日本サッカー協会会長の田嶋幸三氏が書かれた『「言語技術」が日本のサッカーを変える』(光文社新書)。
この書籍の要旨を述べるのなら「日本人は物事を言語化することが苦手。サッカー界も同じ。言語技術を習得することで、日本のサッカーをレベルアップさせていきたい。」です。
そのため田嶋氏はJFAアカデミー福島を設立した際、子供たちの言語技術を高めるために三森ゆりか氏に講師を依頼されています。
田嶋氏は、言語技術の習得は学校でも必要と思っているようです。私も強く首肯します。
私は現在、小学校1年生の担任ですが、とにかく自分の考えを話させる練習を日々行っています。
例えば授業で、何か意見を言うときには、必ず理由を添えるように指導します。
1年生ならば、自分の意見に「なぜかというと」をくっつけるように徹底させます。好きな食べ物を言うときも「好きな食べ物はバナナです。なぜかというと甘くておいしいからです。」などというように。
1年生には「理由を言いましょう。」と伝えるよりも「なぜかというと…をつけましょう。」と指示した方が効果的です。理由という言葉自体がうまく伝わらない恐れがあるからです。それよりも、何か意見を言うときには枕詞のように「なぜかというと」をつけると、自然と理由を語り始めます。
かつて1年生を受け持ったときも、同様に「なぜかというと」を徹底して身に付けさせました。翌年、廊下の掲示物を見ると、私が受け持った子供たちは皆、ワークシートに「なぜかというと」をつけていました。1年生の1年間の擦り込みの偉大さを感じ入りました。
授業以外の時間も大事です。むしろ授業外の時間にこそ、言語化の育成が図られると思います。
分かりやすいのは忘れ物をしたときです。
よく子供たちは教師のところにやってきます。
「先生、教科書を忘れました。」
察しのいい優しい先生は
「ちゃんと言いに来て偉かったね。じゃあ、お隣の友達に見せてもらってね。」
と返します。
私はたとえ1年生であっても(この2月の時期ならば)、忘れた報告だけでは認めません。
というより、忘れ物自体を叱るのではないのです。忘れることは誰にでもあります。それよりも、忘れ物をした事実に加え、「ではその時間にどうするのか?」を言わせます。
例えば
「先生、教科書を忘れました。だから隣の人に見せてもらいます。」
などというように。
(まあ、たとえこの言葉であっても、「隣の人はOKしてくれたの?」と返しますが…)
休み時間中、転んで膝を擦りむいたときも同じです。
「先生、転んじゃいました。」
だけでは
「そっかあ。かわいそうに。大変だったね。」
で終わりです。
子供は助けてもらえると思って、きょとんとしていますが、何もしません。
「で、あなたはどうしたいの? 先生にどうしてほしいの?」
そう伝えるとようやく、はっと気づいて
「絆創膏が欲しいのでください。」
と子供は言います。
私は1年生の子供によく語ります。
「たとえ1年生であっても、君たちの人生は君たちのものです。自分が何をしたいのか、先生にどうしてほしいのかを言わなければ、先生は動きませんよ。」
田嶋氏が書籍で言うように、物分かりの良い先生になってはいけません。子供たちに常に言語化を促していくことが、言語技術を高める出発点だと思います。