が言いました。
私はそれを聞いて、違和感を覚え、少し考えた後、気づきました。
「ああ、なるほど。自分は『心の教育』ではなく『行動の教育』派なのだな。」と。
ここで言う「心の教育」とは、子供の心にフォーカスした教育です。言い換えれば、「思いやりを育む」や「人の気持ちを考える」、「友達の苦しみを理解する」などなど、心を変えようと画策する教育です。道徳の授業に代表されるように、「相手の気持ちを考えること」を大切に指導します。
反対に「行動の教育」とは、行動にフォーカスした教育です。極端に言えば、「心で何を思っていても関係ない、行動をどうするかが大事である」がモットー。「あいつ大嫌いだ、殴ってやりたい。」と思ってもOKですが、実行するとなると話は別です。「行動の教育」では、特定の行動をするかしないかだけでなく、別の行動をとるように促すこともします。
例えばある子が友達に「バカ」と言ったとしましょう。
「心の教育」を重視する人は、きっと「バカ」と言った理由を尋ねるでしょう。その後、「バカ」と言われた人の気持ちを想像させ、自分が言われたらどう思うのかを考えさせます。自分も相手もいかに心が傷つくか、時には親御さんの心の内までを教師が語り、言った子供に反省させるというのが流れです。
一方の「行動の教育」。もちろんなぜバカと言ったのかは聞きます。ひょっとすると、先に相手に言われたからかもしれませんし、ちょっかいを出されたのかもしれません。そうした心情は受け止めつつも、「どうするべきだったのか?」を考えさせます。「バカと思うのは自由だが、言ってしまったら侮辱罪。では、どうすればよかった?」と。子供は「先生に言う」と答えるかもしれません。あるいは「無視する」や「その場から逃げる」「わー、と叫ぶ」などなど、様々な方法が出てくるでしょう。
私は圧倒的に「行動の教育」をしてきました。たとえ子供であっても、人の心は基本、変えられないとさえ思っています。大事なことは、「どう思うか」ではなく、「どの行動を選択するか」ではないでしょうか。あるいは、思う→行動の間のブレーキをかけさせるための訓練(アンガーマネジメントなど)こそ、学校で取り組むべきことだと考えます。
もっと言えば、心の教育は家庭の領域ですべきことです。学校はもっとドライな場だと思います。ですので、私は法律を例に出して子供に教えることもあります。
どちらの教育が正しいかは分かりません。
ただ、例えば特別支援を要する子供、とりわけASDをもつ子供にしてみれば、心の教育は非常に苦しい教育法だと思います。定型発達の子供でも、人の心を理解するのは大変なことです。
偏見かもしれませんが、管理職やベテランの方ほど心の教育を重視される印象があります。
繰り返しますが、どちらが間違っているというわけではありません。ただ、どちらかに学校全体の職員の思想が偏るのは、教育の幅が狭くなってしまうのでは?と思います。