教師も人間ですので、一人一人個性が違います。明るい先生もいれば、研究好きな人もいます。朴訥とした性格の人もいれば、厳しい人もいます。
いろいろな先生がいていいと思いますが、大事なことは「それぞれキャラクターが異なることを理解する」点です。
以下は若い先生に多い悩みです。
・隣のクラスの先生みたいに、子供にびしっと言うことができない。
・○○先生みたいに、優しく笑顔でいたいのにできない。
・なぜ○○先生のクラスの子供は、みんな言うことを聞くのだろう。
・明るい授業をしたいのに、どうしても静かな空気になってしまう。
どれもよく分かる悩みです。ただ、最近私は、「教師によってキャラクターが違うんだから、指導の仕方も、子供のあらわれも違って当然じゃん。」と思うようになりました。
逆に、無理して自分とは異なるタイプのキャラクターを目指しても、しんどいだけだと考えています。
若くて、優しい、笑顔いっぱいの先生が、50代の生徒指導を長年やってきたような強面の先生と同じように子供に接することはできません。前者の先生がいくら精いっぱい叱ったとしても、後者の先生の怖さには勝てないでしょう。子供も(無意識的に)分かっています。だから無理して自分のキャラクターとあわないことをすると、かえって子供は反発します。
授業でも同じです。
元気いっぱいの先生の授業と、しっとりとした優しい先生の授業とでは、学習の展開の仕方はまるで変わります。前者の先生の授業はきっと、多くの子が発言をし、研究授業では高い評価を得るでしょう。一方、後者の先生の授業は発言数こそ少ないかもしれませんが、場面緘黙の子やHSCには居心地のいい環境かもしれません。
人間は自分にないものを他人がもっていると、うらやましく思うものです。しかし自分の持ち味は何かを意識し、ぶれずに、日々を送っていくことも大事なことです。そのためにはまず、「自分がどんなキャラクターなのか」と「自分はどんなキャラクターに見られているのか」を、よーく理解することが大事です。
なぜこんなことを考えたのかというと、私は授業をちゃきちゃき進めたいタイプの人間だということに数年前、気付いたからです。当時の私は、隣の学年主任がいつ通りがかっても、ゆったりと静かにしっとりと授業をしていて「すごいなー」「いいなー」と思っていました。しかしあるとき「あれはあの先生だからできることで、自分が真似をしたら、ちょっと違う」ことに気付きました。むしろ自分の強みを生かして、もっともっと発言をするクラスにしようと思ったものです。
というわけで、自分のキャラクターを大事に指導しようという話でした。